後編】なぜ自分は今、他の場所ではなくて、ここにいるんだろう?

柴崎友香さんの小説はよく、「何も起きない日常を描く」と言われるそう。けれど、一行一行にちゃんと目を凝らせば、さまざまなことが起きているのがわかります。そのことに気付けたならば、そのまま自分の身の回りの日常を見つめ直してみることで、きっと本を読む前とは、まるで違った風景を五感で感じ取ることができるはずです。柴崎さんの小説はそんなふうに「役に立つ」というお話です。


『春の庭』柴崎友香(文藝春秋)
あらすじ:世田谷にある取り壊し寸前の古いアパートに引っ越してきた主人公。あるとき、同じアパートに住む女が、塀を乗り越え、隣の家の敷地に侵入しようとしているのを目撃する。注意しようと呼び止めたところ、女から意外な動機を聞かされる……。

担当編集者の太鼓判!
建築や写真、街歩きを愛する柴崎さん。細やかな観察が『春の庭』にも生きています。団地の13階に住んでいた太郎は子どものころ、夜ごとベランダ越しに街や運河を眺めていた。工場や煙突の赤いライトが明滅するのに呼吸を合わせているうち、眠くなる……。なんだか私も、太郎のそばで、同じ景色を見ていたような気持ちにさせられましたが、そこが柴崎作品の大きな魅力であり、後半の仕掛けを読み解く鍵でもあるようです。(文藝春秋・田中光子)

街という現実には人間の願望が現れている

— 前回では、「そこにあるものをそのまま見ることは難しい」とおっしゃいました。「そこにあるもの」とは、言い換えるなら、現実ですよね。現実をありのまま見つめることは難しい、でもそれが可能となったならば、すっごくおもしろい。これは柴崎文学の根幹を成すテーマだと思うんです。

柴崎 現実が一番おもしろいですよ。飽きないです。現実のおもしろさを、どうやったら小説に書けるかっていうことをいつも考えていますね。

— 現実のおもしろさとは、例えば……?

柴崎 わかりやすい例で言うと、街ですね。カーナビが発明されたのは、世田谷区の道がややこしいのをどうにかするという説があるんですけど……。

— 『春の庭』にもちらっと出てきたエピソードですね。

柴崎 本当かどうかはよくわからない話です(笑)。でも、開発した人が、カーナビがちゃんと機能するかどうかテストをしたのは、世田谷区だったというのは本当らしいです。

— 道が複雑だから?

柴崎 そうなんです。あの複雑さって、勝手にできあがったたわけじゃなくて、そこに暮らしている人がいるから道ができてきたわけですよね。 人々が思い思いに、「自分はここに道がほしい」とか「こっちに歩きたい」と望んだ、その願望の軌跡じゃないですか。そこにもともとあった自然の条件とせめぎ合って、ややこしい道になっているです。そう考えると、街という現実に目を凝らしてみると、人間と自然と時間の変化が表れていると言える。

— すごくおもしろい視点です。柴崎さんの小説を読むと、ワクワクしてくるんですよね。部屋を飛び出して、風景を眺めたくなります。

柴崎 そう感じてくださったらうれしいですね。二階を見上げるだけでも、何かが起こるかもしれませんよ?(笑)

なぜ自分は今、他の場所ではなくて、ここにいるんだろう?

— 『春の庭』にはさまざまなエピソードが出てきますが、いわゆる「伏線が回収される」というようなことは、ほとんど起こりません。普通の小説とはだいぶ、話の作りが違いますよね?

柴崎 違うって言われますね(笑)。でも、現実って「伏線が回収」なんてされないじゃないですか。現実の世界で「あの人、何しているんだろう?」と気になることがあっても、だいたいわからないままだったりする。「なるほどそうだったのか!」って、後できっちり判明することってなかなかないですよ。 そこに納得のいく理由や意味をつけてしまうのは、作者である自分の都合かなあって思うんです。

— ここでも「現実」が導入されているわけですね!

柴崎 何も起こらない、何気ないという状態は、「何かが起こる前」の状態でもあるんですよね。この後どうなるかわからないという、いろんな可能性を秘めている。
 だいたい人は起こったことだけに注目するんですけど、起こる前の予感だったり気配が現実にはごろごろしているはずで、私はその状態に興味があります。

— だから柴崎さんの小説はどこを切ってもスリリングというか、何かが起こりそうなざわめきに満ちているんですね。

柴崎 同じ一日は二度とないですし、今見ている光景も今しかないものだから、それはその場にしかない。「なぜ自分は今、他の場所ではなくて、ここにいるんだろう?」。そんなことを考え出したら、「何気ない日常」なんて言ってられないですよね。


— なんだかちょっとホラーな感じもしてきました(笑)。

柴崎 予想もしないことが起こるのが現実で、だからこそ興味を引かれ続けるんだと思うんです。現実がいちばん謎だし、不可解でスリリングです。そんなことを言っちゃうと、小説を書く意味がなくなると思われるかもしれないんですけど、その現実のおもしろさ、複雑さに気づかせてくれ、現実の見方を更新してくれるのがまさに小説なんですよね。
 わたしも、現実そのものが持つおもしろさ、不可解さに向き合って、それを取り入れたり小説の内と外との通路を作ることで、どうにかして自分なりのやり方で、小説をおもしろくしたいと思っていますし、読んだ人が見慣れていたはずの「日常」や風景でなにかを発見してもらえる作品が書けたら、と思っています。


(おわり)
構成:吉田大助 撮影:片村文人


春の庭
『春の庭』柴崎友香(文藝春秋)

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この連載について

初回を読む
いまスゴイ一冊『春の庭』柴崎友香インタビュー

柴崎友香

同じアパートに暮らす、覗く女と隣の男。ひんやりと立ち上がった物語の気配は、さまざまな時間と空間にタッチしながら意外な形へとふくらんでいく。先日、芥川賞を受賞した『春の庭』は、小説と現実の関係性を教えてくれる傑作です。選考委員の高樹のぶ...もっと読む

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コメント

fujiokatakutaro "何も起こらない、何気ないという状態は、「何かが起こる前」の状態でもあるんですよね。" 3年以上前 replyretweetfavorite