気持ちのうえではわたしの代表作です。
新刊『きみは赤ちゃん』について、川上未映子さん自身はそう評する。2012年に男児を出産した体験をもとにした出産・育児エッセイだ。
前回に引き続き、出産と育児を、一度きりの自らの体験へと取り戻した内実について話を聞いた。
すべての子どもが等しく守られて幸せであるように、と
今回はフィクションではないにしても、ふつうはもっと赤ちゃんをキャラクター化して主人公に仕立ててみたり、大きな病気や離婚の危機といった「大事件」を軸にして書き進めたほうが、読みものとしては成立しやすい気がするのだけれど——。
これを出版できたのは、自分の息子が、なんの特徴もない子どもだったから、というのがまずはあります。個性的な特徴を持って生まれてきていたら、記録はつけていたでしょうけれど出版はしませんでした。彼がまったく無個性な赤ん坊だったのが大前提なんです。彼の個別の名前ではなく、まさに「赤ちゃん」という無色透明の存在だったので、可能だったのだと思います。
さらには、わたしだってそう。この文章のなかにいるのは紛れもなくわたしで、まちがいなく自分個人の経験だけど、本当はそこにいるのは誰でもよかった。わたしの子だとか、わたしだとかはやっぱりどうでもよくて、そこにある体験だけを書きたかったんですね。
子どもを生んだり育てたりしていると、そういう匿名感、無記名な感じをすごく感じます。わたしとこの子というよりも、そこで生成する運動性みたいなものに体験が純化されていくというか……。
しかも、ですよ。そういうことは、わたしとこの子だけに起きているわけじゃない。世界中のあらゆるところで、同じ偶然に支えられて同じものが絶えず生成されている。完全に個人の体験を離れるような感覚がありました。そういう感覚は、過去や未来に遡ることもできますよね。すべてのお母さんが、これをやってきたんだなという実感もある。
普通に考えたらばらばらの個人でしかないけれど、そしていつも感じるわけじゃないけれど、でも出産した日の夜なんて、時間を超えて「母」という軸で綿々とつながっているものが見えました。未来のお母さん、過去のお母さん。みんなにこんな夜があったのかもしれない、と思うと自分がなくなって「この体験」だけが残る感じ。
これはわたしが得た、まったく新しい視点。すべての「わたし」に接続されていくというのは、小説を書いていても感じられることがあるけれど、それを生命全体という規模で感じられました。小説を書いているときもそこを見つめて書いてはいるんだけれど、今回は、頭と身体性を伴いながらそれを体感できました。
子どもを持つとよく、自分の子だけじゃなくて、よそで見かけるすべての子どもにも目がいくようになるっていうじゃないですか。せいぜい小学校低学年くらいまでですけれど(笑)。それは、彼らが無力な存在であることに加えて、子どもはすべておなじ運動のなかにあるんだな、おなじ偶然に支えられてここにいるんだな、とどこかで理解しているからだと思います。
一度自分の子どもを持ってしまうと、何かあれば自分の子どもの命を反射的に優先させてしまうだろうにもかかわらず、それでもすべての子どもが等しく守られて幸せであるようにと無責任にもそんな思いが真剣によぎることがありますが、そのことと関係があるような気がします。
自分が生まれてきたことに意味なんてないし、いらないけれど、でもわたしはきみに会うために生まれてきたんじゃないかと思うくらいに、きみに会えて本当にうれしい。
普遍性に触れる。そこがあればこそ、圧倒的な共感を得る作品になり得たということだろうか。ふだんはフィクションを利用して普遍に触ろうとしているが、今回は自分の体験を書くことで、広い場所に出られたのだった。
わたしは小説を書くようになっていま7年目なんですよね。7年間、毎日書いてきたことが、具体的にバックアップしてくれたなー、という実感もあります。文体ひとつをとっても、1年前、2年前だったらこういう形にはならないで、書いたあとも、「ああも書けたんじゃなかろうか」「こうも書けたんじゃなかろうか」とくよくよ思っていたかもしれません。誰に見せるわけでもないのに、いまだにデビュー作をちくちく書き直したりしてますから(笑)。でも、幸いなことに、今回の本にはそういう気持ちがありません。もう、「ぜんぶやった」という感じです。
産後一年はずっと「ポイント5倍デー」
「cakesって、20~30代の人なんかもたくさん読んでいるんですよね?」と川上未映子さん。
じゃあ、出産前後の具体的なあれこれについてもお話したほうがいいですよね……と、肝に銘じたいアドバイスをしてくれた。
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