※10月15日更新時点、誤りのある原稿が一時的に掲載されました。
10月15日13時より、正しい記事に差し替わっています。お詫びして訂正をいたします。
詩として受け入れられたから詩を書こうと思った
この世にはさまざまな表現のかたちがあって、いまは音楽やデザイン、アートなどは巷でよく見かけますが、詩というのはどちらかといえばマイナーなジャンルに属する印象です。
ことばを使うといえば、小説を目指す人は多いけれど、詩はなかなかいないのでは? なぜ、詩を書きはじめることになったのですか。
わたしも最初は、詩を書こうという気持ちなんてまったくなかったです。ブログに、それが何と呼ばれる文章なのかとくに考えることもなく、記事を書いていただけで。読んでくれた人から「これは詩だ」と言われ、だったらこれを詩として発表しましょうという流れになりました。ひたすら自分が心地いいとおもえるものを書いて、いい感じになったなとおもえたらアップする、ただそれを繰り返していたんですよね。
ブログはいつごろからはじめたんですか。
中学生のときにはもうやっていました。当時は日記の体裁でしたけど。ただ、そのころも、今日あった出来事や何かしたいことについて書いていたわけではなくて、だれかに見られることを前提にして、考えていることを書いていました。だから、すでに詩に近い文章ではありました。それに、多くの人もそうだとおもうんですが、ネットに書く日記なんて、たいてい現実のことやほんとうのことじゃないんですよね。
「詩として発表できるよ」と言われたのは高校生のころです。実際、詩のサイトに投稿すると、詩として受け入れられて、それからやっと詩を書く、という意識が芽生えました。書きたいことがあるとか、詩人になりたいから、とかそんな気持ちはいっさいなかったです。ただ、自分の書いていた文章がそういうジャンルで受け止められるんだと、自覚した、というぐらいのことでした。
先行する有名な詩を読んで、それに憧れて書きはじめる……、といったことではなかったのですね。
詩の作品がもともとわたしのなかにあったということは、まったくないです。詩をサイトに投稿しているうちに、詩の雑誌への投稿を人に勧められて、投稿すると掲載していただけたので、そこでやっと、詩の作品に触れてみようかなと思うようになりました。
そこで触れた作品は、本当にいろんなもので、詩ってこういう世界なんだと一概には言えず、ただ、広い世界だな、と思いました。でも、私はもともとあまり本を読まないほうで、詩もいまだにそれほどたくさんは読んでいません。読んでいるとすぐ、書きたくなってしまって、結局書く方に移行してしまうんです。あと、影響されてしまいそうな気がして怖くもあるんですよね。
影響、されやすいんですか?
いつも、何かを読むと、文体がすぐに頭の中にうつってしまうんです。頭のなかでしゃべることばが、その文体になってしまうんですよ。前に、とある小説を読んだら、頭に強烈な文体が渦巻いてしまって、それがちっとも消えずに残って弱りました。実際にそのとき書いた文章には、大した影響も出ていなくて、他の人が見ると何も気にならないらしいんですが、頭の中で雑音がうるさくなるイメージです。
それと、私にとって、本はその人の文体を味わうために存在しているところがあって、文体を知ることができればそれで満足してしまうんです。だから、最初と最後だけ読んだことのある作品って私にはたくさんあるんです。本が嫌いなわけではなくて、作家さんがどんな文体を書くのかはとても興味があるんです。私にとって、色んな人の文体を読むのはとても楽しいですし、ドキドキする行為でもあります。
特に、自分に似ている作家さんの文体とか見つけると、呼吸や脈拍が共鳴するような、ある意味ショッキングな感覚が芽生えることもあります。1ページ目を開いて文章を目で追いはじめたら、すぐにグラッときて、これはヤバいとおもいすぐ閉じてしまう、そんなことも昔ありました。自分の言葉のリズムに近いと、まるで、自分が書いたような錯覚に陥って、その人の人格が、肌にピタッと貼り付いてくるような、生モノとして迫ってくるような感覚に襲われるんです。
人の脳の中では、言葉や映像がぐるぐる渦巻いていて、あまり整理がされていないと思います。まっすぐな文章で描かれているわけでも、固定された絵で表されているわけでもない。それを、自分の外側に、言葉や絵として出すとき、ふつうは情報を整理整頓しようとして、元の形のままにはならない。何らかのフィルターを通して出してしまう。脳のなかにあるぐちゃぐちゃの状態そのままでは取り出せないんです。それをどれだけ頭の中にあったままで、それでいて他者にも価値のある形で、純粋に書き表せるか。それが、読む人へ与えるインパクトが変わってくる一番の要素だと思います。頭のなかそのままを書ける純度が高いほど、読んでガツンとくるというか。
私にとって、理想の文体はそうしたものです。
言葉を受け止める感受性がそこまで鋭敏だからこそ、ごく自然に詩作へと向かっていったんでしょうね。
鋭敏という自覚はないです。言葉を書くのは好きでしたけれど、みんな同じだと思っています。だから、書くことへ向かったのは、消去法的な面もあるんです。わたしは絵がへたで、歌もうまくない。できることとして残ったのが、書くことだった。自然と淘汰されて、言葉を書くことにいつのまにかなっていた。10代でいちばん入れ込んでいたものといえば、音楽を聴くことでしたけど、結局それは表現の手段にはなり得ませんでした。
物語を伝えるためのことば、勝負をするためのことば
詩がなければ生きてこられなかった、というような切羽詰まった気持ちがあったわけではない?
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