前回、「彗星ヒッチハイカー」のアイデアを思いついたいきさつを書いた。僕はこのアイデアに自信があった。現在の技術では到達できない星に探査機を送り込むことを可能にするかもしれないアイデアだったからだ。
だが、良いアイデアを思いつけばすぐに研究を始められるというほど現実は甘くはない。研究費を取らなくてはいけないからだ。そしてそのためには厳しい競争がある。
僕が応募をしたのは、NIAC(NASA Innovative Advanced Concept)と呼ばれる、SFと現実のすれすれ境界のぶっ飛んだアイデアを研究するためのプログラムである。毎年、数百件の応募があり、選ばれるのは10件程度。数十倍の競争だ。
競争は二つのステージで行われる。第一ステージでは、応募者は「コンセプト・ペーパー」を書いて提出する。上限は3ページ。その中にアイデアのエッセンスを全て伝えなくてはいけない。これに勝ち残ると第二ステージに進める。10ページのプロポーザルに、このアイデアがいかに科学的に価値があるか、また技術的な実現可能性があるかを書く。これを勝ち抜くと、研究費としては少額だが、10万ドル、約1000万円が与えられ、9ヶ月の研究がスタートする、というルールだ。
勝負はチーム戦だ。選考ではもちろんアイデアの良し悪しが第一に考慮されるのだが、チームも評価の対象になる。つまり、提案された研究を遂行する能力のあるメンバーが揃っているかどうかだ。
僕の弱みはここにあった。僕はまだJPLに入って1年目の、絶賛新入社員である。実績などなにもない。しかし、NIACは年齢制限のない無差別級の勝負だ。しかも、NASA職員だけではなく、大学や民間企業からも応募できる。百戦錬磨のベテラン職員や、有名な大学の先生と、同じ土俵で戦わなければいけない。
そこで僕はベストなメンバーを集めるために奔走した。まずはJPLの同じ部署から、テザーの専門家のイタリア人と、メカニクスの専門家のアメリカ人の協力を取り付けた。在職15年と25年のベテランである。また、他の部署にいる軌道設計の専門家のフランス人にもチームに入ってもらった。若手だが、彼自身もNIACを取ったことのある優秀な人材だった。
これだけでも十分に強いチームではあったが、勝負に臨むには、まだ何かが足りなかった。たとえるなら、関羽と張飛だけではなく、諸葛孔明のような人が。
うってつけの人がいた。ジューイット博士という、カリフォルニア大学ロサンゼルス校にいる天文学の重鎮の先生だ。彼は彗星などの小天体の専門家で、太陽系の果てに浮かぶ小惑星群であるカイパーベルト天体を、1992年に世界ではじめて見つけた功績で知られる。
しかし、どう考えても格が違いすぎた。こちらは無名のNASAの新人職員。向こうは世界に名を知られた教授である。その人が、僕のチームに一メンバーとして入ってくれることなど、あるのだろうか。
やってみるしかなかった。だめもとだ。失敗して失うものなど何もない。そう思って、長い時間をかけて情熱の塊のような熱いEメールを書き、ジューイット博士に送った。
「待つ」とはどうしてこれほどまでに体力を使うのだろうか。メールの着信音が鳴るたびに慌ててでメールボックスをチェックするのだが、期待した人からのメールではなく、ため息をつき、また仕事に戻る。その繰り返しだった。片思いの人からのメールを待つようだった。
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