「オリジナルの蓄積」こそが「重み」を生み出す。
「苦労すること自体」にはなんの価値もない
故マイケル・ジャクソンは、ライブで登場するときに、特に熱狂的なファンが集まってきているときにはドーンと登場して、一切動かずに1分以上仁王立ちしていたりしました。
これはなかなかできることじゃありません。
自分に自信のない芸人さんとかなら、地方のショッピングセンターに営業に行ってやる客席50人のお笑いライブのときでも「いやー、どうもどうも。ねえ! こんにちはー。はいはい。まあそんな感じで」などと無駄なことを喋りまくってしまいます。
あなたもプレゼンで経験ありますよね? 緊張して喋れなくなって黙ってしまい、相手をしらーっとさせるか、無駄なことをたくさんしゃべって相手をしらけさせるか。
マイケル・ジャクソンのように、「動かず仁王立ちしているということだけで大観衆をさらに一段上の狂気のレベルに熱狂させる」などというのは、よっぽどのことがないとできません。
結局、彼のなかに「それをやってもOK」なだけの「確信」が「今までの真摯な芸術的探求」の時間によって育っているから、その「重み」があるからこそ「あえて動かないという熱狂のさせ方」ができるわけです。「苦労自体」には意味はぜんぜんありません。これは日本においてはいくら強調してもしたりないぐらいです。しかし、「ただの怠惰」ではない形で「〝あえて〟苦労をしない」ということは、本当に大変なことです。「犠牲の心ではない本当の覚悟」が必要な局面があります。
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