「はい」とチェックのシャツの子がちょっと驚いたようにこたえた。
「銀座に300円バーというのがあると思うんですけど、どうやって行けばいいかわかりますか?」
「すいません。ちょっとわからないです」
「そうですか。ありがとうございます」
僕があきらめてその場から離れようとすると、永沢さんがとなりにやってきた。「ふたりはなんか映画見てきたの?」
「あっ、はい」サスペンダーがうろたえる。
「どの映画を見たんですか?」と、僕が会話に加わうとすると、永沢さんが「ちょっと、言わないで」と彼女たちを制した。「俺に当てさせて。俺、人の心読めるから」
ふたりの女の子は黙って永沢さんを見入っている。「俺の目をじっと見て……」
永沢さんは、いま大ヒットしているディズニー映画の名前を静かに口にした。
「えー!」とサスペンダーの女の子がとても驚いている。「どうしてわかったの?」
「だから、俺は人の心が読めるって言っただろ」
いったいどんな魔法を使ったんだ!?
永沢さんは、瞬く間に、まったくの初対面の女の子たちとうちとけている。
「僕もその映画は見ましたよ。面白かったですよね」
「しかし、困ったな」と言って永沢さんはチラリと時計を見た。「俺たち6時半に、その300円バーってところで重要な人物と待ち合わせなんだよ。あと20分しかないよ」
「すいません。わからなくて」サスペンダーの子が申しわけなさそうにしている。
「ふたりとも大学生?」と永沢さんが聞くと、サスペンダーの子は「はい」とこたえた。
「何、勉強してんの?」
「私たちはいちおう英文科です」
「じゃあ、英語しゃべれるんだ」
「いや、しゃべれません」
「ダメだよ。英語ぐらいちゃんと勉強しなよ。就職できないよ」
「私たち、就職決まったもん」と青いシャツの女子大生は自慢気な表情を見せた。
「大学4年生なんだ。仕事は何するの?」と僕が聞くと、青いシャツの子が食品会社で、サスペンダーの子は旅行会社に内定しているという。
僕が、就職活動について彼女たちと話していると、永沢さんが入ってきて、また、会話を切り上げようとした。
「俺たち、また、300円バーを探しに行かなきゃいけないんだけど」
「待ち合わせなんですよね」サスペンダーの子が少し残念そうに言った。
「ああ」と永沢さんがうなずいた。「とても重要な人物なんだ」
「どんな人なんですか?」
「それは企業秘密で言えない。情報が漏れたときの影響が大きすぎてね」
「えー、気になる!」
「悪いな。ところで、せっかくだから連絡先を交換しよう」
「これって、ひょっとしてナンパだったの?」青いシャツの子が言った。
「君は、映画みたいに、俺と偶然に再会することを期待しているのか?」 永沢さんが切り返した。
「ここは奇跡を期待するよりは、やはり素直に連絡先を交換したほうがいいと思います」
僕も必死にこのナンパを成功させようとたたみかける。
「じゃあ、LINE交換しようよ。私たち来年から社会人だから、いろいろ教えて」
サスペンダーの女の子がそう言って、肩掛けカバンから携帯を取り出した。
僕たちも携帯を取り出し、街コンのときみたいにLINE IDの交換をした。
やったあ!
「鈴木真理子って言うんだ?」と永沢さんがLINEで出てきた名前を見て言った。
「そうです」と彼女はこたえた。「永沢圭一さん?」
「渡辺正樹さん」と青いシャツの子がつぶやく。
「綾?」と僕が聞くと、彼女は「うん」とこたえた。
そして、僕はすかさず綾にメッセージを送った。
[わたなべです。就職おめでとう! 今度飲みに行こうよ。]
僕のLINEメッセージを確認すると、綾はOKとスタンプを返してくれた。
「それじゃあ、また」永沢さんが手をふる。
「うん。またね」真理子も手をふる。
道で、見ず知らずの女の子に話しかけて連絡先を聞き出せたのは、人生ではじめてのことだった。永沢さんといっしょにいると、「はじめて」がたくさん起こるようだ。
喜びがこみ上げてきた。
数寄屋橋交差点を渡り、ソニービルの前まで来ていた。
「どうだ」と永沢さんが言った。「ストナンなんて簡単だろ?」
「すごいですね。ストナンっていうのは、道を聞くオープナーで話しかければいいんですね」
「道を聞くオープナーは、本屋に売られているナンパマニュアルなんかには必ず書いてある。映画『マディソン郡の橋』では、主人公のクリント・イーストウッドが、メリル・ストリープ演じる人妻をちょろまかすときに使ったオープナーでもある。冒険家でカメラマンの主人公が、橋の撮影に訪れた街で、道に迷った振りをして、暇そうな主婦にこのオープナーを使ったんだ。彼はまんまと人妻とセックスしてタダ飯まで食っている。でも俺は、このオープナーは本当は嫌いなんだ」
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