「たかが書き手が」、ナベツネみたいな朝日新聞
池上彰のコラム掲載を見送った朝日新聞の姿勢から、とにかく書き手は新聞社から舐められていることが分かる。なぜって、朝日新聞の6日のお詫び記事には「池上さんは、『原稿の骨格は変えられない』という考えだったため、話し合いの結果、予定日の掲載を見合わせる判断をしました」とある。この一文はすごい、久しぶりに新聞に蛍光ペンを引いてしまった。舐められていると感じる点を2つに絞ると以下。1:新聞社が「原稿の骨格」を変えようと試みたこと。2:申し出れば書き手は「原稿の骨格」を変えてくれるだろうと思っていたこと。プロ野球再編問題で揉めた時に読売のナベツネ会長が古田敦也選手会会長に放った暴言に「たかが選手が」があるが、あれと同様の「たかが書き手が」というスタンスが謝罪後にも滲む。手打ちそばを作ってきた職人に釜揚げうどんを作れとか、Gパン専門のパタンナーにビビットな配色のミニスカートをよろしく頼むとか、そんなのは提案するだけ愚かだと誰しも気付くが、どうやら「原稿の骨格」については誰であっても「変えられる」と思っていたようなのである。これって本当にとんでもないことだ。
池上彰の突っ込みは本当に切れ味鋭いのか
今回の掲載中止→掲載で改めて考えたくなったのは池上彰ブランドについて。「サンデー毎日」で佐高信の長期連載が突如打ち切られた件や、中森明夫の「アナ雪」論考が「中央公論」から電話一本で掲載見送りになった件はそれなりに話題になったものの、やはり今回、「あの池上彰の原稿を」が持つインパクトは大きかった。
「新聞ななめ読み」という連載タイトルは池上ブランドの本質を突ついている。「熟読」ではなく「ななめ読み」の結果を分かりやすく提供するのが彼の得意技だ。彼は決して彼自身の意見を言わない。テレビ東京の選挙番組で候補者や党首に対して聞かれたくないことをズケズケと問う様子が評判を呼んだが、自分の意見を言わずに「……という意見も出ていますね。その点はどうなのでしょう?」と突っ込んでいく様が「切れ味鋭い突っ込み」と手放しで礼讃されたのには違和感を覚えた。しかし、今という時代は、自分の意見を持つよりも「聞く力」が求められているのだ、と白々しく気付いたのは、そのようなタイトルの新書が大ベストセラーになっただいぶ後のことだった。
記者とディレクターを兼務する池上彰
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