『優雅なのかどうか、わからない』松家仁之(マガジンハウス)
あらすじ:48歳の主人公は離婚して一人暮らしを始めることに。改装可能な古い日本家屋で憧れのライフスタイルを実践するはずだった。しかしかつての恋人と再会した日から、自分の中にひとりでは埋められない何かがあることに気が付いてしまう。大切なのは家なのか恋なのか? そして優先すべきは理想なのか現実なのか? 不惑を超えても惑い続ける男の、哀しくも美しい恋愛小説。
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「あんなに優雅な、隙のないくらしぶりのなかに女性が入ってゆくのって、難しいのよ。雑音というか、自分が異物になっちゃうんじゃないかって。頭がのぼせる恋なんて最初の三か月かせいぜい半年でいったん終わるでしょ。あとはどんどん冷静になって、そこから先はどう相手を認めあえるかだから」
ぼくは黙っていた。
「趣味のあわない部分がつぎつぎに見つかって、ジョンはメリーにへきえきしてくるんじゃないかしら。たとえメリーがへっちゃらだったとしても」
「それはそうかもしれないけど、ジョンはさ、その雑音こそが好きというか、ちょっと辛辣に踏みこんでくるメリーだからこそ惹かれたんじゃないかな。ああいう男は、自分で築きあげたひとり暮らしに息苦しさも感じていて、どこかでそれを壊したくなるんだよ」
――『優雅なのかどうか、わからない』193ページより
自分と距離がなければ書けない
—— 現代の日本において男性作家が、こういうタイプの小説を書くのは珍しいと思います。大人の恋愛が描かれていて、そこに生活とかライフスタイルもあるという。
松家 そうなんですか? 僕はそれほど多く同時代の小説を読む方ではないので、自分ではよくわからないんです。
—— 女性作家ではいらっしゃると思うんです。江國香織さんや川上弘美さん、角田光代さんなどが思い浮かびます。
松家 なるほど。お三方とも、僕も読者として好きな方々ですね。
—— それが男性となると、ほとんど思い当たりません。特に生活がポジティブな楽しむべきものとして扱われているとなると、なおのこと少ないように思います。
松家 それはどうしてなんでしょうね。
—— 悪口では決してないのですが、男性作家にはライフスタイルそのものに強い興味がないというか、生活に対する美意識を打ち出す人は、年代が若い方であればあるほど、少ないように思います。
松家 あまり社会学的な話をしてもしようがないのかもしれませんけど、90年代以降の世の中の大きな流れとして、生活していくこと自体がどんどん大変なことになってきた。その中で、「素敵な暮らしなんて言ってられない」ということなのかもしれませんね。必ずしもお金をかけるということではないにしても、あるスタイルを持って、暮らしを大事にしていこうという男の人が少なくなっているのでしょうか。
——− そういうことなのかもしれないですね。
松家 小説というのは、やはり社会の動きや空気をいやおうなく反映してしまうということですね。もちろんすべてじゃないにしても。
—— 今回、松家さんがこの家やライフスタイルを軸とした小説をお書きになったのは、やはり連載媒体(「Casa BRUTUS」)が関係しているのでしょうか。
松家 それは完全にそうです。僕も「Casa BRUTUS」という雑誌を愛読しているんですが、読者として考えた場合、あるいは編集者としても——僕はまだ現役の編集者でもあるつもりなのですが——「この雑誌で小説を読みたい人っているのかな?」という思いが正直あったんです。
同時に作家としての僕としては、読まれないのは嫌だなと思うわけです。せっかく自分の好きな雑誌のページを頂戴して書くんだから、興味を持って読んでもらえるものであってほしい。じゃあどうすればいいかと考えて、「Casa BRUTUS」なんだから、家をテーマにしようと。
—— なるほど。
松家 もう一つ初めに考えたのは、新しく家を建てるという話ではなくて、古い日本家屋の話にしようということです。そこには今のマンションにはないようなディテールがある。
たとえば、
—— その家に住むことになる主人公を48歳の離婚したばかりの男性と設定したのはなぜでしょうか。
松家 「Casa BRUTUS」という雑誌は20代というよりは、30代、40代の人が読むのかなという気がしたのと、僕は今55歳なのですが、このくらいの年齢になってしまうと腰が重くなりすぎるというか。
—— 重くなるんですね(笑)。
松家 それと自分に近すぎると生々しくなって嫌だなとも思いました。少し若い設定にした方が距離がとれて、いろんなことを感じたり行動したりする様子を他人のような感じで見て、動かすことができるかなと考えたんです。
—— やはり距離が近すぎると書きにくいものなのでしょうか。
松家 今まで僕はたった今の自分が投影された小説は書いたことがないですし、これからも書かないと思います。僕にとっての小説は、あくまでもフィクションなんです。なにか枠をつくって、そこへ息を吹き込む作業というような。たった今の自分が考えたり行動したりすることとダブってくるような小説は、とてもじゃないけど恥ずかしくて書けません。
—— 家事が得意とか、経費清算は苦手というような主人公のパーソナリティーの細部はどうやってでき上がったのですか。
松家 僕は自分自身がタフで男らしくて頭が切れてっていうタイプの人間ではないので、フィクションとは言いましたけど、自分にはとても想像できないようなマッチョな男を書けと言われても無理なんですよ。
そういう意味では自分とイコールではないけれど、自分が想像することはできる、ある程度仲間として感情移入できるようなフィクショナルな人物を想定したということだと思います。あえて分析すれば、ですが。
先のことはまったくわからなくて書いている
—— ストーリーの展開は松家さんの前二作に比べると賑やかであると言えると思います。まさに「禍福は糾える縄のごとし」であるかのように、明るいトピックの後には不穏な出来事が起こるということが繰り返されていて、読んでいて気が抜けません。
以前のインタビューでは話の先の展開は考えずに書いているとおっしゃっていたのですが、今回ももし考えずにお書きになられているとしたら驚いてしまうほど、巧妙に話が運ばれていきます。
松家 実は今回も枠組みを決めただけで、まったくどうなるか考えないで始めたんです。雑誌連載は一回あたり400字詰20枚なんですが、毎回どうしようかなあ……と何日もうんうん言いながら書いていましたね。トータルで、ここでこういうことを起こそうとかはまったく決めていないんです。まさに場当たり的ですね。
—— そうなんですか。
松家 ただ、雑誌で一回分の20枚だけを読んだ人にも、ある程度の満足感を持ってもらいたいとは思っていました。当たり前と言えばそうなんですが、読み終わったあとに、遡って読もうとか、次回も読みたいという気持ちになってもらうように終わらせる工夫をしたつもりです。
—— それはどうしたら話としておもしろくなるかを考えるということなんでしょうか。
松家 そうですね。「次回もお楽しみに!」という感じで終わるにはどうすべきかとか、連載もあと3回だなとか、毎回苦し紛れですよ。
—— でもさすがに結末は考えていたのですよね? まさにこれしかないというような終わり方をしています。
松家 いえいえ、まったく考えていないですよ。
—— そうなんですか。
松家 そもそも恋愛の話になっていくとも思っていませんでしたから。佳奈(主人公と再会する元恋人)という人物も、連載の一回目を書いているときは頭の中になかったかもしれません。
—— えっ? でもこれは恋愛小説ですよね。
松家 大枠として家を書く、古い家を題材にして書くということしか考えずに書き始めたわけですから、その時点では恋愛を書こうとも思っていなかった。だんだん恋愛の運びになるのは最初の計画ではなかったんです。ひどいですね。
—— でもきっと予め細かく決まっていたら、こんなふうにふくよかな小説にはならなかったのではないでしょうか。
松家 僕はそういうふうにしか書けなかったというだけです。でもあえてそれを弁護すると、我々だって明日どうなるかわからずに生きているじゃないですか。グランドデザインなんてあって無きがごとしだし、あったとしても必ず裏切られるものですよね。
そういう人生を生きているんだから、小説の中を生きている人たちだって、粗筋の通りに動いていたらつまらない。現実の人生もまったくの偶発性の中でしか進んでいかないものなので、彼らにもそうしてもらったということでしょうか。
次回「謎だらけの女、人生、小説のこと」は、10/28公開予定
構成:日野淳 写真:加藤麻希
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