『夏のキグナス 三軒茶屋星座館』柴崎竜人(講談社)
あらすじ:三軒茶屋にひっそりと佇むプラネタリウム。店主・和真のもとに、10年ぶりに双子の弟・創馬が帰ってきた。娘だという美少女・月子を連れて。娘1人にお父さんが2人。奇妙な共同生活が始まった……。“親子3人”の暮らしに乱入する、和真に恋する謎の美女。そして、家族の秘密の鍵を握る存在が、哀しくも大切な過去を、少しずつひもといていく。
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和真は息をひとつ吐くとビールで口を湿らせた。
「その太陽神アポロンの息子に、パエトーンっていう少年がいた。とくべつイケメンじゃないけど、とにかく剽軽な子供で、学校のクラスでもなかなかの人気者だ。
ほら、グループにそいつがいるとなんか楽しそうな感じがする奴っているだろう? そんな感じの男の子だったんだ。パエトーンが話すと『お前ってほんとバッカだよなぁ』って笑いが生まれる。クラスで面白い奴ランキングの投票ではいつもトップ3の座を守ってた」「大塚くんみたいな人?」と月子が振り返る。
「大塚くんは知らないけど、たぶんそんな感じだ。とにかくパエトーンは笑いに対してはどこまでも貪欲なんだ。自分が一番面白いって信じてたし、すこしでも笑いがとれそうなら先生に怒られたって平気で大声を出してギャグを連発してた。でもね、それでも彼はクラスの一番にはなれなかったんだ。キグナスっていう強敵がいたんだよ。
『パエトーンも笑えるけど、やっぱ一番面白いのはキグナスだよなー』
っていうのがクラスの評判だった。決して面白さでは負けてないはずなんだけど、なんていうのかな、キグナスには『自分はみんなから認められてる』っていう余裕があって、それが笑う側の安心感にも繋がってるんだよね。一方でパエトーンは笑いを取るのにどこか必死になりすぎちゃってたから」
「待って、これなんの話?」
白鳥座の話だよ、と葵に答える。
「でもこれギリシア神話なんじゃないの?」
「うん。でも僕のなかではギリシア神話ってこういうイメージなんだよ」
「……ま、いいや」
「で、パエトーンのライバル、クラスで一番面白いキグナスには必殺のギャグがあったんだ。それ一発でクラスを大爆笑の渦にするような必殺ギャグが」
——夏のキグナス 三軒茶屋星座館』13~14ページより
ギリシア神話は日本人と親和性が高い?
−− 『夏のキグナス』では、プラネタリウムの主が語るやたらフランクなギリシャ神話が特徴ですね。
柴崎竜人(以下、柴崎) あはは、そう思いますよね。でもあのまんまなんです。あくまで僕の解釈では、ですが。ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』から一通りギリシア神話は再読しているんですけど、結局、自分の頭の中で物語を思い描くとああいうかたちになっちゃうんです。
—— 美女を抱くことしか考えていない「絶倫大王」こと大神ゼウスをはじめ、そのゼウスの超恐い奥さんである女神ヘラや、「モテたい」がためだけに数々の難行に挑む英雄ヘラクレスなどなど、完全に現代版に「超訳」されていますね。
柴崎 以前、村上春樹さんが「翻訳には賞味期限がある」とおっしゃっていましたが、古典と呼ばれる作品ほど、その時代に合った翻訳が必要になってくるかと思います。
であれば、紀元前8世紀ごろ、すなわち約2800年前に書かれたギリシア神話だってそうあるべきだし、翻訳ではなく超訳として僕なりに焼き直しした、「本当はおもしろいギリシア神話」みたいなものを提示してみたかったんですよね。
—— そもそもギリシア神話をお好きになったきっかけは?
柴崎 きちんとした翻訳物のギリシア神話を読んだのは高校生になってからですかね。いろいろ悶々とする年頃なので、男女の性愛にまつわる話に惹かれたという、不純なルートで(笑)。
—— ギリシア神話って、子供のころになんとなく通ってはいるものの、成長してから読み返すということはあまりないですよね。だから、いま改めて主人公の語る物語に触れると「こんなにえげつない話だったんだ?」と驚くというか、笑ってしまうというか。
柴崎 じつはギリシア神話って、日本人と親和性がものすごく高いと思うんです。日本人はみんな自分の誕生星座を知っているし、星座占いだって、血液型占いと同じかそれ以上に身近でメジャーな存在ですよね。だったら、みんな自分の星座の物語(ギリシア神話)を知りたいんじゃないかなって思って。
—— たしかに、自分の星座には興味がありますし、ゼウスにしろヘラクレスにしろ、登場人物の名前にも馴染みがあります。
柴崎 この秋、ヘラクレスを題材にした映画が2本公開されるんですよね(9月公開のレニー・ハーレン監督『ザ・ヘラクレス』と、10月公開のドウェイン・ジョンソン監督『ヘラクレス』)。
トレーラーを見ると、ド真面目なヘラクレスが大獅子と戦ったりしている様子がCGを駆使して描かれていて、ものすごくかっこいい。でも、『夏のキグナス』を読まれた方からすると、コメディに見えてしまうかも(笑)。
—— 「ヘラクレスさんめっちゃ気合い入ってますけど、ほんとはモテたいだけですよね?」って(笑)。
柴崎 そう、「大きめの猫だと思えばいける!」っていいながら大獅子に飛びかかるヘラクレス。もちろんかっこいいヘラクレスも大いにアリ、というかむしろこちらが一般的なイメージなんですけど、映画とこの小説の両方で、ヘラクレスのカクテルみたいなものをおいしく味わっていただけるんじゃないかなって。
ゼウスは書いていて一番楽しいキャラクター
—— ヘラクレスもそうですけど、ギリシャ神話の神々は、誰も彼も人間味がありますよね。
柴崎 みんな飾らないというか、神様なのに人間より人間くさい。彼らが抱えている問題っていうのも、じつは現代でも起こりえる、というより昔からやってることは一緒なんですよね。
—— 一緒と言いますと?
柴崎 たとえばヘラクレスは、もともとの自分のエリート人生を、他の人間に奪われてしまいます。そのうえある女神によって狂気にとりこまれ、自らの手で妻と子を殺してしまうことになる。もう踏んだり蹴ったりじゃないですか。「なんてことをしちゃったんだ俺のバカ、バカッ!」と絶望していたヘラクレスですが、やがて太陽神アポロンから、贖罪のために、親戚のエウリュステウスという王様に仕えるようにアドバイスされます。
—— エウリュステウス王、通称「エったん」ですね。
柴崎 ははは、そうです。でもこのエったんは、そもそもヘラクレスのエリート人生を横取りした張本人。非道い目に遭わされた挙げ句、なおかつそんな人の部下として働かなきゃいけなんて……みたいな鬱屈とした感情は現代の会社員の生活のなかにもきっと渦巻いている気がします。人間関係とか、人間の業みたいなものは昔もいまも変わらない。しかも、それを神様がやってるわけですよ。
—— おもしろくないわけがない。そして、その物語のキーマンとなるのが大神ゼウス。とんでもないエロジジイですね。
柴崎 この、なんでもありのキャラクターであるゼウスが物語を引っ掻き回すっていうのが、またおもしろい。ゼウスは、書いていて一番楽しいキャラクターでした。もう、僕が手を加えなくても勝手に動いてくれるような感じだったので。
—— そういう意味では、ギリシア神話はある種のキャラクター小説という見方もできますね。
柴崎 物語としてものすごく完成されているんですよ。なにしろ、3000年近く読み継がれていて、いま読んでもおもしろいですから。ストーリーもキャラクターも、千年単位の歴史に耐えうる強度を持ってるんですよね。
—— ギリシア神話は、文学作品として成立する以前は口承で伝えられていたわけですよね。遥か昔にも語り部によっては、「ゼウスきたー!」みたいな拍手や笑いが起こっていた光景が浮かぶような気がしました。
柴崎 あはは、あったでしょうね。いずれにせよ、僕の小説でギリシア神話に興味を持ってくださった方が、「原典にも当たってみようかな」みたいに思ってもらえたらうれしいですね。基本的には、「三軒茶屋星座館」シリーズは大きな入り口であってほしいんです。
—— 『夏のキグナス』は、「三軒茶屋星座館』シリーズの第2巻にあたるわけですが、「前巻までのあらすじ」もまた凝ったつくりになっていますね。
柴崎 そこも、2巻が1巻への入り口になるよう意識したんですよね。普通のあらすじにはしたくなったので、舞台や映画の脚本風にして、あたかもゼウスが星座館(プラネタリウム)で、読者を相手におもしろおかしくこれまでの顛末を語るというかたちに。
—— 文字通り「神の視点」ですね。しかも、ここでゼウスのキャラクターも掴めてしまう。
柴崎 じつは、ここでゼウスのキャラクターが受け入れられなかったら、その先を読んでもらえないかも……とも思ったんですけど、このゼウスがダメなら、どのみち小説自体も気に入ってもらえないかもしれない。だったら、もうアタマに持ってきちゃったほうがむしろ親切だろうと。
敷居を下げて、カーペットをざーっと敷いて、「いらっしゃいませ。お待ちしていましたどうぞお入りください」ってお迎えする気持ちで「前巻までのあらすじ」を作りました。
次回「血の繋がりによらない家族のかたちとは」は、11/4公開予定
構成:須藤輝 撮影:吉澤健太
『三軒茶屋星座館』
柴崎竜人(講談社)
『夏のキグナス 三軒茶屋星座館』
柴崎竜人(講談社)