情況としての画像―高度資本主義下の「テレビ」(吉本隆明)前編

時が経つにつれて読まれる機会の減ってしまった名著を、新しい「古典」として読み返すfinalventさんの連載。今回はfinalventさん自身が大きな影響を受けたという吉本隆明の作品を取り上げます。数ある吉本隆明の著作の中で、今回選んだのは『情況としての画像―高度資本主義下の「テレビ」』。昭和の終わりから平成にかけて書かれた、吉本隆明唯一のテレビ評です。吉本隆明が読み解いた、テレビのという箱の実態とは?

映像によって希薄になっていく現実感

 恥ずかしい話だがいつからか私は、何か嘘の現実を生きているような気がしている。それは後催眠暗示のようなものかもしれない。平成3年に出版された吉本隆明『情況としての画像―高度資本主義下の「テレビ」』(河出書房新社)を読みながら、まずそのことに思いをはせる。


情況としての画像―高度資本主義下の「テレビ」

 後催眠暗示とは催眠術後も続く影響である。催眠術中、術師から「目を開けた後、私が手でパーを示すと、あなたは私に向けてチョキを出して笑います」と指示されると、術後、なぜかそのとおりになる。催眠術が解けているのに我知らずそういう行動を取ってしまう。私はそれを直に経験したことはないが、いつからか後催眠暗示のような影響で現実を生きているような気がしている。

 あるいは朝、ふと夢をくっきりと思い出すのに似ている。記憶が突然、強烈なリアリティで蘇ると同時に、その記憶の再現によって、現前の現実感が瞬時に色あせる。どちらが現実なのだろうかとしばらく呆然とする。

 現実感が薄れてきたのは「平成」に入ってからだろうか。そう思うのは「今年は平成何年?」と聞かれても即座にわからないからだ。西暦ならまだわかる。元号だとわからない。だったら元号を捨てて、西暦で考えればよいようだが、それだと逆に昭和という時代の風景が自分と十分に結びつかなくなる。「何年に生まれましたか?」と問われて「1957年」と答えることもできる。他人のことのようだ。実感を伴うなら「昭和32年です」としか言えない。

 この奇妙な感覚の変化がなぜ起きたのか。吉本隆明の『情況としての画像』にヒントがありそうに思えた。本書を読みかえすと、各所で昭和が終わるあの時代の光景が痛烈にフラッシュバックする。後催眠暗示で生きていたのではないかと思える疑念が、読書という追体験によって薄紙のように剥がれる。

 現実が実在性を欠いた映像のように思えるという変化は、私だけのことでもないだろう。平成になって突然発生したわけでもない。テレビが登場してから、しだいにその技術の変化とともに変わってきたのだろう。吉本隆明はこう記す。

 もうひとつテレビ専門関係者たちの談話から記憶を喚び起こされたことがある。三島由紀夫の自衛隊市ヶ谷駐屯地乱入事件や、連合赤軍派の浅間山荘銃撃戦の現場映像を、キッチンにあったテレビで、幻覚のような、非現実の矛盾を感じながら、しかもショックをうけて視ていたときの、あの奇妙な感じだ。これは深刻きわまりない生死をかかえた事件なんだとおもおうとするそばから、いやこれはつくられたテレビドラマの一場面とおなじじゃないかという非現実感が襲ってくる。ほんとうは映像や画像として視ることが不可能なはずのものを視ているのだというショックと、三島さんや連赤派の生命がけの行動が、ただの茶の間の座興の次元にまで引き下ろされてしまうことのショックとが、交互に極限の形で襲ってくる。あの無類の生々しい臨場感と、どんな深刻な現実の事件や思想も非現実の映像や画像とおなじ次元に引きずり下ろしてしまう魔力とが、テレビの極限の機能なのだ。思想は死に瀕したなというのが、その時の実感だった。

 三島由紀夫の自決が昭和45年。浅間山荘事件が昭和47年。本書に昭和のテレビ映像の例として参照されるロッキード事件が昭和51年。強烈な映像ということで言うなら、テレビのなかでリアルタイムに殺人が進行した豊田商事会長刺殺事件は昭和60年である。思い返すと現実だったのか、ただの映像なのか曖昧になる。いつからか私たちは映像を現実の記憶の代替として受け入れていった。吉本の述懐は続く。

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