「乾杯!」
4つのショットグラスを合わせてから、みんな一気に喉に流し込んだ。それからみんなでライムをかじった。このふたりの女の子は僕たちの名前を知らず、僕たちはひとりの嘘の名前と、もうひとりの本当の名前を知っているだけだった。それでも、バーの薄暗い照明とテンポの速い音楽、そして強いアルコールのせいで、僕たちの心の距離も身体同士の物理的な距離もグッと縮まった。
僕と香織は、肩が触れ合うような距離で会話をしていた。気が付くと、永沢さんとローラが僕たちの隣でキスをしていた。すぐにそのキスは舌を絡ませるものに変わっていた。彼女のほうが積極的に見える。ローラが手を永沢さんの腰に回して抱きつこうとしたとき、永沢さんはその手を払いのけて、少し距離を取った。「ちょっと、これは早すぎないか。俺たちまだ会ったばかりだろ」
ローラは目をうるっとさせながら永沢さんを見つめている。
「俺たち、待ち合わせしてて、あと10分ぐらいで行かないといけないんだ」
この局面でタイム・コンストレイント・メソッドが繰り出されたことに、僕は驚き、そして感心した。
「えっ、そうなの?」
「ちょっと用事があってね。どうしたら、俺たちまた会えるかな?」
「LINEやってる?」
「もちろん」と永沢さんは言った。それから、ローラとLINEを交換するために、携帯電話を取り出した。「西野由美子?」
「そうよ」と彼女はこたえた。「いい名前でしょ。永沢圭一さんね」
僕も、香織の連絡先を聞かなければ。「連絡先教えてよ」
「渡辺正樹君?」
「そうだよ。香織はいまどこに住んでるんだっけ?」
「中野だよ」
「僕は品川のほうに住んでるから、どっか行くとしたら新宿かな?」
「なに、もうデートすることになってるの?」と香織が言った。
「ちょっとご飯でも食べにいきたいな、と思って」
「ふーん」
僕は沈黙を利用して、永沢さんみたいにキスしようとした。僕が顔を近づけると、香織はサッとよけた。「あー、ダメダメダメ!」
残念ながら、永沢さんのようには上手く行かなかった。しかし、香織は笑っていて、それほど嫌われてはいないようだ。
「俺たち、もう行かないといけないから」
「うん、またね」と由美子が言って、また永沢さんとキスした。
僕たちはバーから出て、六本木交差点のほうに向かって歩きはじめた。
◆
「永沢さん、すごいですよ! あのローラ、じゃなくて由美子って子と、会ってあんなにすぐにキスしてるなんて!」
「あいつの目が、いますぐキスしてくれって言ってたからな」
「僕もあんなことやってみたいです」
「心配するな。このペースで行けば、そんな日はすぐに来るさ」
「本当ですか? ところで、あのまま彼女といっしょにいたら、そのままお持ち帰りできたんじゃないんですか?」
「それはどうかな。しかし、その可能性は低くもない。イチローがヒットを打つ確率よりは高いだろうな。確かに、あの場面での正しいアクションは、まずはもっと落ち着いた別のバーやカフェなんかに彼女たちを連れ出すことだ。そこで親密になれば、家に呼べただろうな」
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