私自身はどんな勝負の修羅場であろうと、ヤクザに脅され命の危険にさらされようと、海や川で命を落としかけようと、頭が真っ白になったということは一度もなかった。
頭が真っ白にならない理由、それは自分の命を失いかねない修羅場をいろいろ経験してきたからだと思う。
勝負で「勝つな」とヤクザに命を脅され、それでも屈しなかったのは、ヤクザのいいなりになって勝負を放棄すれば〝勝負師としての死〟をそこで迎えることになるからだ。
それは私にとって、肉体の死よりも重いものであった。勝負師としての生きざまを守ることができれば、そのためには死を賭けてもいい。そんな気持ちが強かったのだ。
勝負のなかで絶体絶命のピンチに追い詰められ、ここで負ければ、私に賭けられた信じがたいような金が一瞬にして消えてしまうというときの私の心境はこうだった。
「面白い。やってやろうじゃないか」
当時の私にとってチャンスというものは存在しない言葉であった。誰しもチャンスが来ればラッキーに思って、それを精一杯利用しようとする。
だが「チャンスを利用しようなんて甘い」というのが私の感覚だ。チャンスなどではなく、絶体絶命のピンチを活かしてこそ本当の勝負だと常々思っていたからだ。
つまり、絶対的に不利な状況、誰が見てもほぼ負けるという土壇場のピンチこそ本当の勝負所なのである。
その逆風をしのぎにしのいで形勢を一気に逆転するところに、私は勝負の真骨頂があると思っていた。だから頭が真っ白になる暇など微塵もなかったのである。