一故人

木田元—闇屋をしていた青年が哲学にめざめたわけ

今回の「一故人」は、哲学研究者の木田元を取り上げます。現象学やハイデガーの研究で知られた木田は、その若き日には意外なことに戦後の混乱の中、闇屋として奔走していたのです。青年時代から晩年まで、その歩みと思索について、ぜひお読みください。


福島原発事故で再注目された“警鐘”

哲学者の木田元(2014年8月16日没、85歳)は2008年、著書『反哲学入門』刊行時のインタビューで、今後の予定を訊かれ「技術について書きたい」と語っていた。

《私は、人間は技術をコントロールしているのではなく、技術の自己運動によって振り回されているのではないかと考えています。人間が技術を作ったということも疑わしい。火を熾したり、衣服を着たり、石器を使ったりすることによって、初めて人間になった。(中略)つまり、技術が人間を人間にしたわけです。人間はその技術のもつさまざまな可能性を実現させられているんです》(『中央公論』2008年3月号)

木田はその15年前、1993年に雑誌に発表した「技術の正体」と題する小文(のち『哲学以外』に収録)でも同様のことを書いていた。そこで彼は、「技術は人間の理性がつくり出したものだから、理性によってコントロールできる」という考え方は倨傲だと、強く批判している。「技術は理性などよりももっと古い由来を持つのだから、理性などの手に負えるものではないと考えるべきである」というのだ。

「技術の正体」は、高校の国語教科書や大学の入学試験問題にもたびたびとりあげられるなど、木田の文章のなかでもとくに反響の大きかったものの一つである。そこでの主張は、2011年に東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故が起きてからあらためて注目され、英語による対訳を付して新たな体裁で出版もされた(マイケル・エメリック訳『対訳 技術の正体』)。

その序文で木田は、自分がこうした技術観を持つようになったのは、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(1889~1976)の影響が大きいと明かしている。

《ハイデガーがもし今生きていれば、「技術文明の自壊は、すでに始まっている」と言うだろう。ハイデガーは、晩年の講演で「アウシュビッツの能率的な大量虐殺と、収穫量だけを追究する今の農業は、まったく同じ原理に則っている」と発言して、とんでもないことを言うと批判された。別に弁護するつもりもないが、ハイデガーが問題にしていたのは、非人間的な技術文明が、やがて天災や人災によって崩壊したあと、人間が真に覚醒する新しい時代が始まるかどうか、ということだったように思える》『対訳 技術の正体』

そもそも木田が哲学の道に進んだのは、ハイデガーの代表的著作『存在と時間』との出会いがきっかけだった。ハイデガーといえば20世紀を代表する哲学者の一人だが、ほかならぬアウシュビッツでユダヤ人を虐殺したナチスへの加担でも知られる。しかも性格もけっしてよくなかったらしく、木田は、ハイデガーの人柄を知れば知るほど嫌いになると書いているぐらいだ。しかし一方で、その著書や講義録は読めば読むほど嘆賞を禁じえないとも語っている。全集の新巻が出れば飛びつくように読み、以前読んだものでも何度も読み返し、結局ハイデガーとは終生つきあうことになった。

本人が繰り返し語っているように、ハイデガーと出会うまでの木田は、学者としてはやや異色の経歴を持つ。ここで少し、幼少期から青年期にかけての彼の足跡をたどってみよう。

海軍兵学校から敗戦後は闇屋に

木田元は1928年、師範学校の教師だった父親の赴任地である新潟に生まれた(本籍地は山形県)。木田が3歳のとき、父は中国東北部にできた傀儡国家「満州国」の官吏となったため、一家で満州に渡る。子供の頃から本を読むのが好きで、小学校時代にはとくに猿飛佐助や雲隠才蔵などの忍術ものの講談や小説に凝ったという。

新京(現・長春)の第一中学校に入った年、太平洋戦争が始まる。旧制中学は本来5年制だったが、木田たちは4年で繰り上げ卒業する。それが1945年3月のことで、彼はそのまま、すでに合格していた広島県江田島の海軍兵学校へと進んだ。といっても、軍国少年だったわけではない。敗色が濃くなっていた当時、中学2年か3年になれば、海軍なら予科練、陸軍なら少年航空兵に志願できたが、木田は目が悪いことを口実に応募しなかった。予科練も少年航空兵も下士官養成機関なのに対して、海軍兵学校は士官を養成する機関だ。士官になれば、下士官より少しは生き延びられるだろう。ようするに一種の逃避として木田は海軍兵学校を受験したのだった。

入学して4カ月後、8月6日には、江田島から湾を挟んだ広島の街に原爆が投下されるのを目撃している。ちょうど遊泳訓練の実施される日で、泳げない木田はまずいなあと思いながら、海に入ろうとしていた。その瞬間、すさまじい爆風が来て、吹き飛ばされそうになったという。

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一故人

近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

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コメント

thinkeroid まさにそのとおりだ。技術を解き放ち、その力を最大限引き出さねばならない 3年以上前 replyretweetfavorite

donkou ケイクスもう一つの拙連載、更新されました。「わからないけど面白い」ハイデガー哲学に魅せられた人物のお話。 3年以上前 replyretweetfavorite

misa_baliho 「人間は技術のもつさまざまな可能性を実現させられている」→ 3年以上前 replyretweetfavorite