神話世界・スターリン・サンドイッチ

今回の「新・山形月報!」が取り上げる本は、ハンス・ヘニー・ヤーン『岸辺なき流れ』(国書刊行会、上下)、同『鉛の夜』(現代思潮社)、川又千秋『夢意識の時代』(中央公論社)、同『夢の言葉・言葉の夢』(奇想天外社/ハヤカワ文庫)、ジョン・クロウリー『古代の遺物』(国書刊行会)、横手慎二『スターリン』(中公新書)、ナガタユイ『サンドイッチの発想と組み立て』(誠文堂新光社)、ホテルニューオータニ監修『本当に旨いサンドウィッチの作り方100』(イカロス出版)です。20世紀文学の大長編から独裁者の評伝、そして軽食の作り方までがズラリですよー。

ご無沙汰です。その後、前回予告したハンス・ヘニー・ヤーン『岸辺なき流れ』(国書刊行会、上下)を読んでいるが、な、ながい……まだ上巻すら読み終わらない。おもしろいんだけれど、それを「おもしろい」と表現するとピントはずれに思えてしまう。ヤーンのおもしろさというのは、わくわく血湧き肉躍る楽しさではなく、明確なイメージすらないかもしれない、ビジュアルというよりは肌触りというかぬくもりみたいな世界が、脈絡があるような、ないような形で連なる印象。

ヤーンの小説はきわめて読者を選ぶので、人に安易に薦めるのはためらってしまうんだけれど、もし興味があるなら—新刊では手に入らないけれど、まずは同じヤーン『鉛の夜』(現代思潮社)を図書館ででも借りて読んで見てほしい。すごく短い小説だ。

「きみをここに置いていく。これからさき、きみはひとりでいかにゃならん……」

そう始まり、夜の無人とも思える町をなぜか一人で歩く男の物語は、やはり具体的なイメージがあるようでない、淀んだ暗闇が読んでいるぼくたちに真綿のように密着してくる小説だ。『鉛の夜』を読んで何か琴線に触れる部分があったら、この『岸辺なき流れ』に手を出してもいいんじゃないかな。

ぼくにこのヤーンの魅力を教えてくれたのは、川又千秋『夢意識の時代』(中央公論社)と『夢の言葉・言葉の夢』(奇想天外社/ハヤカワ文庫)で、明晰な分析を加えているのは前者なのだけれど、ぼくは後者のほうの、何か時代精神と川又千秋自身の青春時代の乱雑な断想の中にあらわれる、『鉛の夜』への言及のほうが未だに記憶に残っている。そしてまさに、ヤーンというのはそういう作家だ。何か時代や思想を明確に表現するよりは、読者の心をそのまま包み込むような、そんなところに秘めやかな、でも泥沼のような誘惑を備えている。

同じく読む人を選ぶ作家としては、ジョン・クロウリーがいる。アメリカのSFファンタジー系の作家、と呼ぶにはでかすぎる存在ではあるのだけれど、他に表現しようがない。そのクロウリーの短編集『古代の遺物』(国書刊行会)がでた。

古代の遺物 (未来の文学)
古代の遺物 (未来の文学)

とはいえクロウリーが読む人を選ぶというのは、ヤーンが読む人を選ぶというのとはちがう。ヤーンは、ある種の感性の有無で読者を選ぶ。でもクロウリーはむしろ、レトリックの技法を読み取れるかで読者を選ぶと思う。つまりは、読者としての経験値が問われるわけだから、きわめて玄人好みの作家なのだ。この短編集も、歴史上の出来事と神話とがからみあい、人びとの中にふと入り込んできたあの世や神話的存在が、実にさりげなく描かれる。それも明示的にではなく、ほのめかしのような形で。そのほのめかしに敏感に反応できたら、その人はクロウリー世界の虜になるだろう。そうでなければ—何が起こっているかよくわからないまま読み終わることになるだろう。

本書もそんな小説ばかりが詰まっているので、それをほめるのは、自分のスノッブぶりを告白しているのに等しい。それに、そのほのめかしを説明してしまったら、それはクロウリーの小説の魅力をかなり殺すことになってしまうので、もどかしいところ。でも、好き。なかでも収録されている「異族婚」の、神話世界がSFになったと思った瞬間に、現代のふつうの物語へと切り替わる感覚といったら。いや、切り替わらないのだ。それが同じものとして続きながら、まったくちがう意味合いになる、というよりも神話とか現代の物語とかいう枠組みのほうが一変する感じ。いま、ぼくたちが実際に生きているものとして、神話なり歴史なりが立ち現れてくるといおうか。

あまりマニアックな小説ばかり紹介するのもアレなので、別の系統の本として紹介したいのは横手慎二『スターリン』(中公新書)。これは非常におもしろかった。

スターリン - 「非道の独裁者」の実像 (中公新書)
スターリン - 「非道の独裁者」の実像 (中公新書)

スターリンというともちろん、20世紀の歴史の中で、ヒトラー、毛沢東とならぶ極悪虐殺魔だ。権謀術策でレーニンから無理矢理後継者の地位を奪取し、大粛清で手当たり次第に人びとを捕まえて強制収容所にぶちこみ、コルホーズなどの集団農業化で国民に無数の餓死者をだし、文化的にもどうしようもない社会主義芸術ばかりを称揚し、左翼嫌いな人には彼こそ共産主義や社会主義の真の顔だと罵倒され、他方で共産主義のシンパたちにとっては、あんなの社会主義じゃない、オレたちはずっとスターリニズムに反対してきたといって、とにかく距離をおかれがちな存在だ。

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新・山形月報!

山形浩生

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

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コメント

unspiritualized 山形浩生、ハンス・ヘニー・ヤーンを読む。 https://t.co/Ob9rH0NQm8 3年以上前 replyretweetfavorite

teeaitcheye ホテルニューオータニ監修『本当に旨いサンドウィッチの作り方100』をヴォイニッチホテルに空目したしもしかして山形さんは21世紀型松岡正剛をめざしてたりするかなとか / 3年以上前 replyretweetfavorite

chukoshinsho 山形浩生さんがcakesの「 3年以上前 replyretweetfavorite