川上未映子 第一回「短いながらも築けた『わたしと、わたしの赤ちゃん』という特別な関係」

言葉に向き合う若き作家たちの「顔が見える」インタビューシリーズ、一人目の作家は川上未映子さんです。7月に『きみは赤ちゃん』を上梓し、大きな反響を得た川上さん。小説家でありながら、自身の代表作と語るほどの出産・育児“エッセイ”には一体どのような想いが込められているのでしょうか。世間の強い既成概念にさらされがちな出産と育児を、一度きりの自らの体験へと取り戻した、その内実に迫ります。
初回は、タイトルに託した想い。そして、あまり他人のことを羨むことがない川上さんが、30年ぶりくらいに心底「羨ましい」と感じたこととは。

著者の「らしさ」にあふれた作品としての理想形

 気持ちのうえではわたしの代表作です。

新刊『きみは赤ちゃん』について、川上未映子さん自身はそう評する。2012年に男児を出産した体験をもとにした出産・育児エッセイだ。

きみは赤ちゃん
『きみは赤ちゃん』

陣痛、帝王切開、授乳と眠気、夫への苛立ち……。続々と襲い来る予想だにしない事態と闘いつつ、事態の一つひとつをiPhoneで克明にメモ。それをもとに、妊娠を思い立ってから男児が自分の足で歩み出すまでの顛末を綴った。

小説家である著者が、気持ちのうえでの代表作にエッセイを挙げるとは、なにゆえ? 一瞬、そう思ってしまうが、一読すれば疑問は消える。『きみは赤ちゃん』には、

・身体性を強く意識させる出来事とその描写
・身近なこととその変化、それに付随する感情に目を凝らして、
 些細な部分も疎かにせず表現していくこと
・日付を入れるのではないにせよ、編年体の日記の形式

といった、川上未映子作品に多く見られる特長が、くっきりと刻まれている。

フィクションであるかノンフィクションであるかといった区分なんて、どうでもいい。川上未映子らしさにあふれた一冊であることは、間違いない。

それに。ことし7月の刊行以来、この本は大きな特長を帯びた。読者の反響が、異様なまでに大きいのだった。

「泣きました。それはもう泣きました」
「妊娠・出産・育児でずっと感じていた孤独が、救われた気分」

とくに女性からの声は、熱い。結婚している・いないにかかわらず、また年代も問わず、強烈な共感の声が寄せられる。
男性の側からも、反応は多い。

「女性がこんなにたいへんな思いをしているなんて、はじめて知った」
「妊娠・育児のときの妻との接し方、間違っていた」
「妻に読ませたら当時を思い出し、非協力的な夫への怒りが再燃して家出された」

具体的な声に事欠かない。

ともあれ本を手に取った人に強く、強く響いているのは間違いない。 著者の「らしさ」にあふれ、それがかくも万人の共感を呼ぶ。作品として、ある種の理想形ではないか。

出産・育児にまつわる常識から離れた一回きりの体験として

それにしても、なぜそこまで読者に響き、伝わるものになっているのか。川上未映子さんは言う。

 妊娠しているときは体がどんどん変わっていって、それに合わせて精神も不安定になるし、産後はいきなり2時間睡眠とかになって、体が本当につらいし、いつも朦朧としていますよね。あらためて書いたのは少し時間が経ってからだけど、つねに、いま心身に起こっていることを書き留めてそれをもとにしたので、そのムードが伝わっているような気がします。メモや日記をあわせると、ぜんぶで原稿用紙換算千枚くらい書いたんですけれど、たぶん、そういう満身創痍感、リアルタイムに、共感してくださってるんだなあと思います。

わたしの想像力なんか三段跳びでスキップしてみえんくなったなーと思ったら脳髄に突き刺さってたわ、みたいな、そんな現実のてんどんの日々が待ちうけているなんて。

あるがままの体験を、あまさず書く。それがこの本の基本姿勢。同時に内容は、ことごとく妊娠・出産・育児の常識的見方を覆すものにもなっている。いかに実態とは異なることばが世間には飛び交っていることか。そう改めて気づかされる。

まわりの目や常識に捉われたり、流されたりする必要なんて、ない。自分を見失わなくたっていいし、つらければつらいと言っていいんだよ。そういってそっと肩を叩いてくれるような話が、ページを繰るごとに現れる。

 妊娠・出産・育児にまつわる常識が、こんないい加減なわたしにも強力に刷り込まれていたことがまず驚きでしたけれど、その常識のなかには、しんどさとか辛さについて語ることにもうっすらとしたタブー感がありました。 もちろん、子どもを持つって素晴らしい! みたいなことを手放しで言えない雰囲気もあるんですけれど。

 とくに、しんどさ辛さでいえば、好きでやってるんでしょう、って言われるし、実際そうなんだけれども(笑)。たとえば、つわりだって病気じゃないって言われることもあるけれど、3ヶ月間くらい毎日、強めの食あたりくらいしんどいわけですよ。

 でも、つわりだしな、こんなにしんどいって、何かわたしの感じかたが間違っているんじゃないかとか、他の人はもっと楽しそうに妊婦生活をしているのになとか考えて、悪循環になったりも。基本的に家で仕事しているわたしでも、一般的に共有されてるイメージとか他の人と比べて色々つらくなったりもしたのに、同調圧力がもっと強い環境で生活している人なんて、もっと大変なんじゃないかな。

 妊婦や育児中の母親は、自分が思っている以上に、全方位的に緊張していると思います。お腹の中にいるときも、外に出てからも、24時間態勢で生命を維持させないといけないわけだから、常に緊張してるんですよね。もちろん個人差があることだから、毎日に何も問題ない、むしろたまらなくハッピー、みたいな方もいらっしゃるとは思うんですが。

 ただ、この本を書いたのは、「自然、自然というけれど、妊娠、出産、育児は、まじで非常事態かも」、あるいは、「もしかしたら、非常事態なんじゃないの?」って実感や想像をしている方々に読んでほしいという気持ちが、まずはありました。それと同時に、出産や育児をこれまでの思い込みじゃなくて、自分にとっての一回きりの体験として取りもどすためのものだったような気がします。

 この本が渦中の人に届けばそれはとてもうれしいですし、そして本をきっかけに自分の体験を振り返って、「わたしがのたうち回っていたのも、それはそれで、よかったんだな」と思ってくれたらうれしい。

 そう、この前、すでにお子さんが10歳くらいになったお母さんから感想をいただいたんです。本に書かれていること、まさに自分も経験したと思いだしたけれど、振り返るとあっという間だったな、今は、もっと幸せな面をしっかり感じて子育てすればよかったな、って。今は幸せのほうをみないとなって、読者の方から教えてもらったんです。人の体験ってこんなふうに繋がるんだなと思いました。

 なんていうか、書いたのがわたしじゃなくてもよかったし、小説家が書いたものである必要もない。ただ、体験そのものがリレーションされていく感覚というか。現に、わたしも妊娠中や真夜中の授乳中、たとえば十年も前に書かれたまったく知らない人のブログの体験記を読んで励まされたり、感激したり、共感したり……ほんとうに支えられたなっていう実感があります。

『きみは赤ちゃん』というタイトルも、妊娠・出産・育児という体験の一回性を、強く感じていたからこそ付けたものだった。

 この本は、赤ん坊が着床してまだ黒い点でしかなかったときから最後は彼が自分で立ちあがって、わたしから離れていくところで終わります。

「わたしの赤ちゃん」といえたのは、1年しかありませんでした。でも、短いながらも築けた「わたしと、わたしの赤ちゃん」という関係は、他ではあり得ないスペシャルなものでした。まず、記憶と言葉をもたない人間にはじめて会えましたし、それだけでも感動的でした。それがただ自分のそばに存在していた1年間は、まさにギフトだったと思います。そんな特別な時間が1年間だけあって、わたしとわたしの赤ん坊は他人になっていく。一生に一度あるかないかの奇跡的な一年間でした。そんなことを、『きみは赤ちゃん』というタイトルに込めたんです。

妊娠も出産も育児も、一回性の出来事。だからこそ毎日、翻弄されつつ生きていくことになる。予定調和でなく、つど体当たり。その赤裸々な記録だから、読む側にもダイレクトに響く。

妊娠中は、「こんな母親になりたい」という理想像はあったのかどうか。

 うーん。子どもを生むまえも今も、「母になる」という視点はあんまりない、というのが正直なところですね。

 自分自身の身体の変化とか、目の前のことに対応するのが精いっぱいだったし。生んだあとに、子どもと身体が分離されることで、ようやく客観性が出てくる感じでしょうか。子どもの存在ってあまりにも大きくて、子どものいない状態というのが、もううまく想像できないですね。

 ただ、出産を選んでいなかったらどんな人生だったのかなーということはよく考えます。それは主に仕事のことで、今もう長編がひとつ仕上がっていたかもなとか、もっともっと仕事できたんだよな、とか。わたし、これまであまり人のことを羨ましいなと思うことがなかったんですよ。それは羨む必要がなかったとか恵まれてるからとかじゃ全然なくて、むしろ逆の発想で(笑)。

 愛情はあったけれど、それ以外は—とくに資本なんて本当になんにもない環境で育ってきて、そうするとまわりには普通に羨ましいと思える人たちしかいないんですよ。でも、子どもの自分が、例えば他の家庭や環境を羨ましいって思ってもしょうがないんですよね。そういう種類の「しょうがないこと」って、それが当たり前になると、もう思わなくなるんです。それが徹底されて、人のことを羨ましいと思う機能が子どもの頃のどこかでなくなってしまった。

 でも、子どもを生んでから、ガラス越しに、スターバックスでコーヒーを飲みながらパソコンを開いて自分のペースで仕事している女の人を見たとき、30年ぶりくらいに「ああ、羨ましいな」と思いました。本当に、心の底から。どれくらい眺めてたかな、仕事してる女の人から目が離せなかったな……話がちょっとずれちゃったけれど、母親になって印象に残ってるってことって、やっぱり母としての自分というよりは、個人的なことになっちゃいますね。


次回「育児を始めてからの1年は、夫婦とは他人だと思い知る一年だった」は、9月17日更新予定

川上未映子(かわかみ・みえこ)

1976年、大阪府生まれ。2007年、初めての中編小説「わたくし率 イン 歯ー、または世界」が第137回芥川賞候補となる。同年、坪内早稲田大学逍遥大賞奨励賞を受賞。2008年、「乳と卵」が第138回芥川賞を受賞。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞を受賞。同年、長編小説『ヘヴン』を発表し、芸術選奨文部科学大臣新人賞・紫式部賞を受賞。2013年、詩集『水瓶』で高見順賞、短編集『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞を受賞。他の主な著書に『すべて真夜中の恋人たち』など。2011年に作家の阿部和重氏と結婚、12年に男児を出産した。公式HP

聞き手・構成:山内宏泰 撮影:黑田菜月


「honto」内に川上未映子『きみは赤ちゃん』特集ページが開設!
出産・育児にまつわるおススメ本をご本人がします。

これから生む人、すでに生んだ人、そして生もうかどうか迷っている人とその家族に贈る、号泣と爆笑の出産・育児エッセイ!

きみは赤ちゃん
『きみは赤ちゃん』

<目次>

出産編 できたら、こうなった!
陽性反応/つわり/出生前検査を受ける/心はまんま思春期へ/そして回復期/恐怖のエアロビ/かかりすぎるお金と痛みについて/生みたい気持ちは誰のもの?/夫婦の危機とか、冬/そして去ってゆく、生む生むブルー/いま、できることのすべて/乳首、体毛、おっぱい、そばかす、その他の報告/破水/帝王切開/なんとか誕生

産後編 生んだら、こうなった!
乳として/かわいい拷問/思わず、「わたし赤ちゃんに会うために生まれてきたわ」と言ってしまいそう/頭のかたちは遺伝なのか/3ヶ月めを号泣でむかえる/ひきつづき、かかりすぎるお金のことなど/髪の毛、お肌、奥歯に骨盤、その他の報告/父とはなにか、男とはなにか/夫婦の危機とか、夏/いざ、離乳食/はじめての病気/仕事か育児か、あらゆるところに罪悪感が/グッバイおっぱい/夢のようにしあわせな朝、それから、夜/ありがとう1歳/あとがき

この連載について

文学者の肖像

山内宏泰

文学とは、なんなのか。文学者たちは今をどうとらえ、いかに作品に結実しているのか。言葉に向き合う若き作家たちの「顔が見える」インタビューシリーズです。

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コメント

taaahan 「特別な時間が一年間だけあってわたしとわたしの赤ん坊は他人になっていく」同感。少しづつ少しづつ他人に、なっていく。 1年以上前 replyretweetfavorite

ephthaltes @amie12lune ですよね!!(>_<) この連載の写真とか、まさにこの角度です。https://t.co/kgd9ijsm6n 2年以上前 replyretweetfavorite

azuazu1011 @yukinohimimimi あるある(>_<)お疲れ様だよ〜少しでもゆっくりできますように。ちょうど今、この記事よんでて、miiiさんのこと思い出してた!まだ読んでないんだけどね、君は赤ちゃん。また川上未映子のことも語りたいわぁ https://t.co/TwyCPqPPLU 約3年前 replyretweetfavorite

_hushabye cakesのインタビュ。 / https://t.co/V83fIiNLQV 約3年前 replyretweetfavorite