うちの母ってヘンですか?』

有楽町の三省堂書店は、世にも不思議な謎に満ちている。そこに迷い込んだお客は、いつの間にか本を手に取りレジに並んでしまうという――。カリスマPOP職人であり、人気書店のTwitterの中の人として知られる書店員・新井見枝香さんの愛と妄想が炸裂した書評をお届けします。
今回は、田房永子さんの『うちの母ってヘンですか?』。毒母に育てられた13人の娘たちの境遇を綴り、多くの共感を得るコミックエッセイを、熱く推します。

うちの母ってヘンですか? (Akita Essay Collection)
『うちの母ってヘンですか?』田房永子
あらすじ:毒母に育てられた13人の娘たち。それぞれの「重くて苦しい母から、私はこうして逃げました」エピソードを、母親との関係、自分の人生が苦しい人に贈ります。

 戦後最大級の台風が関東に上陸― 
 通勤ラッシュ直撃でダイヤは乱れに乱れ、朝10時の有楽町駅前は人の数より、転がる複雑骨折のビニール傘の方が多かった。

 「おはようございます、いらっしゃいませ!ただいま開店いたしました!」

いつもは開店と同時に、扉の前で待ち構えたお客様がワッとなだれ込む。

しかし今日は、ドワァーッと生暖かい風が吹き込み、平積みのHanakoの表紙が一斉にはためき、AERAがひっくり返って、ワンピースが転がった。

「閉めて閉めてー!」

新井さんがレジの方から駆け寄って、自動ドアの電源を切った。

「高橋くん、ここ封鎖しておいて」

「は、はい!」

「水上さーん、そっちも封鎖! 中川さーん、そこは手動にしてー!」

 三省堂書店有楽町店は、なんとか開店した。台風が上陸する前に始発で出勤していた新井さんと、地下鉄チームのアルバイト3人だけが、開店時間に間に合ったのだ。

 家が遠い店長は、昨夜から泊まり込みだった。今は事務所で、本部と連絡を取り、今後の対応を話し合っている。

 僕はレジに入り、カバーを折る。文庫と新書のサイズは、あらかじめ折ってあるものが納品されるが、その他のサイズは、それぞれのサイズに折って用意しておかなければならない。しかし、開店と同時にレジに行列ができ、ハッと気づけば休憩時間の12時。その後もレジレジ、レジの合間に雑誌の付録付け、お問い合わせにラッピングにポイントカード入会にお取り寄せ注文に……と大忙しで、いつもカバー折りが間に合わない。

 めずらしく余裕のあるこんな日は、大量生産のチャンスだ。

 隣の水上さんは、POPをせっせと書いている。これも書店員の重要な仕事だが、勤務時間中に書き上げることはめったにない。レジに入りながら集中して書くのは、今日みたいな日以外は、現実的に無理だ。

 中川さんは、吹き込んだ雨でお客様が滑らないように、モップを持って巡回している。

 新井さんは、レジ内の電話で出版社に発注をしているようだ。お客様がほとんど来なくても、やることは山ほどある。

 「はい、なんとか開店はしましたが……。はい、では注文をお願いします。田房永子さんの『父はしんどい』15冊お願いします。番線は……」

 僕は隣の水上さんと顔を見合わせた。彼女も驚いたように目を見開いている。

「……えっ、私そんなこと言いました? 失礼いたしました。そうそう、『母はしんどい』です。15冊で」

 あの新井さんが、自分が好きだと言っていた本のタイトルを言い間違えた。そりゃ嵐も来るってもんだ。

「だいじょうぶですか?」

電話を終えて、心なしか暗い顔をしている新井さんに声をかけた。

「うん、ちょっと今朝いろいろあってね」

何があったんだろう。しかし年下の自分からは聞けない。

「思ってることが出ちゃったみたい」

 思ってること?

「……父がしんどいってことですか?」

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なぜ有楽町の三省堂書店は手ぶらで帰してくれないのか

新井見枝香

有楽町の三省堂書店は、世にも不思議な謎に満ちている。そこに迷い込んだお客は、いつの間にか本を手に取りレジに並んでしまうという――。カリスマPOP職人であり、人気書店のTwitterの中の人として知られる書店員・新井見枝香さんの愛と妄想...もっと読む

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コメント

yrakch_sanseido というわけで、全然語り尽くせないのでこれを読んでね→ 約4年前 replyretweetfavorite

tabusa 少年アヤちゃんとの呪詛抜き夜会をしてくれた有楽町三省堂の新井さんが 約4年前 replyretweetfavorite

yrakch_sanseido 田房永子さんのコミックエッセイが必要な人に届きますように…cakesで妄想呪詛抜き書評を書きました。今度読もうと思うと、無料期間が終わってますよ!【】 約4年前 replyretweetfavorite