担当編集者の太鼓判!
大好きな「新潮クレスト・ブックス」の創刊編集者だった松家仁之さん。編集者の大先輩という気持ちで、ご一緒させていただきました。カーサ・ブルータスでの連載が終了してから、入稿までに数ヶ月を要し、初校、再校、さらに念校でも、たくさんの赤字を入れていらっしゃいました。その丁寧なお仕事ぶりに感嘆、物語がその度に少しずつ変わっていくことが、実に楽しみでした。流れるような美しい文章と、魅力的な主人公たち。小説を読む楽しみを、じっくり味わっていただけたら幸せです。
(マガジンハウス 広瀬桂子)
謎を謎のままに描くということ
—— 初めは古い家のことを書こうと思って始めた小説が、恋の話に転じていったとのことですが、それは結果から見るとなぜだったと思いますか。
松家 どうしてですかねえ……。本の装丁に使われているミア・ファローの写真、これは1969年の映画「ジョンとメリー」の頃のミア・ファローなんですけど、この映画の影響は確かにあります。僕はとにかく「ジョンとメリー」が大好きなんです。
—— 小説の中でも主人公とヒロインの佳奈が二人で「ジョンとメリー」を観る場面が描かれています。
松家 奥さんと別れた設計士がダスティン・ホフマンで、ミア・ファローはずいぶん年上の男と不倫関係にあってそれに苦しんでいる。その二人がバーで出会い、酔っぱらって彼の家に行って一晩過ごすんですけど、目が覚めたらお互いにどういう人物かまったくわからないわけです。そこから探り合いが始まる。
—— お互いがお互いにとって謎ということですね。読者にとっても、主人公にとっても佳奈という女性は、本当のところなにを考えているのかわからない謎の多い人物です。書いている松家さんにとって佳奈はどんな女性だったのでしょうか。
松家 まったくの謎ですよ。本当はどうしたいのか、どうしてほしいのか、僕にもわかりません。
—— それは謎めいた女性として設定したということでしょうか。
松家 書いているうちにそうなったんです。はじめは、久しぶりに元恋人と再会するという設定を考えただけで、キャラクターはあとで肉づけしていきました。なにせ場当たり主義なので(笑)。物語が進展していくなかで段々とできていったということです。
—— ヒロインを魅力的に描こうという意図はなかったのでしょうか。
松家 恥ずかしながら(笑)、そこには55歳になっても消えない、僕の女性に対する憧れがそのまま出ていると解釈してくださっていいかと思います。ダメなんですよ、「女なんてこんなもんだよ」なんてとてもじゃないけど言えない。いまだによくわかりません、教えてください(笑)。
—— そうなんですか(笑)。謎といえば主人公が住む古い家にも謎が多いですよね。誰が描いたのかわからない絵がかけてあったり、何のために作られたのかわからない、開かずの間のようなスペースがあったり。
松家 謎ですよね。古い家ってときどき、どうしてこうなっているんだろうという箇所があるんです。マンションなんかではありえないのですが、家を建てた人がある意図を持ってつくったディテールが、あとから見る人にとってはわけがわからない状態で残ってしまっている場合がある。
—— 小説の中では家と主人公の間にも男女の関係のようなものがあるように感じました。
松家 なるほど、それは意識していなかったです。家が女の人のようだということですね。フランス語で家は女性名詞ですかね?
—— 調べてみますと……、どうもそうみたいですね。家はmaison(メゾン)で女性名詞です。
松家 やっぱり女性名詞でしたか(笑)。フランス語の女性名詞、男性名詞の区別に、なにか意味があるわけではないと思いますけど。どちらも僕にとっては謎が多い存在です。すべてを語ることはできない。
—— この家は築55年、松家さんと同じ年齢ということになります。
松家 昭和34年に建てられた家です。それは意識的にそうしたんです。自分が家だったら、こんなボロボロなんだ、と(笑)。
—— でも愛情を持ってリフォームすることでキレイに生まれ変わるわけです。
松家 当時はまだ古い日本の家のスタイルが残っていたんですね。それが東京オリンピックを境に変わってしまった。だから設定としては必然でもあるんです。
—— 家について謎を謎のままに残しておく部分と、小説の中で明らかにする部分というのはどのように区別されたのでしょう。
松家 佳奈に謎を残したように、家にも謎を残したんです。全部はわかり尽くせないものだと思うんです、家というものも。
—— なんだか奥行が生まれますね(笑)。
松家 なにせ女性名詞だから(笑)。
ライフスタイルは思い通りにはならない
—— 佳奈が主人公に向ける印象的な台詞として、スタイルの決まった男性の生活に女性が入るのは大変、というものがあります。
松家 ライフスタイルへのこだわりって恋人同士でも夫婦でもぜったいにそれぞれ違いますよね。当然そこでのズレみたいなものが出てくるはずなので、そういうことも書いておきたいと思ったんです。ライフスタイルは憧れるだけならいいけれど、それを実践しようとすると必ず現実的な問題が生まれてくるものです。
—— 主人公はライフスタイルを作り上げることを強く求めながらも、結局は築き上げたライフスタイルを破棄するような決断をすることになります。人生に関わる大事なスタイルなのに手放さざるを得ないというのもある意味で皮肉というか不思議ですよね。
松家 55年生きて、ちょっと偉そうに言うとしたら、人生なんて絶対思うようにならない、ということをあらゆる場面で経験してきたということです(笑)。
—— 重みがある言葉です。
松家 いまごろ気づいたというか、でもそう思うんですよ。それが今回のストーリーにも反映されているかもしれません。
—— でも主人公はいつか思うようにしてやろうという希望を捨てていないと思うんです。それがこの小説を青春小説たらしめているというか。
松家 確かにあきらめていないですね。僕より若いからかな(笑)。
—— タイトルにも含まれている、優雅という言葉はどこから生まれてきたのでしょうか? 日常生活の中で、なかなか優雅という言葉が耳に入る時代ではないと思うのですが。連載開始時からこのタイトルでしたよね。
松家 そうです。ストーリーがどうなるかもわからなかったのに、タイトルだけ先に決まったんです。どうしてかな。
—— しかも優雅とはこういうものだと主張するわけではなくて、優雅なのかどうか……。
松家 わからない、ですからね(笑)。なにが言いたいんだろう。
担当編集者・広瀬氏(以下、広瀬) 単純に言うとこの本の主人公のように、独身になって、ある程度お金があって好きなように暮らしていてと聞いたら、私はああ優雅そのものだなあって思うんですよね。でも本人はまわりからそう言われても、「優雅なのかどうか、わからない」と言っている。その相反するところがすごくいいと思うんです。そしてこの言葉が小説の最後のシーンにも関わってくるわけです。ちなみに連載と本とでは最後がちょっと違うんですよね。
松家 本にするときに、最後をどうしようかとさんざん迷ったんです。小説の終わりは本当に難しい。人生は続いてゆくわけですけれど、それをどこかで区切らなければならない。簡単に結論を出すわけにもいかないし、主人公の思うとおりになったかどうかもわかりません。
—— 終わらせるのが難しいという感覚について、もう少し説明して頂けますか。
松家 小説というのは、人物が出てきて動いていくうちにストーリーになりますよね。それが最終的にどうなったのかと問われるとき、昔話であれば、「幸せに暮らしましたとさ」とか、それなりの結び方にしないといけない。読み終わったときに、いったいなんだったんだろうとか、どうしてこんなふうににしちゃったんだろうと思われたらまずいわけです。いいところで終わって、あとは読者にお任せします、というふうにしたいと思うんですよね。
—— そう考えると簡単には終われませんね。
松家 僕の小説は過去の2作も含めて終わり方は全部違うんですが、じゃあその先どうなったのかと聞かれたら、僕にもわからないと言うしかしかないという点では同じです。でも小説ってそういうものなんじゃないんでしょうか。
僕はいつもわからないことしか書いていないんですよ。日常生活でもわからないことだらけです。脳科学の本を一生懸命読んだりしても、それで自分の脳のことがわかるようになるかというと、ますますわからない。わからないの連鎖の中で生きている。ああ、これでいいんだと割り切れる、というのの反対側をどんどん行っちゃってますね。
—— でも、わからないんだから、わかるために書かなくていけないという気負いもないように思います。そこに目的を見い出しているわけでもないですよね。
松家 気負いもなくて、ただ迷っているだけです(笑)。いいんですよ、たぶんそれで。
(おわり)
構成:日野淳 写真:加藤麻希
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