上橋菜穂子【中編】自分の体が見えないように、自分の物語は見えない

累計380万部を超える『守り人』シリーズや、累計200万部を超える『獣の奏者』シリーズで知られ、今年国際アンデルセン賞を受賞するなど、異世界を舞台にした壮大な物語を紡いできた作家・上橋菜穂子さん。早くも20万部を突破した話題の新作『鹿の王』について話を伺いました。中編は、ひとつの事柄をさまざまな立場から立体的に浮かび上がらせる、上橋さんの目線がどのように育まれたのかを聞きました。

担当編集者の太鼓判!

読みだしたら止まらない。躍動する世界にぐいぐいと引き込まれる。それが上橋さんの作品の大きな魅力です。今回は謎の病をテーマとした医療サスペンス的な要素や、故郷を追われた人々が異なる文化で暮らす姿を描いた文化人類学的な要素がありますが、読んでいて自然と頭に入ってくるのは、なによりも面白いからだと思います。心に傷を負った多種多様な人々が、あたたかく支え合い生きていく物語。ぜひ楽しんでください。

(角川書店 服部圭子)

ひとつの光景をひも解くように紡がれる物語

— 『鹿の王』のあとがきでも触れていらっしゃいましたが、『破壊する創造者』を読んだ後、ひとつのイメージが浮かんだそうですね。

上橋 ええ。久しぶりにこれはすごくおもしろいなと思って読んだ翌日の朝、目が覚めた時に、森の中に分け入っていく男の姿が浮かんだんです。これは人じゃなくなりつつある男だなあ、と思いました。獣と同じ状態になってどんどんどんどん静かに消えていくような男。

— 主人公のヴァンですね。

上橋 そして、その男の後ろをちっちゃな女の子がね、追っかけてるんですよ。その子は、男をなんとかして人間の側につなぎとめようとしている存在なのだと思った。その時にね、書けるって思ったんです。

— そのイメージから具体的にはどのように物語を紡いでいったのですか?

上橋 まず、最初に浮かんだ一つの光景の中に、いろんなヒントのようなものが一緒に詰まっているんです。例えば、男—ヴァンは非常に絶望しているのだなという感覚が私の中にはあった。だからこそ、森の中に入っていくのだろうな、と。ここまで深い絶望を抱えているのはどんな人なんだろうと思って見ていると、家族も亡くし、生きる希望もない状態であることが見えてきた。それで、自然と暗い場所にいるイメージが浮かんだんです。

— たった一つの光景から、そこまで感じ取るなんて、探偵のようですね。

上橋 そうですね、探偵しているみたいな感じかもしれないですね。あの人はどうしてそこにいるんだろう、なんでこういう風に見えるんだろうって。

— そうやってたどっていくうちに物語が動いていくんですね。

上橋 物語を書いていると、好きで読んでいた本や、今まで経験してきたいろんなことが、自然と滑り出てくるんです。
 例えば、深い絶望を抱えたヴァンと、数年前に行った、ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑のイメージがふっと合わさった。本当に長い年月、歴史の中でね、深く深く掘られていった岩塩坑で、私も深い底まで下りてみたんですけど、その時のイメージが浮かんできたんです。それで、「あ、そうか、彼は奴隷になってるなあ」と思う。じゃあ、なぜ、奴隷になっているんだろう……という感じで浮かんでくる。物語を考えているというより、生まれてくる物語を追っかけているという感じなんです。

体感したことを、そのまま文字にする難しさ

— さきほど、「見えてきた」という言葉を使われていましたが、上橋さんには物語の中の光景が見えているのでしょうか? 上橋さんの小説は、本当に物語の中に入って体感しているような臨場感がありますが。

上橋 実際、光景も見えるし、匂いもするし、声も聞こえるんです。書いている時、私はその物語の世界にいる。だから、一番書いていてつらいのが、それをそのまま表現ができないこと。「今聞こえているこの声、この匂いをなんと表現すればいいんだろう!」と、じーっと頭を抱えています。

— なるほど(笑)。

上橋 特に困るのが表情なんです。人間の表情を表現する言葉って、意外と同じようなものしかない。だから、「ああ、困ったな、同じ微笑みでも、ちょっと違う顔して微笑んでるよな、これはなんて書こう」ってことは多いですね。

— また、物語には様々な人物が登場しますが、同じような立場であっても、それぞれ異なる考えを持ち、異なる行動をとっている。そのことが物事を立体的に浮かび上がらせているように思うのですが、そんな風に描けるのはなぜでしょうか?

上橋 もしかしたら、フィールドワークを長くやってきたことが影響しているかもしれません。例えば私は1990年からオーストラリアの先住民であるアボリジニの研究をしてきましたけど、最初、どの子が白人か、どの子がアボリジニかわからなかったんです。
 要はこれがアボリジニの文化だとはっきり認識できるほどの差異がなかった。それぐらい溶け込んだ社会の中に行っちゃったんですね。一体どうやってアボリジニという人たちについて学んでいったらいいだろうと思った時に、ライフヒストリーというのを取ることを始めたんです。

— ライフヒストリー?

上橋 ええ、生まれてから現在までの話を何回も何回も何回もきかせてもらうんです。で、おもしろいのが、同じ時代の同じ政策について、同じ状況で生きている人たちであっても、人によって、違うものを感じているってことなんです。
 黒澤明の『羅生門』はある殺人事件が、語る人によって全然違う話になっちゃうという映画ですが、なんかね、それに近いことが生じてくるんです。

— つまり、話す人によって、同じ事柄がまったく別の見え方をしてくる。

上橋 ええ。それはなぜなんだろうと考えながら、老若男女、本当にいろんな人の話を聞きました。そうした体験が、今も頭の中に生きていて、同じ状況でも、すごく多様なことを考える人たちがいるってことを、リアルな感じで想像しちゃうのかなあと思いますね。

— なるほど。

上橋 でもそれも、後づけの考えで、本当のところはわからないですけどね。ほんと、私にとっては、自分の物語が一番わからないんです。自分の体が見えないのと同じように。だから、もう一回書けって言われたら、絶対書けない。だって、自分で原稿を読み返しても思うもの、誰が書いたんだろう、これって(笑)。自分で書いたはずなのに、どういう発想でどういう風に書いたのかわからない。

集中できる時間の限界は1時間

— もしかしたら、無意識の領域で書いていらっしゃる部分があるのかもしれませんね。

上橋 そうかもしれない。私、戦う夢って結構見るんですけど、実際、戦っているみたいで、こぶしが痛くて目が覚めることがあったりするんです。そういう感じでね、書き終えた時、身体が痛いってことがよくある。『守り人』シリーズの女用心棒・バルサを書いている時も、「なんか肩痛いな!」って(笑)。

— もう全身を使って書いていらっしゃるんですね。

上橋 書いてて、ものすごく疲れるんです。息を止めて書いているのかっていうぐらい、終わった後は体がふらふらする。超能力者が全身に力を込めて集中しているシーンってあるでしょ? それに似てるなっていつも思うんですけど、多分、身体のどこかにね、ぐっと力を入れて書いてるのかも。

— おお。

上橋 だからね、若い頃で2時間、今は年をとってきたので1時間が集中できる限界なんです。ただ、クライマックスだけは、実はすんごい無理するんですよ。自分の限界を超えて一気に書いちゃうんです。今追いかけている波が消えたらもうおしまいって恐怖があって、もう駆けどおしで、駆ける。だから、一冊書き終えた後は、完璧に疲れ切っちゃって、脳みそが三日置いたウニみたいになってますね(笑)。

—上橋さんにとって書くということは、本当に大変な行為なのですね。

上橋 でもね、大変だけど、幸せなことなんですよ。私にとって一番幸せなのはね、「ああ、今日は何枚かは書けたなあ」っていう日。そうじゃない日はね、「こんなことして生きていていいんだろうか」って思ってしまう。そういう日の方が多いんだけどね(笑)。

— 上橋さんの物語の紡ぎ方は、本当にうかがえばうかがうほど不思議ですね。次回では、上橋さんが描いてきた“違いを超えて共に生きること”についてうかがえればと思います。


次回「ひとつの場所にはいられないし、いてはいけない」、11/25更新予定

上橋菜穂子(うえはし・なほこ)

作家・川村学園女子大学特任教授。文化人類学専攻、オーストラリアの先住民アボリジニを研究。1989年、『精霊の木』で作家デビュー。著書に、第34回野間児童文芸新人賞、第44回産経児童出版文化賞≪ニッポン放送賞≫をダブル受賞した『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、第42回野間児童文芸賞を受賞した『狐笛のかなた』、「獣の奏者」シリーズなどがある。海外での評価も高く、2009年、英語版『精霊の守り人』で米国バチェルダー賞を受賞。2014年、“児童文学のノーベル賞”と称される国際アンデルセン賞≪作家賞≫を受賞。綾瀬はるか主演で『精霊の守り人』が2016年春からNHKでドラマ化されることも決定。

構成:小山田桐子 写真:渡邊有紀


鹿の王 (上) ‐‐生き残った者‐‐
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鹿の王 (下) ‐‐還って行く者‐‐
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kadokawashoseki 「cakes」に上橋菜穂子さん『鹿の王』のインタビュー中編が掲載されました! ぜひご一読ください! https://t.co/10lvtyYJvK 3年以上前 replyretweetfavorite

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