「他人から仕送りをもらう女子大生」からもわかるとおり、これまでのような「面倒をみるのが当然」という固定的な立場や関係も、どんどん変化しています。
むかしは、親戚の仕事の世話は当たり前でした。だから学生が仕事を探すときは、「まず親戚の叔父さんに相談」がごくふつうのルートでした。でもいま、就活の時期に「まず親戚に相談」という学生は少ないでしょう。
同様に「夫婦だからいっしょに住む」という関係まで変化しています。いっしょに住みたいから住む。便利だからいっしょに住む。こうした「そのときの気持ち優先」が僕たちのあこがれになりつつあるのです。
さらには、「親だから子供の面倒をみる」とか「子供だから親の面倒をみる」ともかぎらなくなっていく。
子供の助けは借りず、自分でケアハウスに入る老人は多い。いつまでも親の世話になるひきこもりやニートが激増する一方で、大学時代に一人暮らしを始めて、卒業後は完全に独立する子供も増えています。
「大学を卒業して数年したら独立」というかつてのパターンはもう崩れています。
若者や弱者がだれにサポートしてもらうかは、個人によって違う。こんな社会がやってきたのです。
そうなると、つながりが薄くなって、弱者はどんどん孤立するかもしれない。
逆に弱者であっても、どこにいようが、だれとでもネットを介したコミュニケーションがとれるようになるわけですから、つながりは無限になり、「助けてもらえる可能性」も無限に拡がっていきます。
どうなるかは、その人の「評価」しだいです。
他人とのつながりをつくれなかった人は、頼れる親に最後まで依存することになる。
ネットなどでつながりをどんどん強化できる人は、親や地域からも自由になれる。広大なネットの海で、会ったこともないだれかからサポートを受けられる世界がやってきたら?
『未来改造のススメ』(アスペクト)という僕の本の共著者でもある小飼弾さんも予見していますが、「無償の奉仕」や「かわいげ」が、いまよりもっと重視されるようになるでしょう。
「かわいげ」のある人は、いろんなサポートを受けることができる。
「かわいげ」のない人は、自分のチカラだけで生きていかなくてはならない。
いまや「かわいげ」は、ビジネススキルや資格よりも「生き残り戦略」にとってずっと重要な要素になりつつあります。