本当に道を聞いているのだ。そう思うと、僕は気軽に女の子たちに道を聞くことができた。
「すいません。この近くに300円バーというのがあると思うんですけど、どうやって行けばいいかわかりますか?」。「すいません。わからないです」。「あっ、ありがとうございます」。こんなやりとりが3人続いた。残念ながら足を止めて、会話をオープンさせることはできなかった。
僕はめげずに、紙袋をぶら下げて有楽町の駅のほうにひとりで向かっていく、20代半ばぐらいの女の子にまた話しかける。
「すいません。この近くに300円バーというのがあると思うんですけど、どうやって行けばいいかわかりますか?」
「知りません」
僕は思い切って、さっき永沢さんが言っていたルーティーンを試そうと思って、また、追いかけていって、話しかけた。「あの〜、すいません」
「じ、じつは、タっ、タイプなんですけど。れ、連絡先教えてくれませんか?」「すいません。急いでいるんで」
「すいません。ありがとうございました」
やっぱりダメだったか。しかし、これだけ女の子に声をかけ続けていると、不思議なことに、それほど僕はショックを受けなかったし、落ち込みもしなかった。むしろ爽快な気分だと言ってもいいぐらいだ。
「ハッハッハッ。そうやって断られるのはゲームの一部だよ。もっと自信を持って行くんだ」と、永沢さんが励ましてくれた。
僕たちは三越の交差点のほうまで歩いて来ていた。
「それ、どうしたの? Appleストア?」
永沢さんが、交差点でおしゃべりをしていたふたり組に話しかけた。パッと見、ふたりともかわいい。すぐに街コンで見た誰よりもかわいいことに気がついた。僕の体は硬直した。
「あっ、はい……」
「その紙袋の大きさは」と言って、永沢さんは考えている素振りを見せた。「MacBook?」
「はあ」と女の子は怪訝な表情をしている。
「俺たち、待ち合わせで、この近くの300円バーってところに行かないといけないんだけど、どうやって行ったらいいかわかる?」
「あっ、なんか、それ聞いたことあるよ。どこだったっけ」
もうひとりのAppleストアの紙袋を持っていないほうの子が言った。彼女もとてもかわいい。
「それって、Google Mapで検索したらすぐわかるんじゃない?」
「なるほど!」と永沢さんは大げさにうんうんとうなずいた。「さすが、Mac使ってるだけあって、ITリテラシーめっちゃ高いよ。その発想はなかったわ」
永沢さんに言われて、僕はiPhoneで調べた。[300円バー][銀座]と検索エンジンに入力すると、あっさりと目的のバーが出てきた。
「あっ、これですね」と僕が言って、Google Mapを開く。ここから200メートルほど先に行ったところにあるバーだ。
「ここをまっすぐ行って、右に回ったところだな」
永沢さんは、僕のiPhoneを見ながらそう言うと、ふたりの女の子に礼を言った。
「俺たち、これからクライアントとの待ち合わせで、遅れそうなんで」と永沢さんは急いでいる振りをした。「もう行きます。ありがとう」
「どうも、ありがとうございます」と、僕もAppleストアの紙袋を持っていないほうの女の子の目を見つめながら言った。
僕と永沢さんは、Google Mapに従いながら、バーの方向に歩きはじめた。さっきの女の子たちも、反対側の有楽町の駅のほうに向かって歩き出している。
「早く追いかけて行けよ」永沢さんが声の大きさを抑えながら僕に怒鳴った。「さっきのルーティーンで話しかけろよ! いま使わなかったら、いつ使うんだよ!」
僕は一瞬たじろいだが、ここでもたもたしている時間はもちろん、ない。さっきのかわいい女の子に二度と会えないなんてことは、嫌だ。絶対に、嫌だと思った。僕はすぐに振り返って、彼女たちに追いつこうと夢中で走った。
「すいません」と僕は息を切らせながら言った。「ちょっと、待ってください」
さっき僕と目が合った女の子が立ち止まった。
「すごくタイプなんです。連絡先教えてください」
「……」
「今度、お茶でもしませんか?」
「……。いいよ」
「本当!? ありがとう」僕は肩で息をしながら、自分のiPhoneを握りしめた。さっき、Google Mapを開いたiPhoneだ。彼女もiPhoneを取り出した。それから、僕たちはLINE IDを交換した。メッセージを送ることも忘れない。[わたなべです。今度お茶でもしてください。]
「連絡します」
「うん、またね」
今日、一番かわいいと思った女の子、名前も知らない女の子に、僕は道で話しかけ、連絡先をゲットしたのだ! 僕の体の中から、一気にアドレナリンが噴き出た。最高のエクスタシーを感じた瞬間だった。街コンの二次会に行かなくて良かった。永沢さんの言ったとおりだ。
僕は永沢さんのところに戻ると、彼は何も言わずに右手を高く上げた。僕も、右手を上げて、永沢さんの手を叩いた。パーン、という高い音がした。なんともいえない心地いい音が銀座の街に響き渡った。
勝利のハイタッチだ!
僕たちは、ナンパの聖地となっている銀座のバーに、とうとうたどり着いた。それは雑居ビルの地下1階にあった。
中に入ると、まだ7時だというのに、まるで満員電車のように混んでいた。バーカウンターには行列ができている。店内にいる女の子たちは、みんなナンパされている。よく観察すると、ナンパされている女の子の近くには、さらに他の男もたくさんいて、女の子に話しかける順番を待っているようだった。
僕と永沢さんは、バーカウンターの行列に並んだ。
「こんなにみんな酔っ払ってナンパしているんだったら、ぜんぜんナンパするのはむずかしくないですね」と僕は言った。「これだったら僕も地蔵にならずにすみそうです!」
「出ようか?」と永沢さんが言う。
「えっ、ここなら僕だってナンパできますよ」
「店内に、女が何人いる?」
「えっと、1、2、3……、10人ちょっとですか?」
「それに対して、男は何人だ?」
「うーん」と僕はバーを見渡した。「数え切れません」
「それがこたえだ。こんなところでナンパするのは時間の無駄だ。もっといいところに行くぞ」
「は、はい……」
永沢さんは店を出て、タクシーを止めた。
「六本木ヒルズまで行ってください」
◆
タクシーの中で永沢さんの恋愛工学の講義がはじまった。「ナンパっていうゲームがどういうものかわかってきたか?」
「女の子に勇気を出して声をかけて、少し会話して、怪しいやつじゃないって安心してもらって、連絡先をうまく聞き出すんですよね」
「それから?」
「次に何とかデートに誘いだして、上手く口説けばいいんですよね」
「そうだ。それがナンパっていうゲームの基本的な流れだ。まずは、声をかけて、会話で相手に自分の魅力をアピールする。これが最初のステップ。ここが上手く行けば、結果的に、連絡先を聞けたり、そのままいっしょに飲みに行ったりもできる。そのあとのプロセスや戦略はこれから教えるけど、ここまでのステージに到達するための様々なオープナーや、会話で相手を魅了するための恋愛工学のテクノロジーをいくつか教えてきたよな。実際に、お前はそれを実践して、幸運にも、いまのところ上手く立ちまわっているよ。しかし、俺たちは同時にもっと大きな別のゲームをプレイしているんだ」
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