「オリオン座は言うまでもなくもっとも有名な星座のひとつだよね。冬を代表する明るい星座だ」
和真はビールグラスを片手にドームスクリーンを見あげる。
プラネタリウムの座席の客たちも同様に、スクリーンのオリオン座を眺めた。
「ギリシャ神話では、このオリオンはポセイドンっていう神様の息子なんだ。ポセイドンは大神ゼウスの兄弟で、海の世界の支配を任されてる偉い神様だ。だからその息子のオリオンは言ってみれば王子みたいなもんだね。ルックスだってカッコいい、てかむしろ超絶美形だ」
「王子で美形っ! いいじゃーん」
すでに酔っている若い女性客がこちらを振り返った。
「でしょう? でも残念なことに超巨人なんだよ。美男子なのに巨人ってなんかそれだけで笑えるってか、痛いだろう? 美男子なのに若ハゲ、みたいな感じの痛さ」
「わかるぅ」
女が声を上げると周囲の客もくすくすと笑った。
「さて、このオリオンはむちゃくちゃ体育会系で、運動神経が抜群だった。狩りの腕前なんかピカイチだ。でも性格はちょっとヤンキー気質なんだな。気が強くて、自慢話がウザイ奴なんだよ。オリオンはむかし結婚してたこともあるんだけど、それがまた嫁にベタ惚れでね。『俺の嫁どう? クソカワイくね? つかカワイすぎね?』とかって自慢しまくってたんだ。まぁたしかに彼女はカワイイし、聞いてる方もはじめのうちはよかったんだけど、そのうちだんだん自慢してるオリオンにムカツイてくるんだよ。いるだろうそういう奴」
「いたいた、昔同じクラスに」
こんどは手前の男が声を出して笑った。
「うん、どんなコミュニティーにも必ず一人はいるよね、そんなタイプ。とにかく自慢話をしているうちに気持ちが盛り上がってきて、どんどん表現がオーバーになってくるんだな。そうやって結婚してからっていうものずーっと仲間に嫁の自慢話してたんだけど、そのうちに彼はヘマをしちゃうんだ。
ある日調子にのったオリオンが、
『俺の嫁のシーデーっているじゃん? あれ会ったことなかったっけ? えマジデ? 会ったらビビっぞ、むっちゃくちゃ美人だから。でさぁ、なんか最近気づいたんだよ。あいつ実際問題ヘラ様よりもぜんぜん美人だと思うんだよね。そう思わね? そう思うだろ? あ、まだ会ったことねーのか、こんど紹介するわ、あぁくっそかわいいわぁシーデー』
とか言い出してさ。
ヘラっていうのはギリシャ神話のなかでいちばん恐い女の神様なんだよ。なんせ全能の神ゼウスの奥さんで、そのゼウスでさえ怖がってるくらいだからね。しかも彼女は地獄耳。オリオンのこの自慢話はとうぜんヘラの耳にも届いた。ヘラはオリオンの暴言の一部始終を聞くと顔色ひとつ変えないで、
『フツーに殺すし』
とか言って、いきなりシーデーを地獄に突き落とす。かわいそうなシーデーは自分は何も悪くないのに、ただただ男を見る目がなかっただけで地獄に落とされたんだよ」
「笑えないんですけど」と笑いながら女が言った。
「だよね。さすがにオリオンもしばらくは落ち込んでた。
でも、心の傷は時間と共に癒えていく。
やがて彼は別の女と出会うんだよ。
それはアルテミスっていう月の女神で、大神ゼウスの娘なんだ。これがまた信じられないような美人なんだよな」
カップルで来ていた女が言ったが、隣の男はなにも聞こえてないフリだ。その様子を見て和真が微笑む。
「しかもね、オリオンとアルテミスは趣味が合ったんだよ。
アルテミスは月の女神であると同時に、狩猟の神でもあるんだ。狩りの腕が抜群の二人は狩猟場で出会ってさ、才能を認め合って意気投合したってわけ。同じ趣味を持った二人の距離は急激に近づいていく。
『オメ、女のくせにすげーな』
『ちょっとなによ女のくせにって、あんたに負ける気すらしねーし』
『へぇ、ならあの
『そんなの目をつむっても狩れるっつの』
てな具合で狩猟場で技術を競いながら二人は毎日のようにデートを重ねていった。アルテミスもオリオンに負けず劣らずヤンキーノリで、馬の合う彼らはすぐに恋心が芽生えたんだ。日に日に狩猟場に行くのが楽しみになってくる。熱しやすいオリオンなんかすぐに結婚を意識したくらいだ。というか『もう今すぐ結婚して一生離さない!』とか思ってるんだよ。
……ところが、アルテミスには問題があったんだ。
彼女の仕事は『月の女神』『狩猟の女神』であることに加えて、もうひとつ。『貞操の女神』でもあったんだよ。もちろんセックスなんてもってのほかだ」
「ざんねーん」と女性の酔客が笑う。
「ほんとだよね」
「じゃあ、ずっとお預けくらうの?」
「うん。二人の関係はプラトニックのままだ。でもアルテミスも恋に落ちてしまったもんだから、大好きなオリオンの肌に触れたくなる。その切ない気持ちは日を追うごとに大きくなっていく。
そんななか、アルテミスの様子がおかしいと気がついたのが、彼女の双子のお兄さん、アポロンだ」
「アポロンって、聞いたことある!」
「有名な神様だよ。アポロンとアルテミスの双子は、大神ゼウスの子供でスーパーエリートなんだ。アルテミスは月を司っているけれど、アポロンは太陽を司る太陽神。で、スーパーエリートを自認している兄貴としては、貞操の神をやってる妹が恋に落ちて気が気じゃないわけだ。オリオンのことを熱っぽく話している妹にだんだんイライラしてくると、
『あの巨人、そろそろ目障りになってきたなぁ』
って肩をすくめると家を出たんだ」
「どうしたの?」
「寝てるオリオンの枕元に
「えーっ!」
大げさな酔客の反応に、他の客たちがけらけらと笑った。そうとう酔っているのだろう。
「なによ超いきなりじゃん! いきなり殺すの!?」
「まそういう奴なんだよアポロンは」
「どういう奴よ!」
「知らないよ会ったことないし。とにかく、オリオンはなにも知らずに熟睡してる。その枕元で蠍は巨人を見あげてる。
『この巨人のどこ刺したらウケっかなー』
そんなことを考えてながら蠍がベッドをウロウロしていたときに、ようやくオリオンが物音に気づいて目覚めるんだ。
『あ、サソリさんだ。……って、ぎゃぁぁあああーっ!』
当然彼は驚いて、慌てて部屋を飛び出した。
一度も振りかえることなく海まで全力疾走だ。
そうして蠍が追って来れないように、島から海へと逃げ出したんだよ。だから夜空に蠍座があがってくると、オリオン座は逃げるように沈んでいくんだね」
「へぇ」
「彼は眠る前まで『一生離さない!』とか思ってたはずのアルテミスを残して、海の奥へ奥へと進んでく。なんせ海は自分の父親、ポセイドンの縄張りだからね。彼にとって一番安全なんだよ。しかもオリオンは巨人すぎて海底に足をつけても海面に頭が出るんだ。呼吸の心配もない。まさに衝撃の巨人だよ」
「想像してたより遥かにデカイな……」
カップルの男が呟いた。
「だよね。で、一方アルテミスはそんなことも知らないまま、いつもみたいに狩猟場でオリオンを待ってたんだ。でも約束の時間になってもオリオンが現れない。
『あのバカ、おっせーな。狩りは一日休むと勘を取りもどすのに三日かかるからな。これであと三日は私の勝ち確定じゃん。もう……はやく会いたいのに』
なんて考えながらアルテミスは弓を構えると、雉子に狙いをつけて弓を絞った。でも指を離す瞬間にオリオンの笑顔がすっと頭を過ぎって弓は外れてしまう。乙女だよね。ちょうどそこへポケットに手を突っ込んだアポロンが現れると、一発で仕留められなかったアルテミスを冷たく笑うんだよ。
『お前恥ずかしいなぁ。身長だけが取り柄みたいなアホにうつつ抜かしてるからだよ。そんなんで狩猟の神やってられる神経が僕には信じられないな』
『なんだと? あの雉子の横っ面がアニキに似てたから逃がしてやったんだよ』
『またまた。言い訳ですか狩猟の神が。もう辞めちゃえば、そんなに下手くそなんだしさ、あはは』
『ちょっと! あたしに射抜けないものなんてないっての!』
『いくらアルテミスでも当たらない的はあるさ』
『もしもしぃ? なに言ってくれてんの? あたし何年狩猟の神やってると思ってるわけ?』
『へぇ、じゃああれに当てられる?』
とアポロンが
でも太陽神アポロンが的に選んだのは、ほんとうはオリオンの頭だったんだよ。
太陽の神様だけあってアポロンは陽の光を自在に操れたんだ。彼は海に反射した太陽の光をオリオンの頭に集めて黄金に
もちろんアルテミスはそのことを知らない。弓を構え、顎を引いて、狙いをつけるときりきりと弓をめいっぱい絞ったんだ。こんどこそ狙いを外さないように息を吐いて、止めて、放つ。
ズゴッ!
ていう音とともに、アルテミスの矢はオリオンの脳天に突き刺さった。その瞬間、海を金色に照らしていた光が 水面に吸い込まれるように消えていってさ。それまでがあまりに眩しかったために、光がなくなるとまるで世界中が夜に包まれるかのように暗く見えたんだ。
『噓……』
目が慣れてくる頃に、アルテミスはようやく自分が騙されていることに気づいた。自分の放った矢が、オリオンの額から痛々しく突き出ていた。
『アンタァ! アンタァァア!』
その場で崩れ落ちたアルテミスは、空が割けそうなほど悲痛な声で泣き叫んだ。でもどれだけ叫んでも、もうオリオンは戻ってこない。さっきまで輝いていた海も漆黒に変わって、愛しいオリオンの姿を飲み込んでいった……。
あまりの出来事に、月の女神アルテミスは悲嘆に暮れる」
「……結局、かわいそうね」
先ほどまで元気だった女の酔客が小声でつぶやく。
「うん。アルテミスは最愛の人を、自分の手で殺してしまったんだ。
やがて彼女は父親に面会を求めると『せめて私が月へ仕事に行くときだけでも、彼に会わせてください』と懇願した。父親の大神ゼウスは全能の神だからね、その気になればたいていのことは実現できちゃうんだよ。面倒くさそうに話をきいていたゼウスも、なんだかんだ娘には甘いもんだから、
『もーしかたないなー』
って言って首のつけ根を掻きながら、死んでしまったオリオンをさらっと星に変えてしまうんだ。そして娘の望む通り、その星を月の軌道の近くに置いてあげることにした。
だからアルテミスはきっと今でも、自分の手で殺してしまった恋人を月から眺めてるんだよ」
次回「すべらないオオイヌ座伝説」は、11/4更新予定
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