前回に引き続き、ごく平易なことばで読み手の奥深くまでぐいぐいと入り込んでくる詩を紡ぐ最果タヒさんに話を訊きました。
能年玲奈が言語野に及ぼした衝撃はすごかった
さみしさはわたしの瞳に穴をあける。
——「瞳の穴」
自分の体験を赤裸々に開陳したり、身を削って詩を書いていくようなタイプの詩人ではないとのこと。では、最果さんの詩はどこからやって来るのか。実際にはいつ、どのようにして生まれてくるのでしょう。
そもそも、わたしが書いているのは詩でしかなくて、それ以上でもそれ以下でもないんです。書いた詩の言葉以上の情報がなにもなく、だから、何の話を書いているのかなんて、よくわからない……というより、そんな話はないんです。詩そのものがすべてというか。だから、「これが元ネタです」みたいなことは言いづらいんです。たしかなのはせいぜい、自分のなかでピン、とくる一行が生まれたら、その一行に触発されて二行目ができ、また次の一行ができ……、というサイクルがあるということくらい。
だから、最初に出てくる一行こそ命。じゃあ、その最初の一行はどこから来るのかといえば……。難しいです。具体的なことを書いているわけじゃないし、特定の出来事を取り上げたりもしていません。書いていたり生活をしていたりすると、ふと、続きを書きたくなる言葉が生まれる。それが一行目になるんです。
漠然と取り留めなくあれこれ考えながら最初の一行を探しているので、書きはじめるまでにはずいぶん時間がかかります。最初の一行がやって来ればそこから即興で書き進められますけど、そうじゃないと、ずっとモヤモヤしたままで。
「モヤモヤ」を脱する突破口は、どこに転がっているんですか。いつも使えるスイッチみたいなものがあるんですか?
それがさっぱりわからないんです。このまえは、書けないなと思いながらテレビをつけるとちょうどそこに能年玲奈さんがいて。こちらを見つめるものすごい「眼ヂカラ」にやられて、いきなり一行が書けた。続きも、一気に書けてしまいました。
このときは能年さんの眼でしたけど、外部から強く背中を押してくれる何かがあると、最初の一行は出てきやすいみたいです。
能年玲奈さんに触発されたといっても、彼女についての詩を書いた、というわけではないのですよね。
はい、そうではなくて、わたしの言語野が能年さんによって強く刺激されて、一行が出てくるという感じでした。彼女がわたしの脳に及ぼした衝撃はすごかったです。能年さんからのショックによって一行が出てきているから、その詩は能年さんでできているのだと言っていいかもしれません。でも、能年さんのことを書いたかといえばそうでもなくて……。そのとき、わたしは一瞬で、「わたしが男の子だったとして、こんな子がクラスメイトにいたら、いったいどうしよう!」と思ったんです。
ああ、いっしょの教室にいて、何かの弾みにふと、あの眼で見つめられたりでもしたら、だれだってキュンとなる。きっと相当な衝撃ですよね。
これはわたしの想像ですけど、クラスのどんな男の子にだって、能年さんはきっと優しかったと思います。女の子と喋ることなんてめったにない男の子が、何気なくあの視線を向けられたら、ときめきとか切なさとかなんだかよくわからない気持ちが一気に爆発するンダと思います。テレビで彼女の眼を見たとき、そんな想像が一瞬で浮かんで、私自身が脳に大きな衝撃を受けた。その衝撃がわたしに一行目を書かせてくれたんです。
だから、やっぱりわたしの詩は体験なんかじゃなくて、想像でできている。いや、というか妄想ですよね。しかも、妄想そのものを書くというより、妄想をすることによって生まれた衝撃で、自分の脳をぐさぐさ刺激して、言葉を吐き出させている感じです。
青春の記憶がフラッシュバックして、その衝撃で脳から言葉を叩き出す
女の子の気持ちを代弁する音楽だなんて全部、死んでほしい。
——「香水の詩」
妄想の種は、尽きないものなんですか?
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