かぐわしきは『闇に香る嘘』—泥まみれの書店員のオススメ

有楽町の三省堂書店は、世にも不思議な謎に満ちている。そこに迷い込んだお客は、いつの間にか本を手に取りレジに並んでしまうという――。カリスマPOP職人であり、人気書店のTwitterの中の人として知られる書店員・新井見枝香さんの愛と妄想が炸裂した書評をお届けします。
今回は、ミステリー作家の登竜門である江戸川乱歩賞に輝いた下村敦史さんの『闇に香る嘘』。選考委員の有栖川有栖氏が「絶対評価でA」と絶賛し、選考会では満場一致で受賞が決定した傑作を推します。

闇に香る嘘
『闇に香る嘘』下村敦史

 アロマオイルを小皿に垂らし、キャンドルに火をつける。

 心を落ち着かせるジャスミンがいい。ほどよくオイルが温まり、甘い花の香りが3畳ほどの小部屋に充満した頃、彼女はやってきた。

「コンコン」
「どうぞ、お入りください」

 近くのビルにある、三省堂書店有楽町店で働いている新井さんだ。

 待合室に置く雑誌を毎週まとめ買いするので、自然に、顔を見ればどちらからともなく会釈するようになった。

 いつしか挨拶を交わすようになり、そして昨日、アロママッサージの無料体験チケットを渡したところ、すぐに予約が入った。

「いらっしゃいませ」
「ど、どうも」

 紙パンツにバスローブ姿の新井さんは、売場で見かける澄ました居住まいとは全然違う。所在なげにキョロキョロしていて、落ち着かない。私は少し、気分がよかった。

 ベッドの上に横たわらせ、体にオイルをたらし、ゆっくりと血の流れに沿って体を優しく撫でる。

 やがて室内の照明を落とし、顔の上に分厚い泥を塗りたくる。

「目に入ると、角膜が傷付くことがあるので、絶対に瞼を開けないでくださいね」
「……」

 素っ裸の無防備極まりない状態で、暗闇の中にいる新井さんは、頷いた。

「あの……」

 暗闇の中での沈黙に耐え切れなくなったのか、新井さんは突然口を開いた。

「この、何も見えない状態でいると、先日読んだある小説のことを思い出してしまうんです……」
「さすが本屋さんですね。何て本ですか?」
「下村敦史さんの『闇に香る嘘』です。今年の乱歩賞をとった」
「へー、おもしろいんですか?」

 新井さんは、おもしろいというか……、と一瞬口ごもると、なんだか急き立てられるように、語り始めた。

「主人公は目が見えないんです。途中までは見えていたけど、過去の栄養失調が原因で、41歳のときに失明してしまって。

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なぜ有楽町の三省堂書店は手ぶらで帰してくれないのか

新井見枝香

有楽町の三省堂書店は、世にも不思議な謎に満ちている。そこに迷い込んだお客は、いつの間にか本を手に取りレジに並んでしまうという――。カリスマPOP職人であり、人気書店のTwitterの中の人として知られる書店員・新井見枝香さんの愛と妄想...もっと読む

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コメント

honya_arai 昔cakesでこんなの書いてた!まだ文庫化する前だな〜→ 8ヶ月前 replyretweetfavorite

nkg_13 今回も新井さん@yrakch_sanseidoの語りが冴え渡ってます。怖いし! |なぜ有楽町の三省堂書店は手ぶらで帰してくれないのか|新井見枝香 https://t.co/7QZXOsIVtQ #fb 約4年前 replyretweetfavorite

yrakch_sanseido 今年の乱歩賞は「絶対評価でA。」だぞ!下村敦史さん『闇に香る嘘』が死ぬほど読みたくなる妄想書評はこちら→【】cakes(ケイクス) https://t.co/3gzxjF0izQ http://t.co/YDe1j0ae1K 約4年前 replyretweetfavorite

mareduki_  なんなんだこれ、読みたくなっちゃう。 約4年前 replyretweetfavorite