人間を幸せにする研究をずっとやりたかった
西内啓(以下、西内) 『データの見えざる手』は、ウエアラブルセンサを使ったデータ分析の本ですが、幸福といったテーマにも真剣に向き合っているところがおもしろいですよね。
矢野和男(以下、矢野) コンピュータもデータも、もっと利用していくべきものですが、最終的に私は人間中心であるべきだと思っているんです。だから開発する分析ツールや業務システムが、人間がハッピーかどうか、人と人の間に共感が生まれているかどうか、ということにまったく無頓着なのは、不自然だと思うんです。
西内 そうですね。
矢野 人間の感情を排して効率的な業務プロセスを設計したとしても、それはすごく中途半端ですよね。私がこうあるべきだと考えていることと現状には、かなりギャップがあるんです。そこから、データ分析をする際のいろいろな問いが自然に生まれてきます。例えば、「運とまじめに向き合う」という章なんかは、それがよく表れています。
西内 運を「確率的に起こる好ましい出来事」と定義して、確率をどうやって上げるかということについて書かれていますね。
矢野 はい。偶然の要素って、西内さんとの出会いもそうですけれど、人生に非常に重要な要素ですよね。その背後にもやっぱり、確率法則があるんじゃないかと思うんですよ。
西内 おそらくそうですよね。
矢野 私は80年代に理論物理を研究していたんです。そのときに、ハーケンという物理学者が書いた“Synergetics: An Introduction”(邦題:『協同現象の数理―物理、生物、化学的系における自律形成』)という本を読んだんですよね。
ハーケンはもともと場の量子論やレーザー物理学などを研究していたのですが、それまで物質を扱っていた物理を、社会や経済の現象にまで広げて応用してみるという考えを提唱したんです。まだ大学院生だった私は、若造だったこともあって、「これはおもしろい! こういうことをやってみたい!」と夢中になりました。
西内 なるほど。
矢野 そのときは時代が早すぎて、データも溜まってなければコンピュータの性能も大したことがなかった。ハーケンの構想は大きかったんですけど、実際の研究としてはまだまだだったと思います。でも、その頃から、人間や社会を数理や物理で理解して、幸せにしていくというようなことをいつかやりたいと考えるようになりました。
西内 今のテーマとつながりますね。
矢野 日立製作所に入社してからは20年くらい半導体の開発をやっていたので、直接そういうことに関わる機会はありませんでした。2004年に日立が半導体の研究をやめることになって、仕事を変えざるを得なくなった時に、なぜか人間寄りの研究に方向転換することになりまして(笑)。
西内 やりたかったことに戻ってきた、と。「近代統計学の父」と呼ばれるケトレーは、社会学の父でもあるんですよね。彼は、まだ平均値をとるくらいしか統計手法がなかった時代に、「社会物理学」という学問を標榜しました。犯罪率、結婚率、自殺率などを統計学的な法則から理解し、社会を捉えようとしたんです。
矢野 19世紀の人ですよね?
西内 そうです。ガウスの最小二乗法が出てきた、すこし後くらいの人ですね。彼はそれまで、個人に要因があると思われていた犯罪率が、そうではないことを発見した。じつは社会的な階層、例えば「読み書きできるかどうか」といったことと犯罪率が関連していることを、単純集計から明らかにしたんです。データを使って人間の行動や幸せを理解するというのは、人類に脈々と受け継がれる夢なのかもしれませんね。
ケトレーの集計表(『統計学が最強の学問である 実践編』P47より)
データの分析結果を社会に還元するということ
矢野 ハーケンもケトレーもそうですけど、データによって、学問が融合する流れができるというのも、非常におもしろいですね。
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