『愛なんて嘘』白石一文(新潮社)
あらすじ:誰といても孤独なのは、結局、この世界が人々の裏切りで満ち満ちているから。結婚や恋愛に意味なんて、ない。けれどもまだ誰かといることを切望してしまう。正解のない人生ならば、私は私のやり方で、幸せをつかみとる。自己愛という究極の純愛を貫く六つの短編集。
担当編集者の太鼓判!
白石一文さんの恋愛小説短編集です! 本書では6つの愛の形が描かれています。それぞれ狂気にまみれていますが、これこそまさに究極の純愛なのではないかと、私は思います。恋愛しても、結婚しても、私たちは結局一人です。ならば、しない選択もあるし、抗えない運命にであったら、どんな決断を下したっていい。そんな強さと希望を、白石さんは私たちに与えてくれます。恋愛や結婚に苦しんでいる方に、読んでいただきたいです。
(新潮社 高橋亜由)
愛や孤独を支えているものの不純さとは
—— 白石さんは今まで、恋愛、性愛、運命、夫婦とさまざまな男女の絆を描いてこられましたよね。
白石一文(以下、白石) そうですね。今までの作品を書いているときは、欲望に身を任せた「本当の愛」みたいなものに、みんなは裏切られるかもしれないしけれど、そこであきらめないで欲しい、愛情に夢を見出すべきだと思って作品を描いてました。
—— 「夢」ですか。
白石 そうです。唯一の人を見つけて、その人と暮らしていく。自分が生き抜いて、最愛の人が死ぬ瞬間を看取るというところに人生の醍醐味があると。
—— ええ。
白石 本当に好きで何十年も一緒にいた人を見送る。または自分が先に老いて去る、というのはすごいと思うわけですよ。それってうれしいとか楽しいとか、喜怒哀楽を超越しているじゃないですか。そのために生きればいいと思っていた。
—— はい。でも、本作は少し違うわけですね。
白石 ええ。だんだんと年をとってきて、人間関係の核となるような、男女の孤独を癒す仕組みの底みたいなものが見えてくると、それすらも嘘なんじゃないの、と思いはじめるわけです。
—— 男女の愛に嘘があると。
白石 愛や孤独を底で支えているものの不純さみたいなものを感じました。いわゆるカギ括弧つきの「本当の愛」ではない、“愛”があるとすればそれはなんなのかと。
孤独の先にある圧倒的な悦びを
—— 本の中では、男女の愛を全うしようとする人とは対照的な存在として、「夜を想う人」に出てくる、大道芸人を続けながら、ひとり孤独に生きるナツという女性が出てきますね。
白石 彼女はぼくにとってスターですね。誰ともつきあわなくても、生きていける。愛情を頼らなくても、生きていける。それで宗教にも入っていないのに、精神的な混乱をきたしていないというのはすごい。
—— 「河底の人」では、オサムという、酒をこよなく愛しながら孤独に流浪しているような人物が描かれています。
白石 そうです。「河底の人」の中では象徴的にホームレスを描いています。ホームレスの人は、大方はいろんな苦しみを抱えていて、帰りたいけど帰る場所を失ったという人がほとんどだと思います。
だけど、もしかしたらその中に、しっかりと孤独を生き抜いている人がいるかもしれないと思うんですよね。強制的にひとりでいることによって、ぼくたちが経験することのない、新しい経験というのものを得てるのかもしれないという気もする。
—— 孤高の人ですね。
白石 山に登る人ってそれに近いですよね。井上靖の『氷壁』に出てくるような、単独登頂に挑む登山家なんてね。
—— ああ、そうですね。まさに孤高です。
白石 そういう人はひとりで生きていくことの、すごさを知っている。彼らにとっては愛情は絶対的な価値ではないわけです。
—— なるほど。
白石 ぼくは最近、「ひとりになりたくない」って思わなきゃ、って意識してるんです。
—— 前回、白石さんはすごく寂しがり屋だっておっしゃっていましたが、どうして「ひとりになりたくない」ということをわざわざ意識するのですか?
白石 そう思わないとひとりになってしまいそうな気がするんですよね。小説なんて書いていて気づくのは、ひとりになりたくないって思っているのと同じぐらい、ひとりになりたいと思っているんじゃないかってことです。孤独の先にすごいものがある、そういうものが観たいな、ってどこかで思っている。
—— 前回の<この1ページがすごい!>で挙げさせていただいた「夜を想う人」でナツが観た景色ですね。
白石 そうです。ひとりでいることがすごくつらい人は、その分、二人でいることが楽しいんですよ。そういう人は、孤独に対して敏感でいられる。
—— ええ。
白石 逆にいえば、ひとりで居ることに深く根ざせるということだと思うんです。だから、それが反転した瞬間、ひとりで生きているということが、圧倒的な悦びを持つんだと思うんですよ。
—— 寂しがり屋だからこそ、一皮めくれば、孤独を堪能できると。
白石 ただ、それも全部、「瞬間的なこと」だと思います。科学の世界に生きている我々は、その瞬間的なことで終わっていいはずなんです。でもだいたいの人は、終わっていいはずなのに、それで終われなくて、宗教や神なんかを持ってきて、永遠の救済を持ち出すわけですよね。
—— 死を目前にした人々ですね。
白石 どんなに愛している人がそばにいたって、白髪になるまでは一緒にいられても、いずれ死によって別れが来るわけです。
—— 「この人が生きがいだ、生きる意味だ」というほかならぬ人と、ですよね。
白石 そうです。そんな愛でも、たかが知れている。つまり、奥さんが亡くなったからといって、あとを追って死ぬ旦那さんなんていないわけですし、旦那さんが亡くなって、死んでしまう奥さんはますますいないわけですよ。
—— うーん、そうかもしれないですね。
白石 愛には、いろんな種類がありますよね。男女の愛も、家族愛もある。だけど人間のいう愛情は、結局、すべて同じ根っこに行き着くと思いますよ。
—— え、なんでしょうか。
白石 ひとりが嫌なんですよ。そしてその究極は、死が怖い。死ぬのが怖いというのは、誰かと別れるのが怖いわけじゃない。自分と離れる、つまり自分がなくなることが怖いんですね。
—— 確かに、自分が失われるのが、一番の孤独ですね。
白石 そういった孤独を怖れる心が、人間を社会化しているんですよね。孤独への強い恐怖心が人間を集団化し、社会化してしまう。するとこの集団化、社会化は、他の種を支配するには非常に有効な手段となるわけです。ということは、もともと愛情の源泉と思われる“孤独を恐れる心”というのは、逆に言えば、人間が他の種を圧倒的に支配するという目的のために身に備わったものなのかもしれない。
動物は、孤独をあまり感じないかわりに、人間ほど社会化しない。人間は孤独を感じ、高度に社会化することで他の生物を支配してしまう。とどのつまり、人間は激しい支配欲に駆り立てられる動物だからこそ、その必要悪として孤独を恐れているだけなのかもしれない。だとすれば、孤独や愛というのはまさしく人類の業ですよね。
愛や孤独とそこから離れるような静謐な心のせめぎあい
—— 進化の上で必要だから、愛と孤独が生まれたのかもしれない、と。
白石 そうです。我々人類がもっている心の中心部分にある、そのすべてと思われていた愛と孤独は、人類の生存手法に激しく関わってくるわけです。それはなぜなのか。それは他を支配するのに必要だからかもしれない、というのが長い歴史を見れば浮かび上がってくることだと思う。
—— 一番人間的なものだとされていたものが、他を支配をするための仕組みかもしれない、と。
白石 もしかしたら、今後は愛や孤独が担っていたものが、機械、つまりシステムに置き換えられていくかもしれません。
—— なんと。
白石 そうではない人類の心があるとすれば、支配から離れたところから生まれると思うんですよね。欲望に身を任せた愛情や孤独と、そこから離れるような人間の
—— 人間臭さを突き詰めると、SF的な未来が見えるんですね。でも、この作品に出てくる孤高の人々はそういう境地に接している気がします。
白石 やはり山に登る人なんかは、そういう業から抜けだしているんだと思うんですよ。登山家の植村直己さんなどは、それを超えていた人なんだと思う。奥様もいたし、たまに帰ってきては講演をしたりしてお金稼いでいたけれど、またマッキンリーにいっちゃって最期は帰ってこなかったですものね。
—— 今日お話いただいたことを、思い浮かべると、作中に描かれていた男女の間の細やかな描写が、別の凄みをもって迫ってくる気がします。
白石 なんだか途方もなく話が大きくなっちゃいましたけど、この小説を書きながら、ぼくは人間の愛や孤独がどのようにして成り立つのかということをずっと考えていただけなんです。
—— 自分の小さな欲求が何によって突き動かされているのか、それを突き詰めるだけで人類の来し方行く末まで、つながるんですね。
白石 ほんの小さなことから、大きなことが考えられなければ、人間は賢いとはいえないんじゃないかしら。ちょっとしたことからでも、大きなことが考えられる。みんなが、そんなふうにできるようになったら、自然に世界全体は新しく豊かになっていくとぼくはいつも思っているんです。
—— 深々としたお話を、どうもありがとうございました。
(おわり)
構成:中島洋一 写真:渡邊有紀
『愛なんて嘘』
白石一文(新潮社)
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白石一文(鉄筆文庫)