僕はいま大学で先生をしています。学生たちはいろいろな悩みを相談しにやってきます。
友だちとの人間関係や将来の不安、自分ははたしてこれでいいのか? ほんとうは何をしたいのか? おなじみ異性の悩みもあれば、案外と多いのが兄弟のことをはじめ家族の悩みです。
それはさておき、大学三年生の後半から四年生にもなると、相談事は「就活」一色に染まります。
就活、つまり就職活動のことです。就活は大学生当人ばかりか、彼らの両親も悩ませています。自分の子供はちゃんと働いてくれるだろうか、難しい就職戦線を勝ち抜けるんだろうか、と。
いや、就職したらそれで終わりでもありません。幸い就職が決まったとしても、その仕事を一生やっていける人はじつに少ない。かなりの人が半年後、遅くても数年以内には、就活して苦労の末に入った会社を辞めてしまいます。
苦労して入った大学での半分近くの期間を就活に悩み、せっかく就職したのに、わずか数年で辞めてしまう。なんという時間と労力、何より「気持ち」のムダなのでしょう。
不思議です。いつの間に僕たちは、こんなに「仕事」で悩むようになったのでしょう?
むかしはこんなことを考えず、もっと「ふつうに」仕事をしていました。当時にくらべて、いまの人間が特別に能力が低いわけではありません。逆に、いまの人間がむかしにくらべて特別に能力が高いわけでもないのと同じことです。
かつて奴隷制度があったとか、君主独裁制だったとか、日本は戦争をやったとか、そんな歴史をふりかえると僕たちは、ついつい「むかしの人は、いまの人よりバカだったんじゃないか」などと考えてしまいます。
でも、そうじゃない。それなりの事情とか文化とか歴史的背景があったりしたわけで、人間っていうのはそんなに進歩しないものなのです。
同様に、いまの人はむかしの人ほど頼りがいがないと考えてはダメ。いまの僕たちは、むかしの人にくらべて根性なしになったわけでも、特別ダメになったわけでも、意志薄弱になったわけでもない。
そうではなくて、何かがズレている。
それを発見し、原因を究明し、処方箋を考えるのが本書『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』の目的です。
日本にいる全大学生の一割くらいが就職できない、あるいは就職しづらいとか、子供がなかなか独立しないとか、その程度の割合ならば、それは教育のミスかもよ、とか、文部科学省のゆとり教育がまちがっていたのかもよ、とかいえるかもしれない。
つまり「製造している部品の一〇パーセントに不具合がある」ということなら、それはその工場のどこかに問題がある、と考えるのが自然です。同様に、大学生の一割ぐらいが就活で困っているなら、個別の学生や大学側の姿勢を疑うのはアリでしょう。
でも、事態はもっと深刻なのです。工場の例でいえば、製造部品の過半数が問題を抱えている。そんな場合は、そもそも工場の設計思想そのものがまちがっているんです。
現在のように、就職を考えている若者の過半数が「なんで決まんないのかなぁ……」と悩んでいて、決まっている人も「就職できた」と大喜びできず、「これでいいのかなぁ……」と半信半疑でいる状態。こんなの異常です。
就職できても次々と辞めちゃったり、そもそも会社に入れない。就職のチャンスを一回逃したら「新卒」と呼ばれなくなって、就活二年目からはさらに就職が厳しくなる。「第二新卒」という枠も最近はあるけれど、たいていはこれまた厳しい転職活動を強 いられることになります。
何かヘンです。明らかに、何かがズレています。
いつから 「働く=就職」 になったのか?
そもそも「働く」とは何か? 「就職」とはいったい何でしょうか?
いまの僕たちは、「働く」というのは「どこかの会社に雇われる=就職すること」と自動的に考えています。
でも、人間が働くというのは、必ずしも就職とはかぎらないはずです。
たとえば、おじさんおばさんが「むかしの人間はちゃんと働いていた」と言う、そのむかしのことを考えてみてください。一九五〇年代の日本では、女の人はほとんど就職していません。女の人に就職口があまりなかった時代です。
当時の日本の人口は八〇〇〇万人。そのうち半分が「非・就職人口」だったのです。
では、残り四〇〇〇万人の男は就職していたのか?
定年はいまよりもっと早かったし、子供は就職できない。仕事の大半は「就職」ではなく家の田んぼや畑を耕す「家業」であり、そのほかは「工事の日雇い」「店の手伝い」など、いまで言うアルバイト的な雑用です。
人口のほとんどが「働いている」けれど「就職していない」。
じつは日本の人口の四分の一、二〇〇〇万人弱しか当時は「就職」していませんでした。
もともと日本人の四分の一しか就職していなかったのに、いまは二十歳くらいになったら全員が大学に行って、全員が「就職しなくちゃ」と考えている。ちょっと異常な国家になってしまいました。
では、そのむかし、国民の半分にあたる女の人は働いていなかったのか?
そうじゃない。専業主婦をやっていたり、子育てするお母さんをやっていたり、というかたちで働いていたんです。
けれども、いまの女の人は、大学を卒業したらお母さんをやろうか、とは考えないですよね。とりあえず働いたあとで結婚しようか、と多くの人が考えます。つまり「結婚」を「働く」という行為のなかに入れていません。「就職」することばかり考えています。
僕たちがいまいるのは決して当たり前の場所ではない。僕たちが暮らしているのは、この数十年のあいだにいつの間にか成立してしまった、「国民が全員、一度は就職を考える」という、かなり特殊で異常な国家であることをまずは念頭に置いてください。
ほんとうは「働く」ことが大事なのに、いつの間にか「就職=会社に雇われる」ことばかり考えている。結果として、二十歳くらいから二十三歳くらいまでのあいだ、国民の関心が「就職」にしかないというヘンな国家になっているんです。
続きを読みたい方は、こちらから!
『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』(岡田斗司夫 FREEex著)は好評発売中です。