第6回 セックスについて話すときに我々が話すこと【哲学者とAV監督の対話 ③】

恋愛とセックスについてAV監督が哲学する、連載『キモい男、ウザい女。』の特別篇。12月1日に発売の著書『すべてはモテるためである』(イースト・プレス/文庫ぎんが堂)に際して行われた、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)の著者である國分功一郎さんとの対談・第3回目。今回は、ズバリ「セックス」についてです。

「セックス」について、真面目に考察した哲学者、ミシェル・フーコー

二村 哲学者の中で、セックス、それも【性別】じゃなくてモロに【性愛】というトピックについて深く考察した人って、いるんでしょうか? 

國分 フランス現代思想ではミシェル・フーコーがいますね。彼は晩年になって急に、大真面目に性について語りはじめました。それをみんなあまり評価しないんですが、僕は、すごいと思うんですよ。そこが哲学には欠けていたということにフーコーは気づいたんだ……、って。自分のセックスを「どう生きるか」っていうことが、ある種の倫理学になるということです。

二村 避けては通れなくなったのかもしれないですね。

國分 フーコー曰く、ヨーロッパ文明というのは「人のセックスの話を聞いて、あるいは、あばき立てて、それでお金をもらうこと」(ちなみに、これは精神分析のことですね)を発明したけれど、「自分にとっての快感」は追求してこなかった。

二村 あからさまに性交の技法を追求することではインドや中国の文明に負けるかもしれませんが、それこそオペラなんて、きもちいい時にでかい声が出ちゃうことの芸能化じゃないかって気もしますけど、そのことは隠蔽されたのかもしれないですね。ヨーロッパに限らず、あらゆる演劇や歌唱の起源として「お祭りの夜に、村いちばんの美男美女が、みんなの見てる前で、神に捧げる派手なセックスをする見せ物」っていうのが原始共同体には必ずあったに違いないと僕は思うんです(笑)。
精神分析が「人のセックスの話を聞いて、お金をもらうこと」だ、っていうのは面白いですね。

國分 精神分析は19世紀に始まったものですが、教会での告白・懺悔というのも同じですね。「神父様、昨夜は、こんなことをして、感じてしまいました……」とか昔はそうとう細部まで、くわしく懺悔していた、という話を聞いたことがあります。

二村 そんなに罪悪感が強かったのか……。いや、娯楽の一種だったのかもしれないですね、懺悔する側にとっての。

國分 そういうAV、見たいですね(笑)。

二村 あ……! ちょっと考えておきます(真顔)。

「男らしさ」「女らしさ」は後天的に作られるものなのか?

國分 ヨーロッパ、特にフランスは男と女の区別がはっきりしていることも指摘しておくべきでしょうね。それに比べると、日本は男と女の区別があいまいです。たとえば日本だと記者会見で男が泣くじゃないですか。フランスであんなことをやったら男は一気に支持を失う。

二村 それもキリスト教の影響ですかね。僕も「女装っ娘」や「ふたなり」のAVを撮っていますが、そういう文化が盛んなのは日本とタイです。欧米では両性具有というのは悪魔的なイメージなんでしょうか。

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キモい男、ウザい女。

二村ヒトシ

アダルトビデオ監督・二村ヒトシさんが、男女の関係性を探り、自分自身を語っていく連載です。現代の日本に生きる私たちほぼ全員が「キモチワルい男」であり「めんどくさい女」であるという、恐ろしすぎる【見立て】からはじまるこのお話。なぜ現代の恋...もっと読む

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