間違っているのは、文系よりも理系的態度かもしれない。

ネットでもよく語られることのある、理系と文系という二項対立。そんな区分けは意味がないという主張もありますが、川上量生さんはこの2つには明確な違いがあると言います。それは「論理をどう扱うのか」という点において。論理的かどうかということについて、文系・理系の差はないという川上さん。では、何が違うのでしょうか。

結論ありきで説得しようとするのか、真理を探求するのか

川上量生(以下、川上) 僕は最近、文系と理系の違いについて考えていたんですよ。何回かそのことについて考えるきっかけがあったんですけど、ひとつは、東浩紀さんと斎藤環さんのニコ生での対談を見た時でした。

— ほう。

川上 東さんって、すごく論理的な人ですよね。日本の言論界では最高峰のひとりです。斎藤環さんも、すごくロジカルに考える人で、僕はどちらも尊敬しています。でもね、この二人の話が、まったく、かみ合ってなかったんですよ。議論がまったく成立しない。意見が違うというより議論になってなかった。それはなんでなんだろうって考えていたんですよね。

— なぜなんですか?

川上 それが、文系と理系の違いだったんだろうなというのが、最近のぼくの説です。文系の論客は、言葉は道具だと考え、論理を手段として扱う。そして、理系の研究者は、論理的に正しいことは何なのか、ということに興味がある。

— つまり理系は論理を使って、世の中の一般法則とか真理を探しているわけですね。

川上 そう。でも、東さんは文系なので、先に自分なりの結論があって、世の中を動かすための手段として論理を使っているんです。それは、話がかみ合わないですよね。これって、汎用的に適用できる理屈だなと思ったんです。

— おもしろいですね。じゃあ、論理的であるかどうかと文系か理系かというのは関係ないんですね。

川上 はい。論理の使い方の問題ですね。論理を使って他人を説得したいのか、真理が知りたいのかという、根本的な違い。新聞社の態度なんかも完全に文系側ですよね。

— ああ、なるほど。

川上 結論ありきで論理を組み立てているから、論理が間違っていても認めないんですよね。もしくは、論理を少しずらして、どうあってもその結論にたどり着くようにする。一種の詭弁みたいな主張をするわけです。僕は、いわゆる文化人が言う「昔は言葉に力があった。今は言葉が力を失った」というフレーズが、よくわかんないなと思ってたんですよ。

— 言葉の力って何だ、と。

川上 これも同じ理屈で説明できる。要するに、これは文系のアジテーターの主張なんですよね。「最近、いくら煽ってもみんな聞いてくんない」ということを、詩的な表現で言ってるだけなんですよ(笑)。それって、言葉が力を失ったとかそんな話じゃなくて、一般大衆の正常な反応ですよね。みんながちゃんと考え始めた、と捉えるのが正しいんじゃないかと思うんです。

— でもそれって、つまり文系は自分の決めた結論ありきで、論理をねじ曲げる可能性があるってことですよね。文系の言うことには気をつけなければいけない、ということにもなりかねない。

川上 うーん、僕はやっぱ理系出身だし、心情的には理系の態度を支持します。でもね、文系的な態度が間違いで理系的な態度が正しいのかというと、必ずしもそうは言えなくて、実社会においては、むしろ間違っているのは理系的態度かも、とも思っているんですよね。そもそも、そういう何らかの先入観や思い込みのない客観的な状態で、議論を組み立てることが可能なのかという問いもあります。

— そうですね。議論には元ネタが必要ですよね。

川上 理系の学問では、議論の前提が厳密に定義されますよね。だから、その上で精緻な論理を構築することができる。でも、そもそも実社会に接している学問は、学問の定義自体があやふやだから、議論の基盤が曖昧なんです。そこで、結論なしに論理を組み立てるのって、むしろ間違ってしまうことのほうが多い危険なアプローチじゃないかと思います。

— そうですよね。理系の論理は、構築しやすい条件をそろえた上で、論理を突き詰めていますもんね。物理学はその典型ですが。人間の生活や意思に関わる部分で、それをやるのはむずかしいですよね。

川上 そうなんですよ。例えば、ネットによく、「法律に違反しているかどうか」ということだけで物事の是非を判断する人がいますよね。

— ああ、多いですよね。

川上 「悪法もまた法なり」とか言って、法律で導ける結論を盲目的に善としているんだけど、それって危うい結論にたどり着いたりすること多いじゃないですか。

— 人類の幸福に与していない可能性がありますよね。

川上 そうなんですよ。実社会においては、文系的な議論の、最初に目的がある立場に立つほうが、いいのかもしれません。だって論理だけで考えたら、ナチスが主張していた優生学でさえ正しくなりかねないわけです。優秀な遺伝子だけを残すというのは、穀物の品種改良なんかでは普通におこなわれていて、それでいい作物がとれるんだから。でも、それを人間に適応したらどうなのか。これを論理だけで説明していくと、最終的に人間が不幸になる結論にたどり着くかもしれない。そういう可能性はちゃんと考慮しておいたほうがいいですよね。

— じゃあ、正しいと思える結論を用意しておくことも、文系の学問の分野ではいいことなのかもしれないと。結論ありきの論理が、わるいわけじゃないんですね。

川上 だから、文系と理系の論理の扱い方は、進化の上で、それぞれの最適な形に収束してるんじゃないかとも思います。

— なるほど。進化の上で、ですか(笑)

MBAはイデオロギーである

川上 論理というものが、どういうときに発達するのかという話をしましょう。

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コメント

utsumukiMutsuki 理系文系で言えば、前に読んだ川上さんの記事が納得いった https://t.co/6EpyVtRY1t 26日前 replyretweetfavorite

kamapu 理系と文系の話が噛み合わない理由。川上さんの考えに朝からすごくすっきりした。感謝。https://t.co/nAMYAgIjxs 3ヶ月前 replyretweetfavorite

1ch_allenger 俺理系だそしたら「理系は論理を使って真理を追求する」「文系は結論を先に用意して説得する」 7ヶ月前 replyretweetfavorite

ball2biscuit 結論に辿り着くまでの論理に綻びがあれば結論は脆弱なものに成り下がってしまうのでは? 8ヶ月前 replyretweetfavorite