終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!
タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)
36歳の地図——国民的おもちゃになったタモリ 1
正月の軽井沢、タモリ・赤塚の奇行録
タモリは1978年から5年あまり、毎年正月を赤塚不二夫ら仲間とともに軽井沢ですごした。ブレーン役の高平哲郎の父親の建てた別荘があったからである。冬の軽井沢だから当然、辺り一面には雪が積もっている。タモリと赤塚はブリーフ一丁になってそこへ飛び出し、バカ騒ぎを繰り広げた。
あるときには、雪の庭で2人してイグアナとワニの真似をしたかと思えば、寒いのでいったん風呂に入ったあと、また庭に戻り、タモリが木に登ると、赤塚も負けじと雪のなかを転げまわった。またあるときは、赤塚が「こんな風景だけじゃ面白くも何ともねーよ!」となぜか雪景色に怒り出し、「じゃあどうすりゃいいの」とタモリに訊かれると、氷点下の雪降る庭で、全裸で平然と足を組んで週刊誌を読み出したという。
その後も雪のなかで何をやれば面白くなるのか、タモリと赤塚は体を張りながら試行錯誤を続けた。その末に、「人間が存在するということ自体が面白くないのではないか」という何やら哲学的な結論にたどり着く。もっとも、この結論にもとづき彼らが実際にやってみたのは、火をつけたロウソクを尻に挿入して後ろ向きに歩くというものだった。彼らなりに「この世のものでないもの」を考えたうえでの発想だというのだが、なぜそうなるのか、常人にはいま一つわかりかねる。
ともあれ、このときロウソクが太すぎて、けっきょく尻に入れられなかったタモリを尻目に、赤塚はロウソクに石鹸をつけることで易々と挿入してみせた。夜のとばりのなかを、ロウソクで灯された赤塚の尻だけが丸く浮かび上がる様子は、まるで宇宙人のようであったという。タモリもこれには感服し、「ケツにロウソク以上のことはもう俺にはできない」と屋内に戻ることにする。そのとき後ろで「ムサッ」という声がした。振り返れば、赤塚が雪のうえでうなっているではないか。どうやら、「ムササビー」と叫んで木から木へ飛び移ろうとしたところ、「ムサッ」と言ったところで落下してしまったらしい。
そんなことを、ほかの仲間たちを前に、庭と風呂場を往復しながら繰り広げた2人だが、足に泥のついたまま湯船に入るので、お湯がすっかり濁ってしまった。おかげで翌朝になって高平夫人からこっぴどく叱られたという。
さて、1979年の正月もタモリは赤塚や高平らとともに軽井沢ですごした。しかし正月3日だけは、朝8時半からフジテレビで放送された特別番組『放送演芸大賞』に出演している。ノンフィクション部門の受賞者に選ばれたためだ。同番組のプロデューサーは横澤
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