10月の最初の土曜日、僕は東京駅八重洲口の大丸の入口前にひとりで立っていた。とても天気のいい日で、青い空にほんの少しの白い雲が浮かんでいる。時計を見ると午後1時40分だった。待ち合わせの時間まであと5分だ。
永沢さんは約束の時間ぴったりに現れた。白いパンツに紺色のジャケット、革のバックを手に下げて、まん丸いメガネという出で立ちだった。僕はジーンズに、黒い長袖のポロシャツを着ていた。永沢さんのかっこうからは、すごいナンパ師というオーラは漂ってこない。
「さあ、これからトライアスロンのはじまりだ」
「トライアスロン?」
「週末の街コン→ストナン→クラナンのサーキットで、1日で50人以上の女にアタックする。それがトライアスロンだ」
「すっ、すいません。もっとくわしく説明してくれませんか?」
「まあ、やればわかるさ」
街コンという言葉自体は聞いたことはあったが、参加するのははじめてだ。受付で並んでいるあいだに、永沢さんが先に払ってくれていた僕の参加費6500円を渡した。
「街コンというのは、この数年の間に、日本で急速に広まった、カジュアルなお見合いパーティーみたいなものだ。飲食店は、ランチ時と、ディナーの18時以降でほとんどの売上を稼ぐ。14時〜17時ぐらいは店を開けていても客は来ない。街コンは、この飲食店の週末のデッドスペースを利用してるんだ」
「なるほど」と僕はうなずいた。「その時間帯に出会いを求める男女を集めることができれば、店側は丸々儲かりますね」
「しかし、多くの居酒屋では、一店舗だけじゃスペースが足りないし、わざわざ『お見合いパーティー』なんて言われると、多くの男女が参加したくなくなる。そういうのはモテないやつの行くところだって思われてて、モテないことを自ら認めることは、自尊心がとても傷つくからな」
「そこで『街』というコンセプト、つまり言い訳が用意されたってわけなんですね」
「その通り。これから参加する街コンは、東京駅のグルメがテーマになっていて、6つの飲食店が会場になっている」
「何人ぐらい参加するんですか?」
「今回は、男100人、女100人ぐらいじゃないかな。主催者は、男と女の参加費に差をつけたりしながら、男女比が同じになるように工夫している。実際、今日の街コンも男の参加費は6500円だが、女は3000円でいいんだ」
「すごい人数ですね」
「しかし、実際にしゃべれる女の数は10人ってとこだな」
永沢さんは受付で名前を告げ、僕たちは街コン参加者の印であるリストバンドと参加者コードが書いてあるカードを受け取った。このリストバンドでそれぞれの飲食店で飲み放題になるということだ。最初に行く店は指定されている。道路にはリストバンドを付けたペアが何組か地図を見ながら歩いていた。ペアは男ふたりか、女ふたりだけだ。男女のペアはもちろんいない。
「あそこの赤い看板の居酒屋ですね」
階段を登って雑居ビルの二階にある居酒屋に入ると、店員が手際よく参加者コードを確認してテーブルに案内してくれた。「料理はあちらのテーブルの上にあるので、セルフサービスでお願いします。飲み物は何にしますか?」
「俺はビールで」
「僕もビールでお願いします」
僕たちのテーブルに女ふたり組がやってきて店員に言った。
「私たちもビールでお願いします」
小奇麗なかっこうをしていて意外とかわいい。こういうところに来る女性はもっと酷いのかと思っていたが、外見はまったくふつうだ。ふつうよりもかわいいかもしれない。僕の左斜め前、つまり永沢さんの前の女は薄ピンク色のシャツにジーンズを履いていて、肩ぐらいまでの黒髪だ。肌がとても白くて、大人しそうだ。僕の前の女は花柄のワンピースを着ていて茶髪だった。化粧が濃くてちょっと遊んでそうに見える。ふたりとも僕と似たような年齢に見える。
ふたりとも気まずそうに沈黙している。
僕も何を話していいかわからない。
「食べ物を持ってきましょうか?」永沢さんが沈黙を破った。
「あっ、ありがとうございます。何でもいいです」と茶髪がこたえた。
永沢さんが食べ物を取りに行くと、僕はひとり取り残された。誰も口を開かず、気まずい空気が流れかけたとき、店員が生ビールを4つテーブルに運んで来てくれて、少し救われた。永沢さんも、枝豆と唐揚げを小さなお皿にてんこ盛りにして戻ってきた。
「はじめちゃっていいのかな?」
「でも、他の人たちは飲んでないよね」
茶髪と黒髪が小声で確認し合っている。
僕が辺りをキョロキョロと見回していると、店員のひとりがマイクで話しはじめた。
「えー、本日は、お忙しい中、東京駅グルメ街コンに参加いただきありがとうございます。簡単にルールを説明します。いま午後2時です。これから30分間は、いま座っているテーブルでお楽しみください。食べ物はこちらでセルフサービスになっております。ソフトドリンク、ビール、各種サワーが飲み放題です。30分後に席替えになります。15時からはフリータイムで、他のお店にも自由に移動できます。それでは本日の東京駅グルメ街コン、お楽しみください!」
店内で所々、乾杯がはじまった。
「乾杯しましょう」と永沢さんがジョッキを持ち上げた。僕たちの4つのグラスがテーブルの真ん中でカチッと音を立て、軽くぶつかりあった。
「ビールおいしいですね」
「うん、おいしいね」
茶髪と黒髪が小声でうなずきあう。
「ビール好きですか?」と永沢さんが聞くと、黒髪が「私はビール好きです」とこたえた。
「女の人ってビール嫌いな人が多いから、もっと甘くて飲みやすいのが好きなのかなと思って……」と永沢さんが言うと、「私もビール派ですね」と茶髪も同意した。
僕は黙ってひとりで最初のジョッキを空けた。
「ぼ、僕、街コンというものにはじめて来たんですけど、ちょっと緊張しています」
「私たちもはじめて来ました」と茶髪が言うと、黒髪もうなずいた。
「俺は街コン2回目です」と永沢さんが言った。「自己紹介とかしませんか。俺は圭一って言います」
茶髪は「由佳」、黒髪は「恵子」だと名乗る。
「渡辺正樹と言います。弁理士をやっております」
「弁理士ってなんですか?」と由佳が聞く。
「べ、弁理士というのは、個人や会社の発明を、特許として出願して、その権利を守ったりする人です。知的財産権に関する法律職です」
「ふーん」と由佳がうなずいた。「頭良さそうですね」
「恵子と由佳は同じ会社? 何してるの?」と永沢さんが聞いた。
「はい、私たちインターネットの広告の会社で働いています。私はデザイナーというか、そんな大したものじゃないんですけど、フォトショップとか使って、ロゴとかバナーを直したり、調整したりしています。それで由佳は事務だよね」
「うん」
「恵子はフォトショップ使えるんだ」
「はい、いちおうデザイナーですから」と恵子はこたえた。
「圭一さんは何してるんですか?」と恵子が聞く。
「株式投資」と永沢さんは言った。「資産運用会社でファンドマネジャーしてるんだ」
「だったら儲かる株とかわかるんですよね? 私たちに教えてくださいよ!」と恵子が少し積極的に話しはじめた。
「そんな簡単にわかったら苦労しないよ。それにわかってもお前らには絶対に教えない」
「いじわるぅ!」
「みんな、今日はどこから来たんですか?」と僕は会話に加わろうとした。
「私は木場に住んでます」と恵子が言った。
「私は柏」と由佳。
「僕は北品川に住んでます」
「俺は六本木」と永沢さんが言うと、恵子が「へえ、いいところに住んでますね」と言った。
こうしてビールを飲みながら、僕たち4人は名前と仕事と住んでる場所の紹介を終えた。やはり初対面なので、みんなどことなくぎこちなく、たどたどしく会話が進んでいた。その中でも特に僕がぎこちなかったのは言うまでもない。僕は次に何をしゃべろうか必死で考えている。
「恵子ってさあ」永沢さんは恵子を見つめながら言った。「肌がすげー綺麗だよな」
「そんなことないですよ〜」恵子は照れている。永沢さんから繰り出された軽いジャブを見て、由佳はニヤニヤと笑っている。
「でもさ」と永沢さん。「ちょっと怪しいんだよね」
「えっ、怪しいって、何がですか?」
「さっきから、その肌は何かすげー怪しいと思ってたんだけど……。言っていい?」
「えっ、はい」
「怒んないでよ。あと、傷つく必要もないから」
「はぁ、何ですか?」
「お前、その綺麗な肌、フォトショップで修正してるだろ? 絶対、フォトショップでシミとかシワとか全部取ってるだろ?」永沢さんはいきなり怒ったようなとても強い口調で言った。
キャハハハ、と恵子が笑う。由佳がブッとビールを噴き出した。僕たちのテーブルは温かな笑いに包まれた。恵子はうっとりとした表情で永沢さんを見つめている。僕は、人が恋に落ちる瞬間というのを生まれてはじめて見た。恵子の目が完全にハートマークになって、次に永沢さんが何を言い出すのか、まるで飼い主からエサをもらうときの子犬のような表情になっていたのだ。
次回、「chapter2-2 大海原に漕ぎだした」は9/25更新予定
藤沢数希さんが描く純愛小説、ついに書籍化! 『ぼくは愛を証明しようと思う。』6/24(水)発売予定です。
今回のストーリーを深く理解するために、以下のバックナンバーが参考になります。
●女をディスる技術
『週刊金融日記 第40号 女をディスる技術』
●デートでのラポール形成
『週刊金融日記 第73号 NLPに基づくデートでのラポール形成と誘導』
そのほかの主要な恋愛工学に関する論文は、こちらで紹介されています。
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