僕にとって舞台の音響という仕事は、基本的に再生ボタンを押すだけの簡単な作業とはいえ、とてつもない技術職だった。
というのも、ボタン一つで好きなところから再生できるデジタル機器などなかったこの頃、全ての音源はアナログのカセットテープに詰められていたのである。
念のため説明しておくと、まずカセットデッキにカセットテープを入れ、流したい音の「頭出し」をする。こうしておけば、次に再生ボタンを押すとそこから音が再生されるのだ。
しかし、この「頭出し」はラジカセに機能としてついていたし、自分で聴きながらの調整も容易にできたので、特に問題はない。
僕の前に立ちふさがったのは、再生ボタンを押してから音が流れてくるまでのタイムラグという、それまでの人生で気にも留めていなかった「空白の時間」だった。
カセットデッキは機械の性質上、再生ボタンを押してからカセットテープが回り出すまでの間に、どうしてもコンマ何秒というタイムラグが発生する。
この時差をなくすのが、劇場の音響担当に任された本当の「仕事」だった。
もちろん、コンマ何秒の世界だから漫才の出囃子などを流す分には気にならない。
しかし、これが劇中の効果音となれば、それは絶対に埋めなければならない「間」になるのである。
僕はまず、自分が「ここだ!」と思うタイミングでキッチリと音が流れるよう、コンマ数秒早くデッキの再生ボタンを押す練習を重ねた。
人間とは不思議なもので、およそ人間が生きていくのには不要としか言いようがない「再生ボタンを少しだけ早く押す」という技術を、真剣に取り組んだ結果であろう。
僕はたった数日間で完璧に身につけることができたのだ。
その上、頭出しをしたカセットテープにも数秒の空白が生まれることに気づいた僕は、デッキの中で再生されるカセットテープの回転数を測り、無音状態の時間を計算しては、一旦カセットテープを取り出して、鉛筆や指で巻いて微調整するという、一歩踏み込んだ技術まで編み出していた。
「お前、誰に教わったん?」
音響テーブルで公演前の準備に没頭している僕の背後に、いつの間にか栗城さんがいた。
「あ、おはようございます。いや、こうした方がやりやすいんで」
「お前、やるなあ……」
「え?」
「芸人にここまでやらすのは可哀想やと思って、このやり方は教えんかったんやけどな」
「はあ……」
「自分で始めたんなら、しゃあないな。この調子で頼むわ」
「は、はい!」
「ほな。やっぱりお前で正解やったわ」
「あ、おつかれさまです!」
薄暗い場所でのことだったから、おそらく気づかれてはいないだろう。
栗城さんを見送る僕の顔は、嬉しさのあまり自分でも恥ずかしくなるほど紅潮していた。
それが芸人としての評価ではなく、裏方としての評価でも。
この世界で生きていきたいと願っていた僕にとって、栗城さんの「お前で正解」という言葉は、ようやく差し込んだ一筋の光明に思えたのだ。
博多温泉劇場の公演がスタートしてしばらく、客入りは上々だった。
どんな劇場でもそうだが、お客さんがたくさん入っているというだけで、客席の笑いは3割り増しである。
そんな恵まれた舞台なのだから、デビュー直後の僕たちもそこそこにウケていた……とは言い過ぎかもしれないが、決して大スベリはしていなかった。
住み込みで3食つき、客入りも上々、しかも業界の大先輩と同じ舞台を踏めるという劇場の出番を、これからも定期的に約束されているのだから、端から見れば芸人としてこの上ないスタートだったことだろう。
しかし、当事者としては手放しで喜べるものではなかった。
そんな恵まれた環境だからこそ、シビアな現実がより浮き彫りになっていたのだ。
そこそこに客席が埋まった博多温泉劇場の舞台上で。
限りなく優しく見守ってくれているお客さんの前で。
僕たちの漫才中、笑いを取っているのは華丸だけだった。
華丸のボケを聞いて、お客さんは笑う。
華丸のボケにしか、お客さんは笑わない。
もともと漫才とは、そういう演芸なのだろう。
それはそれで、喜ばしいことだ。
しかし、僕は舞台を踏む度に「ツッコミ」というものがわからなくなってしまった。
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