大皿料理は大の苦手
テレビのロケで地方に行ったときは、収録終わりに出演者とスタッフで「みんなで一緒にご飯を食べましょうか!」という流れになることが多いんです。地元のおいしいと評判の料理屋さんに行って、広いお座敷みたいなところに案内されて、と。その土地の名産を大皿で出されます。
それをみんなで、ワイワイ言いながら箸でつつくわけです。「やっぱり、地元の名産はおいしいね!」とか言い合いながら。言ってみれば、その仕事が無事に終わったことを示す、簡単な打ち上げですね。 でも、この大皿料理っていうのが、僕はどうも苦手で……いつも、つき合い程度に箸をつけるだけで、「ひとり分のカレーライスが食べたいなあ」「早くお開きにならないかな」と、頭のなかで思いながらやりすごしています。
お開きになってみんなと別れたあとは、すべてから開放された気分で心が満たされます。その足でひとりぶらぶら街に出て、自分の好きなものを食べに行く。 そもそも、他人が箸をつけたものを自分の口に入れるっていうことが、生理的にダメなんですよ。別に特段、潔癖症というわけではないし、それが汚いとか、自分がきれいと思っているわけでもない。でも、昔からダメなものはダメというだけなんです。
振り返れば、子どものころからずっとそうだったかもしれない。友だちの家に遊びに行って、そこで夕飯をごちそうになったりするのが、すごく苦手だった。でも、そこで断るのも悪いから、なるべく頑張って我慢しながら食べる子ども時代の自分がいました。何度も何度も戻しそうになりながら……。それはそれで失礼だったのかもしれませんが、とにかく、知らない人が箸をつけたものを、自分の口に入れるという行為が苦手なんです。 だから、本当ならば、みんなで食事をする際は、お弁当みたいなものが理想的かな。お弁当のように、〝これは自分で食べる分〟と決められたものを、誰とわけるでもなく誰になにを言われるでもなく、あくまでも自分の好きなペースで食べる。もちろん、できれば誰もいない場所でひとりぼっちになって食べたい。
でも、そういうことを人前で言うと非難されるのがオチです。実際、何度も非難されてきました。「みんなで一緒に食べているのに、蛭子さんはなぜそんなことを言うの?」「蛭子さんは協調性がないよねー」ってな具合に。だから、いまは少しだけ迎合してみんなで食べるようにしていますが、本当のところは、やっぱりひとりぼっちで食べたいんですよ。
弁当と言えば中学生のころ、クラスみんなのお弁当をのぞいてまわるのが好きな生徒がいました。「蛭子の弁当に入っている卵焼き、うまかごたるね(うまそうだね)」とか言いながら、他人の弁当を見てまわるような生徒です。そういう子って、どのクラスにもひとりはいましたよね。で、「こいば(これ)、一個くれろ」とか言って、パクッて食べたりするんですよ。
その行為が僕にはどうにも信じられなかったし、その生徒に自分の弁当を見られるのもイヤだったんですね。もし見られたら、絶対「オカズば換えて!」とか言い出すに違いないし、自分の性格上、そう言われたらきっと断れませんから。 だから、教室のすみで弁当を隠しながらこっそりと食べていました。そんなことをやっていると、「ケチ~!」とか「蛭子は欲張りだなあ」とか言われたりするんですけど、そういうことじゃないんだよなあ。 他人のお母さんが作った他人のオカズを食べるのもイヤだし、自分の親が作った自分のオカズを誰かに食べられるのもイヤ。ただただ、それだけの理由なんです。
だから、ケチとか欲張りみたいな話ではないし、別にその人のことが嫌いということでもありません。そう、嫌いじゃないからこそ、相手になるべく失礼なことはしたくないんですよ。他人が箸をつけたものを食べたくないとか、自分のオカズを誰かにあげたくないっていうのは、逆に自分がそういうことをされたらイヤだからという理由がきちんとあるんです。
自分がされてイヤなことは、他の人にも絶対しない。それが蛭子の基本ルールです。
食事会や飲み会はムダ話の宝庫
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。