小林エリカ(以下、小林) 今回、「クリームソーダシティ展」を開催するに至った経緯を教えていただけますか?
長尾謙一郎(以下、長尾) 週刊ビックコミックスピリッツで連載していた漫画『クリームソーダシティ』が途中で終了したのを受けて、続きを絵画でやってみないかというお話をいただきまして。
小林 かなりの大作が大阪と東京で展示されましたね。
長尾 はい。ほとんどの作品を一ヶ月くらいで描きました。
小林 とても短い期間で描かれたんですね。
長尾 でも、連載が終わってしばらく時間があいたので、なかなかクリームソーダシティの世界に入っていけずに苦労したんですよ。最初は、主人公のDr.皇とTAKO介をクリームソーダシティへと誘うマルクスを描いてたんですが、だんだん本編に登場しないキャラが出てきてしまって。
小林 そうですね、初めて見るキャラがいます。
長尾 この物語はまだ終わらないんだな~って思いましたね。我ながら、なかなか不思議な展開をするんだなとしみじみ感じました。
小林 長尾さんは作品を作る際に、あらかじめ展開を決めているんですか?
長尾 ストーリーやセリフは大雑把にしか考えていないですね。もちろんメインのキャラクターは決めているけど、途中でどんなキャラが出てきて、どんな風に世界を変えていくかとかは、ま~ったく考えてない(笑)。
小林 漫画でも、今回の絵画のように突然湧いてくるってことですか?
長尾 そうです。絵画のように自分でも何が描きたいかまったくわからない状態で、絵筆をすすめていきます。予定調和じゃ自分が楽しめない。
小林 へ~、おもしろいですね。では、クリームソーダシティという楽園のキーマンであるマルクスは、どのようにして出て来たんですか。
長尾 もともとユートピア(理想郷)や楽園を題材にした作品を描きたいと考えていまして。
小林 ユートピアとマルクス主義がつながったんですね。
長尾 そんなときに、編集者から突然次の作品のテーマに「マルクスどう?」って言われたんです。それまで特に興味はなかったけれど、数日前から本を開くとマルクスがよく出てきていたので、「あれ? なにか近づいてきてるな」と(笑)。
小林 宿命的な?!
長尾 それまでちょこちょこマルクスが僕に近づいてきていたのもわかっていたので、おもわず「編集長それです! 今頭に何か入ってきました! マルクスで行きましょう」なんて宣言しちゃって。水道橋のドトールで(笑)。
小林 なるほど、マルクスが長尾さんに降りてきた瞬間ですね(笑)。
長尾 その帰りに新宿の紀伊国屋で『資本論』を買ったけど、結局20ページもまともに読めず『固いな……、こりゃ全然おもしろくない』と愕然としたんですが、しばらく考えて、この本としての『読めなさ加減』はある意味ダダ的なのではないかと解釈したんです。そこで思ったのは、この『本なのに読めない』というある意味、「無」はとてつもない力があり、世界を変容させる力があるのではないだろうかと考えたんです。
長尾 『資本論』って実は、世界中どこの国でも『読めない本』が定説らしいんです。原書は英語で書かれているのですが、イギリス人でもやっぱり20pしか読めないのが定説で、世界中の人々が20pしか読めないそうなんです。
小林 そうなんですね。
(小林エリカ追記:これ先日知ってお伝えしようと思ったんですが、ポル・ポト体制のカンボジアを生き延びた映画監督で作家のリティ・パニュが『消去』という作品の中で「字を読めない者がマルクス主義を「いちばん」信奉する。彼らは武装する民衆だ。そして服従する民衆だ。」と書かれているのを見つけて凄く納得しました!)
長尾 マルクスの活動のすべてにおいて、ずっとエンゲルスが金銭的な援助をしていたんですが、なかなか原稿をあげてこない。そして、何年も経ってからようやく書き上げたものを読んだら、これがよくわからない。おもわず『章で割ったらどうだろうか?』ってマルクスに提案するんですが、すぐに『まあいいや、そんなことどうだっていいや』って言って、彼はそのまま刊行したんです。おそらく、エンゲルスにとって中身はどうでもよくて、世界を変容させる「無」であれば良かったんだと思うんです。
小林 はい。
長尾 いくら読んでもわからないものって「無」です。それは台風の目のように、すごいパワーを生み出す、と僕は解釈しています。デュシャンの便器やジョンケージの無音の曲のように……。
小林 そこには「無」が存在しているわけですね。
長尾 マルクスって、実はナンセンス文学や意味がわからないものが好きだったらしく、彼にとって人生は冗談みたいなもので、世の人々をひっかけてやろうと思って執筆していたんじゃないかな。創造か嘘か境目がない境地というか。そこに立つことは、この世界では『悪魔』になることなんだけど、それこそが芸術家なんだと思います。
『色即是空』を証明するっつーかね……。
小林 今のお話を聞いて、確かに『PUNK』も『クリームソーダシティ』も「無」がテーマなんだと気づきました。「無」を描くことで、今我々が手にしている「有」が見えてくるという気がします。
私が書いた『マダム・キュリーと朝食を』で取り上げたキュリー夫人は、逆に「無」から「有」を取り出そうとした人なんです。
長尾 ほうほう。
小林 そもそもキュリー夫人は放射能という言葉を作った人なんです。そんな言葉もない時代に、何かおかしな現象が起きているかもしれないというところから研究を進めていくんです。何か目に見えないものを、なんとか科学の力で読み解いて、そこに納得する形を与えたいという動きが集中したのが19世紀末だと思います。
長尾 放射能も見えないから不思議な現象に映るんだね。
小林 この時は、目に見えて手に取れないと信用できないというのがまかり通っていた時代なんです。
だから一番はじめに、キュリー夫人が実験の論理の上から、まず何やら莫大な放射能を持った新しい物質があるはずだって主張をしてそれをラジウムと名づけたんだけれども、偉い人たちにラジウムっていうけれどそんなものない、あるなら取り出して見せろと言われる。そこで彼女は3年がかりくらいで11トンの鉱石からようやく1デシグラムの光るラジウムを取り出したんです。目に見える、形にしてみせて、ようやく初めてラジウムは存在したことになりました。
長尾 偉い! キュリー夫人(笑)。あ、すいません……。
小林 そうなんですよね。キュリー夫人が取り出したラジウムという物質は半減期が1601年くらいと言われています。
彼女の遺したノートにガイガーカウンターをかざすと、いまだに数値が上がるんです。それは、放射性物質を扱っていた彼女の指が触れた部分だと教えられました。1902年にラジウムを取り出してから1601年後、つまり西暦3503年に、たとえ誰ひとりキュリー夫人の名前を憶えていなくても、彼女の痕跡そのものが残っているのはすごいことだなって。そこに惹かれて、彼女に興味を持ちました。
長尾 うんうん、すばらしいですね。この物語、本当におもしろかったです。放射能を光と解釈して描いて、善悪から解放されたところで扱われているんですよね。
小林 ありがとうございます。うれしいです。
長尾 僕がこの物語をスゴいと思ったのは、いろいろな時代を登場人物が行き来するんです。物語を書く上で重要な『時間』という観念を超えてるんです。語り手の目線が変わり、主観や私さえも超えていくんです。
小林 はい。
長尾 僕は、漫画という作品では自由に時間を無視して、ストーリーの中であっちこっちいきたいと思って作るんですが、それがなかなかできなくて。
しかし、エリカさんの物語はできてるんですよね。エリカさんの考え方にすごく感動します。もしこの本が白紙だとしても、エリカさんが今考えていることや思想をもって、「これが私の作品です」と言っても、おそらく芥川賞候補になったと思いますよ(笑)。
小林 長尾流の最高の褒め言葉、いただきました(笑)。私こそ『クリームソーダシティ』を読んで感動したんですよ。この作品はいろいろ解釈できると思いますが、私にとっては、現実をこんな風な角度から描いて、善悪の基準や時間の基準とか世界観を揺るがせることで、こんなにも私たちの現実そのもののを把握しようとすることができるんだ!ということに衝撃を受けました。
長尾 それこそ、さっきも言いましたが、エリカさんが物語のモチーフに扱った放射能は、善悪の基準なんてものはとっくに超えていると思います。3.11のあとに、放射能を別の視点で描くなんて。
小林 放射能をいろいろなところから見られたらいいなと思って光として描きました。先ほど対談が始まる前に、長尾さんに「光の反対は闇ですか。今日は光と闇の話ですね」って聞いたら、「光と無」だと言っていてとても納得しました。
長尾 そうだっけ、すごいな。今日のテーマのことちゃんとわかってたんだ(笑)。
(客席より) ちなみに、キュリー夫人の誕生と『資本論』の発表が同じ1867年です。
長尾 すごい、なんなのそのシンクロニシティは!
小林 それだ! もう私たちが生きている一瞬一瞬は奇跡の積み重ねでできているようにさえ思えてきますね。
長尾 エリカさん、それです! 今頭が熱くなってきました!(笑)
次回「見えないものを形にするクリエイションの力」は、10/31更新予定
構成:力石恒元