「オオイヌ座は冬の代表的な星座だ。真冬には南東の夜空にあがる。
オオイヌ座の
プラネタリウムに映るシリウスを眺めながら和真が言った。客席を埋めている酔っぱらいの客たちがそれぞれ肯く。
「シリウスの語源はギリシャ語で『焼き焦がすもの』って言葉だ。ちなみに冬の大三角形と呼ばれているのは、オリオン座のベテルギウス、子犬座のプロキオンと、このオオイヌ座のα星シリウスだよ。
ギリシャ神話では、オリオンが連れている猟犬がこのオオイヌ座とも言われてるんだ。あのオリオン座のオリオンね。一方で中国では『天狼星』って呼ばれててさ、シリウスを狼の目に見立ててる。どっちにしても犬や狼だと思われてるなんて面白いだろう?」
「それがオオイヌ座の話?」
中央の若い女がこちらを振り返った。
「いや、ギリシャ神話で語るオオイヌ座は、オリオンの猟犬っていう説とはまた別の説があるんだ。そのエピソードでは、この猟犬の飼い主はオリオンじゃないんだよ。今日はそのもうひとつの方を話すね」
そう言って和真はビールグラスに口をつけた。
「さて、今回の主人公はポーキス王の息子で超絶イケメン王子のケパロスだ。
しかもその妻のプロクリスもこれまた絶世の美女。
この若い王子と王女は誰もが羨むようなカップルだった。ケパロスはちゃんと自分が超絶美男子であることを知ってて、しかもチヤホヤされるのも好きだったから、晴れた日にはよく二人で手をつないで自分たちを見せびらかしに通りを歩いたりしてたんだよ」
「うわぁ、頭わるいし」と女が笑った。
「でも容姿は抜群だ」
「許す」と彼女は即答する。
「だろう? である日、曙の女神をやってるエーオースがケパロスを見かけて、そのあまりの美男子っぷりに一気に頭をのぼせてしまうんだ。
『んんんっもう! むしゃぶりつきたい!』
と思うやいなや彼女はケパロスを拉致、誘拐のうえ、むりやり自分の恋人にしてしまうんだよ。所詮ケパロスは人間だからね、抵抗する間もなくエーオースの宮殿に連れて行かれてしまう」
「なんかかわいそうね」
とカップルで来ていた女が言った。和真がそれに苦笑いする。
「うーん。どうかなぁ。確かに誘拐自体は不幸だった。でもケパロスは優柔不断っていうか、状況判断能力が低いっていうか、軟禁されてるっていうのにいつまでたっても腹をくくらないんだ。もうとっくにエーオースの恋人になってるくせに、
『プロクリス元気かなー、会いたいなー、ほんと美人、てかほんと美人っ! あいま二回言った、ま大事なことだからな、いやーほんと美人だったよなぁプロクリス、会いたいなー……あっごめん、つい』
とか言うんだよ、エーオースの隣でね」
「本気のバカじゃん」
「そうなんだよ。ガチなんだ。でも絶世の美男子なんだよ」
「許す」
酔った女が言い、周囲の客たちが笑った。
「だろう? エーオースはエーオースで彼を自分のものにしておきたいものだから、はじめは『そんなこと言わないでダーリン』って優しくしたり、『もう一回言ったら
「バカすげー」
「ほんとにね。でもさ、いままでさんざん無神経なこと言われた仕返しに、エーオースも最後にチクッと彼に言ってやるんだ。
『ケパロスさぁ、でもそんだけプロクリスが美人なら他の男がほっとくわけないじゃーん。今頃あんたのことなんか忘れてガッツンガッツン浮気してるでしょどーせ』
『まっさかぁ』
『そりゃ二三人くらいなら我慢するだろうけどさ。千人のイケメンが本気で口説いてきたら一人くらいコロっといくと思わない? いやマジで』
ないないないない、と余裕で手を振ったケパロス。
彼は意気揚々とエーオースの宮殿から帰って行く。
でも、最初の角を曲がったあたりからすぐに様子がおかしくなって、
『気にしないー気にしないー、ぜったいそんなの気にしないー』
とかあからさまに気にしだすんだ。家が近づくほどに心配になってきて、しまいにはエーオースの元に戻って『ねぇ、浮気してたらどうしようエーオースゥー』って相談する始末だよ。バカバカしくなったエーオースは『なら自分で試してみれば』ってボロボロの服を彼に渡すことにする。
『ありがとう、エーオース、やっぱお前いいやつだな!』
そうしてケパロスは服を着替えて旅人に変装すると、妻のプロクリスが本当に浮気をしない女だっていう確信を得るために、別人になりすまして言い寄ることにしたんだよ」
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