一故人

​坂井義則—東京オリンピック聖火最終ランナーの真実

2020年の東京オリンピック・パラリンピックについては、会場なども含めて今から話題になっています。そんな中、1964年の東京オリンピックで聖火の最終ランナーを務め、その後フジテレビ職員としてスポーツ報道を中心に活躍した坂井義則が鬼籍に入りました。今回は、終戦の年に生まれ、日本のスポーツの歩みに伴走したこの人物の人生を見ていきます。

聖火リレーにふさわしいのは往年の名選手か、それとも若者か?

オリンピックの聖火リレーの最終ランナーというと、過去の大会でのメダリストが務めるケースが多い。近年でも、2008年の北京大会、10年の冬季バンクーバー大会、14年の冬季ソチ大会と、それぞれの開催国を代表する金メダリストたちがこの役を担った。こうしたケースは、1952年のヘルシンキ大会にて、開催国フィンランドの国民的英雄だった陸上選手ヌルミ(オリンピックでは計9個の金メダルを獲得)が起用されたのが最初である。

以後もたとえば、1996年のアトランタ大会では、地元アメリカの金メダリスト(1960年・ローマ大会)で元プロボクサーのモハメド・アリが大役を担った。このとき、アリが病気で不自由になった体をおして聖火台に点火する姿は、世界中の人々に強い印象を残した。

こうした過去の事例を踏まえれば、おそらく2020年の東京大会でも、北島康介や吉田沙保里などこれまでオリンピックで何度となく活躍した選手が候補にあがることだろう。先の東京大会—1964年の第18回オリンピック東京大会でも当初は、日本選手初の金メダリスト・織田幹雄による単独か、もしくは南部忠平と田島直人の3人による、最終聖火ランナーの案が出ていたという。三者とも陸上・三段跳びの選手で、それぞれ1928年のアムステルダム大会、32年のロサンゼルス大会、36年のベルリン大会での優勝者だ。

オリンピック東京大会組織委員会の原案ではまた、聖火リレーのランナーについて、各自治体の首長や議員、あるいは財界有力者やスポーツ功労者たちを優先して選ぶことになっていた。しかし、これには組織委員会内で反対の声が上がる。まず異を唱えたのが、東京オリンピック選手強化対策本部長だった大島 鎌吉 けんきち だ。「スポーツとは無縁のビール腹の大人たちを走らせたら、世界中から集まる青年たちのスポーツの祭典が、開会する前にイメージダウンしてしまう」「われわれのような大人が大舞台の立役者になってもしょうがない。聖火ランナーは若者にまかせればいい」というのが大島の言い分だった。この意見に、最終走者に名前のあがっていた織田幹雄も賛同する。

《私も聖火ランナーの主役は、若者たちに限ると考えます。また、最終聖火ランナーに私や南部さん、田島君の名前も挙がっているようですが、あの国立競技場の百八十段以上ある階段を、私たちが駆け登るのは大変だと思います。そういったことを考えても、聖火ランナーは元気な若者たちに任せるべきです》(岡邦行『大島鎌吉の東京オリンピック』

こうして、東京オリンピックでの聖火リレーは若者中心で行なわれることになった。この時点で、10月の大会開催までわずか3カ月に迫っていた。聖火リレーの最終ランナーは、組織委員会から委任された日本陸上連盟(陸連)首脳部が選考することになる。選考基準としては、終戦(1945年8月15日)以後に生まれた東京近郊に住む高校生を主な対象に、8月上旬の大阪での全国高校陸上競技大会の成績をもとに決めるものとされた。だが、高校陸上では肝心の東京近郊の選手たちの成績が不振だった。そのため、選考対象の枠を東京近郊の中学と大学に在学中の陸上選手にも広げて、あらためて検討が行なわれることになる。

ここで新たに候補に加えられたのが、都内の中学生2人と、早稲田大学教育学部1年で19歳の坂井義則(2014年9月10日没、69歳)だった。高校陸上の終わった翌日、8月10日の『朝日新聞』は聖火最終走者に坂井が内定したと1面で報じた。もっとも、同日の『毎日新聞』夕刊の記事は、選考枠を広げた結果、7人の候補があがり、そのうち坂井を含む4人から選ばれる公算が高いと、断定を避けている。同じ記事には、坂井について一部で反対論があるとも書かれていた。

問題視されたのは、坂井の1945年8月6日という生年月日だった。聖火最終走者の選考基準とされた「終戦以後の生まれ」という枠から外れているばかりか、その日はいうまでもなく広島への原子爆弾投下の当日である。選考する陸連幹部のあいだでは、原爆とオリンピックを結びつけることに異議も出たという。その論拠はつまびらかではないが、おそらく、原爆を投下したアメリカを刺激したくないとの思いもあったのではないか。

オリンピック出場を逃すも大役が舞いこむ

その日、坂井義則は広島県 三次 みよし 町(現・三次市)に生まれた。その数時間前、買い出しに行っていた坂井の父親は、70キロ南に離れた広島市の上空がピカッと光るのを見たという。のち、東京オリンピックの聖火リレー最終ランナーに正式に決まったとき、坂井は手記のなかで《ぼくは戦争を知らない。しかし、何万という日本人が、戦争の犠牲となって一瞬のうちに死んだ同じ日に生をうけたことは、ぼくに“偶然”といってすまされないものを感じさせる》と書いている(『朝日新聞』1964年8月19日付)。

父・守夫は中学生時代、水泳を除くスポーツの万能選手で、息子が聖火ランナーに選ばれた当時は中国電力勤務で三次市の体育協会理事も務めていた。このころも職場対抗の軟式テニス大会でたびたび優勝していたという。母もまた旧制女学校時代は陸上短距離の選手として鳴らし、坂井の2歳下で当時高校2年生だった弟も陸上400メートルの選手と、典型的なスポーツ一家だった。

坂井少年は小学校の運動会のかけっこではいつも一等賞、中学に上がると陸上部で走り幅跳びに専念する。中学3年のときには県総合大会において、当時の全国の中学記録で2位となる6メートル47を跳んで優勝した。県立三次高校に進んでもしばらく走り幅跳びを続けるも、1年生だった1961年、秋田国体の予選でわずか1センチの差で選に漏れる。しきりにくやしがる息子に、父はトラック競技への転向を勧めた。息子が走り幅跳びの助走で見せるきれいなフォームに目をつけていたのだ。

中距離ランナーとして再出発した坂井は、国体予選会直後の県5地区対抗の陸上競技大会の400メートル競走で優勝したのを手始めに、翌62年の全国高校陸上の同種目で3位、岡山国体の高校陸上400メートルでは2位ながら49秒0の大会新記録を出した。さらに3年生で迎えた63年の山口国体の同種目では48秒5の日本記録に迫るタイムで優勝した。また、この年の広島県陸上大会では高校の部100メートルと200メートルでそれぞれ優勝を果たしている。

1964年、早稲田大学の競走部に入ると、その年の東京オリンピックの400メートルと1600メートルの強化選手に指名される。しかし代表選考会では敗退し、東京大会出場の夢は断たれた。高校時代からずっと東京オリンピックに出場することだけを考えてトレーニングしてきただけに、坂井は抜け殻のようになり、しばらく実家でぶらぶらしていたという。

そこへ大学の先輩から「まだ絶対秘密だから」と前置きしたうえで「陸連関係者のあいだで、聖火最終走者として君が最有力候補にあがっている。これからは自重するように」と書かれたはがきが届く。このとき坂井は父親から《聖火をかかげてメーンスタジアムにかけ込む方がずっと晴れがましく名誉なことだ》と励まされたと、後日新聞では伝えられた(『朝日新聞』1964年8月11日付夕刊)。だが、当人にしてみれば《行動を慎むようにと言われても……何だか聖火ランナーなんてピンとこなかった》というのが正直なところであったらしい(JOC「東京オリンピック1964 東京オリンピック聖火最終ランナー・坂井義則氏」)。この時点で彼のなかでは「オリンピックは終わった」という思いが強かったのだ。

実家には、どこで聞きつけたのか報道陣が殺到する。新聞社のなかには坂井を独占するため東京に連れ出したところもあった。このとき有無を言わさず東京行きの列車に乗せられたかと思ったら、大阪で降ろされセスナ機で羽田空港まで飛んだ。そして国立競技場の前で写真を撮られたのち、そのまま郷里に帰されたという。帰った途端、「坂井君には不穏当な行動があり」とNHKニュースで報じられているのに接し、「もうランナーに選ばれることはない」と覚悟を決めた。

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近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

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コメント

donkou 1964年の東京オリンピック開会式から本日でちょうど50年ということで、いまならこちらの記事を無料でお読みいただけます。 4年弱前 replyretweetfavorite

donkou 著名人を追悼する連載、更新されました。今回は1964年の東京オリンピックの聖火最終ランナーについて、その選考をめぐる秘話など。 4年弱前 replyretweetfavorite