第71回】私のレースがアンティークになればうれしい プリンセスレースの第一人者・阿部薫さんに聞く

ドイツのシュトゥットガルトに在中の川口マーン惠美さんが、EUから見た日本や世界をテーマにお届けするコラムです。


〔PHOTO〕gettyimages

レースの起源は、中世ヨーロッパの修道女の手仕事であったらしい。美しいモチーフで作られた純白のレースは、神への捧げものとなった。

さらにさかのぼれば、庶民が袖周りのほころびを繕うのに、ほころんだ場所から糸を抜き、そこに装飾的な工夫を施したところに、レースの原型があったとも言われる。その手法はいつしか美しい手工芸として定着し、母から娘へと世代を超えて伝えられていった。

オランダの画家・フェルメールの作品に、「レースを編む女」という有名な絵がある。かつてのフランドル地方(現在のオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部)は、中世以来、商業、経済の発達した地域で、イタリアのベニスと並んで、レース工芸も盛んだった。

レースが華美で装飾的なものに変化したのは、16世紀以降だ。当時の王侯貴族の肖像画を見ると、男も女も、首周りや襟首に、クジャクと見紛わんばかりの大仰なレース飾りを付けている。高級衣装としてのレースの価値は、以後、フランス革命まで変わることはなかった。


作品の前に立つ阿部薫さん

急増した需要に対応すべく生まれた「プリンセスレース」

今月の18日と19日、横浜のそごうで、「プリンセスレース」の体験レッスンというのがあった。プリンセスレースは、太陽王やポンパドゥール夫人の胸元を飾っていたレースとは、少し毛色が違う。故郷はやはりフランドル地方だが、その歴史はそれほど古くなくて19世紀。愛用者には、たとえばナポレオンの奥さんのジョセフィーヌがいる。

18世紀に興った産業革命は、人々の生活様式を一変させた。1日16時間も工場で働いても、ぎりぎり飢え死にしないほどの賃金しかもらえなかった多くの労働者が生まれた一方、市民階級が勃興し、あちこちの都市で豊かな生活が開花した。消費する力のある層が増えれば、ファッションの流行も変遷する。懐具合のよくなった人々は、以前は大金持ちだけが手に取れた贅沢品を求めるようになる。つまり、豪華なレース製品を欲しがる人たちが、急速に増えたのである。

ところが、従来のレースの制作方法は、あまりにもお金と時間がかかり過ぎた。最高の作品になると、1平方センチメートルに250目が入ったというから、気の遠くなるような作業だ。作品によっては、完成までに数年はかかる。ようやく納品に行ったら、注文主は没落したあとで、豪邸の持ち主はすでに変わっていたという逸話が残っているほどだ。

これでは急増した需要に対応できない。そこで発明されたのがプリンセスレース。今までのように"織る"のではなく、どちらかというと手芸的な要素が強い。具体的に言うと、細かい目のチュールの上に、レース製のパーツを、超極細の糸で絵を描くように縫い付けていく。パーツは、すでに出来上がっているものもあれば、テープ状のきれいな文様のレースを、糸を引っ張ったり、抜いたりしながら、思いどおりの形に整えていく場合もある。

見ているだけで疲れる細かい作業だが、それでもこの手法により、レースの制作時間は格段に短縮された。しかも、チュールやテープが機械織りとはいえ、美の欲求には十分に応えることのできるレースが誕生したのであった。ベルギー王室はこのレースに"プリンセス"という言葉を冠することを許可した。

しかし、レースの流行は長くは続かなかった。100年以上たった1960年代、ウーマン・リブ運動が広まると、レース自体の女性的なイメージが嫌われ、70年代にはほとんど見当たらなくなった。レースの古色蒼然としたムードも、人々の嗜好に合わなかったらしい。買い手がいなければ作り手もいなくなり、そうするうちに、材料さえ調達が不可能になる。現在がまさにそれで、プリンセスレースには、本家のベルギーでもほとんど作り手の後継者がいない。


阿部さんが制作中のプリンスレース

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シュトゥットガルト通信

川口マーン惠美

シュトゥットガルト在住の筆者が、ドイツ、EUから見た日本、世界をテーマにお送りします。

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