終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!
タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)
32歳の地図——芸人と文化人のはざまで 2
寿司で囲碁をしてたら文字どおり燃えたのだ
これまで当連載でもたびたびとりあげてきたように、初期のタモリの芸には仲間内で遊んでいるうちに生み出されたものが多い。コメディアンの小松政夫と組んでテレビでも披露された「寿司将棋」という、文字どおり寿司を駒代わりに将棋を指すコントもそのひとつだ。これはもともと、山下洋輔がタモリと赤塚不二夫、それに山下トリオのドラマーだった小山彰太の4人で飲んでいるときに思いついたものだという。ただし、その原型は将棋ではなく囲碁だったらしい。
山下がトリオの初期メンバーであるサックス奏者の中村誠一に語ったところによれば、それは、当時仲間たちがよくたまっていた寿司屋でのこと。《小座敷を占領して、こたつなんかに入って焼酎のお湯割りを飲みながら》騒いでいたというから、冬場だったのだろう(対談「相対性議論」、中村誠一『サックス吹き男爵の冒険』所収)。そのうちに桶に入った寿司が出た。まあ寿司屋なのだから当然である。それをみんなで皿に取っているうちに、桶が空になってきた。見れば、寿司が桶のあっちとこっちにきれいに並んでいるではないか。当時小山とよく碁を打っていた山下は、ふと自分の手前にあったエビをとり、小山のほうに向かってピッと打ってみた。食べ物で遊んではいけないとはいうけれど、じつは山下は寿司が嫌いで食べられなかった。もともと食べ物とは見ていないから、ついそうやってしまったらしい。しかしこれに小山がおおいにウケ、打たれたエビをタコに置き換えて「これで勝った」などと言い出した。かたわらで見ていたタモリと赤塚もすかさず乗ってくる。
タモリ・小山・赤塚の3人が桶を囲んで新たに対局を始め、山下は指し手から読み手に回った。タモリが桶の真ん中にマグロを置けば、赤塚が自陣にエビを守りにつける。小山はそのエビの横腹にアナゴをつけた。山下はそれを見て「彰太九段、
そのうちに勝負は白熱し、誰かがガリを相手の寿司ネタの上に乗せたかと思えば、タモリが寿司をグッと上から押してつぶしてしまったりと、
常識を大きく外れた対局は最後、タモリの勝負手によって終わる。彼はいきなりライターの火をつけたかと思うと、さっきの「カッパの箸かけ」の割箸を燃やしてしまったのだ。その名も「割箸燃し」。これにはみんな驚いて、結局タモリの勝利が認められたという。
寿司を使った囲碁遊びはおおいに盛り上がったものの、このあともそんなことばかりしていたら、とうとう寿司屋の主人が怒って、その店には出入り禁止になってしまったとか。ま、当然といえば当然の話でしょうが。
赤塚不二夫は同年代の友達がほしかったのだ
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