インドネシア人のケビン・サンジョトさんは2000年に慶應義塾大学を卒業した後、日本で8年間外資系証券のディーラーを務めた。当時の年収は約1億円。六本木ヒルズの自宅から会社まではポルシェで通勤する、そんな誰もが羨むような生活を送っていた。
だが、4年前に母国へ帰り、その変容ぶりに驚いた。
「周囲には年収10億円レベルの人たちが何人もいて、まるで自分が貧乏になったような錯覚がした」
経済成長が続くインドネシアでは富裕層が台頭している。はたして彼らの生活ぶりはどのようなものなのか。
高層ビルを望む広大な庭に
数千万円の木々
ジャカルタ中心部にある高級住宅街の一角。どこまでも続く高く長い塀で囲まれた邸宅に住むのがウントロ・スルヤ氏(59歳)だ(写真)。
20代で海運会社を設立したウントロ氏。早稲田大学への留学経験もあり大の親日家だ
ウントロ氏は海運会社アルペニ・プラタマ・オーシャン・ラインの社長。早稲田大学に留学した経験を持ち、日本語は堪能。「日本で一番好きな食べ物は吉野家の牛丼」という飾らない性格の人物だ。
だが、起業家としての実力は折り紙付きだ。1975年、20代前半にして会社を設立し、2005年にはジャカルタ証券取引所へ株式を公開した。今では74隻のバラ積み船などを保有し、年間売上高は約3億ドル。加えて、中部カリマンタン州に埋蔵量3億5000万トンの石炭権益を持つ。
敷地の広さは5000平方メートル(写真)。高層ビルを望む広大な庭にはゴルフ場のグリーンが設けられ、傍らにはバリ島から運んだ「1本数千万円は下らない」という樹齢300年のプルメリアが2本植えられている。
ウントロ氏の自宅。ジャカルタ中心部という立地ながら、敷地は5000㎡という広さ
家の中に入ると、中国の古い陶器やカンボジアの王族が身に着けた宝飾品など、博物館で見るような骨董品がそこかしこに飾られている。
そしてこの豪邸の他にも、シドニーに350平方メートルのマンション、さらにバリ島には1ヘクタールもの広さの別荘を保有している。
片や、まだ42歳ながら巨額の富を築いているのがフェリックス・デナンタ氏だ。一族で不動産デベロッパー事業を行っており、従業員は約3万人で、売上高は数百億円規模。副業としてレストランなども手がけている。
世界の錦鯉愛好家の間では知らぬ者はいないほどの有名人であるフェリックス氏。わずか2年半で獲得したトロフィーは数百個に上る
フェリックス氏はこうしたビジネスマンとしての顔を持つ一方で、世界的に有名な錦鯉愛好家でもある。錦鯉の品評会に参加し始めてまだ2年半だが、国内外の品評会で獲得したトロフィーは数百個に上る。錦鯉に懸ける情熱は半端ではない。
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