イスラーム文化 その根柢にあるもの」井筒俊彦(後編)

『イスラーム文化 その根柢にあるもの』評の後編です。あまり日本人に馴染みのないイスラム教を、我々日本人が理解するためにどう向き合えばいいのでしょうか。そして、著者井筒俊彦は読者に何を伝えようとしたのか。本書は今までになかったイスラム教への理解の仕方だけでなく、世界情勢を考える上で重要なヒントを与えてくれます。

宗教性と法が直結しているイスラム文化への誤解


イスラーム文化−その根柢にあるもの

 前編で紹介したようにイスラム教国家の中では宗教性と法が直結している。では大半の日本人を含めて異教徒は、その法秩序のなかでどのような扱いになるのか。これが第2章の「法と倫理」で問われる。そこで重要なのは、「アブラハムの宗教」という考え方である。

 イスラム教についての一般的な解説では、それがユダヤ教とキリスト教を踏まえた時代に生まれた史実から、ユダヤ教・キリスト教との共通点として、ユダヤ民族の父とされるアブラハムを比喩に使い、「アブラハムの宗教」としてこの三宗教をまとめることがある。井筒はそうした俗解をコーランにそって論駁し、「アブラハムの宗教」としてのイスラム教は、ユダヤ教が成立する以前の人と神の関係を正確に示したものする。イスラム教はユダヤ教・キリスト教を包括する原点でもある。このため、イスラム教徒は、ユダヤ教徒やキリスト教徒を包括し管理する役割を担う。

 要するにイスラーム共同体というものは、単にイスラーム教徒だけでできている共同体ではなくて、イスラーム教徒がいちばん上に立ち、その下に複数のイスラーム教以外の宗教共同体を含みながら、一つの統一体として機能する大きな「啓典の民」の多層構造体なのであります。

 この原理があるからこそ、歴史上のイスラム教国家では、ユダヤ人やキリスト教徒も平和に共存することができた。まして、西洋で言われる改宗を迫るイスラム教徒の攻撃性を表す「コーランか剣か」という言葉は史実にはなく、イスラム教への強制改宗自体もなかった。そもそもコーランでは「宗教には無理強いは絶対に禁物」とされている。

(前略)イスラームは原則的に強制改宗を嫌います。どこまでも説得していくのが原則。信仰のない人間に「警告」(indhār)を繰り返し、いくら警告してもどうしても聞きいれようとしないばかりか、暴力で反抗し、積極的にイスラームを阻害しようとする人の場合だけ、これを宗教の名において殺す、という考え方なのです。(後略)

 普通の日本人の印象としては随分と井筒がイスラム教に肩入れしているように見えるかもしれないし、そういう面もあるかもしれない。だが、こうした理解の視点を排除してはイスラム世界のあり方や多様性に接することは難しい。

イスラム教最大の難問「イジュティハードの門の閉鎖」

 さて、ここまでの説明では井筒は、どちらかというとイスラム教を含めたイスラム文化を一般向けにわかりやすく提示してきた。そのため、一般的に正統派とされるスンニ派の考え方とも抵触しないようにしてきた。ところが、彼はここから大きく方向を変える。イスラム教が抱える最大の問題である「イジュティハードの門の閉鎖」を提示して議論を進める。単にイスラム教を日本人に解説するというだけなら、この問題を提示する必要はないにも関わらず、井筒は多数の日本人をイスラム教の最大難問にぐっと引きずり込む。ここに本書の最大の特色が現れる。岩波文庫で教養の読書として温和に書かれている簡素な書籍のように見えながら、もっとも過激な問題を掲げているのである。

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