この仕事でいいのかな、と思ってばかりだった
—— まずは篠田さんがほぼ日に入るまでの経歴をおうかがいしたいのですが、新卒で最初に入られたのは日本長期信用銀行、いわゆる「長銀」ですよね。
篠田真貴子(以下、篠田) はい、そうです。
—— 他のインタビューを拝見していて、そのときに「ゴム印ひとつ押せなかった」とおっしゃっていたのを目にしたのですが……。
篠田 本当にそうだったんですよ(笑)。書類の日付を合わせたり、かすれたり斜めになったりせずにハンコを押すということが、なんと難しいことか。いまだに認め印などはうまく押せなくて、総務のスタッフにいつも「ごめん」と言っています。
—— 伝票を書くのはどうですか?
篠田 すっごい苦手です。
—— 履歴書とか。
篠田 あ、苦手です(笑)。
—— ぼくもそういうタイプなのですごくよくわかるのですが、そういう方がなぜ銀行に入社しようと思ったのかなと(笑)。
篠田 うーん、どういう仕事をするか、ちゃんと理解していなかったんです(笑)。学生の就職活動の浅さですね。
—— それからMBAをとりに行かれるんですよね?
篠田 はい。4年ほどで長銀を退職し、MBAと国際関係論の修士を3年で両方取れるプログラムに申し込み、96年から3年間留学しました。20代で留学したいと、入社前から決めていたんです。
—— それから戻ってきてマッキンゼー・アンド・カンパニーに入られる。そこではどういうお仕事をされていたんですか?
篠田 製薬や消費財担当の戦略コンサルティングです。
—— その後、製薬会社のノバルティスファーマに入られたんですよね。
篠田 はい。最初は人事のプロジェクトマネージャーとして入って、そのあとは医療用栄養食の事業部の経営企画統括の仕事をしていました。予算をつくって管理をするというようなことですね。
—— その後、その部署がネスレに買収されて、ネスレに移籍されたと。ぜんぶ見渡すと、バックオフィスに関連するところはすべて経験されてきたわけで、一般的に言って、非常に華麗な経歴ですよね。
篠田 いや、それが、本人としては、全然そんなことはないんですよ。いつもさまよっていて、この仕事でいいのかなと思ってばっかりでした。
—— そんな折、ほぼ日に出会うわけですね。先日、糸井重里さんと藤野英人さんの対談で、篠田さんについては、入社前に「儲からない仕事」を一緒にやってみて、入ってもらうかどうか決めようと思った、という話をされていました。
篠田 2008年に吉本隆明プロジェクトというのがあり、その企画が立ち上がるタイミングでほぼ日と関わるようになったんです。最終的に講演の音源をフリーアーカイブにしたいというところまで糸井は決めていました。でもまずCDブックとして商品化するにあたり、コストを回収できるくらいの価格設定、商品ラインナップ、生産量などがわからない、というのがお題でした。
—— じゃあこのプロジェクトは、このアーカイブを世に出したい、残したいという思いだけが先にあった。
篠田 そうですね。そして私がその場で損益分岐の数、この個数まで生産・販売したら少なくともコストは全部回収できます、というのをざっくり計算したんです。そうしたらすごく喜ばれて。
—— そうだったんですね。
篠田 先日の対談で、糸井が私のことを、「売上や利益の最大化じゃないところに目的があるプロジェクトから関わってもらったのがよかった」と説明していましたよね。私にとっても、それが結果的にほぼ日での仕事をやりやすくした面があると思っています。
—— やりやすくした、とは?
篠田 ノバルティスでもネスレでも、私の過去の仕事って売上も利益も、大きいほど良かったんです。さらに予算で立てた利益目標に対して、プラスもマイナスも5%以内で着地させるのがミッション、という環境でした。
—— プラスも許されない。目標の達成に対して、非常にシビアなんですね。
篠田 投資家に愛されるにはプラスもマイナスもダメなんです。そういうところで仕事をしてきた私がほぼ日で働くには、大きな発想の転換が必要でした。お金では測れない価値を生めば、最終的に利益もついてくる。これって、それまでとは真逆の価値観と言ってもいいかもしれない。
—— そう思います。
篠田 吉本隆明プロジェクトから入ることで、「ここは本当に違う論理で動いている世界なんだ」という実感を得られた気がします。もし私が、違う事業から関わっていたら、入社してから「もうちょっと売上、上がらないのかな」といったことを、強く言っていたかもしれません。
—— そこから、入社を決めるまでの経緯はどんなものだったのでしょう。
篠田 ぼんやりと誘われてはいたのですが、あるとき糸井に「一度しっかり話をしたい」と言われました。そうして糸井が3時間くらい、なぜ来てほしいかということと、じぶんはこういう生き方をしてきたという話をしてくれたんです。すごい体験でした。かつて糸井自身が某有名企業の社長さんに、これからのじぶんのやっていくことについて、道を探しあぐねて、相談に行ったのだそうです。そうしたら、その社長さんが、夜を徹して、親身になって相談に乗ってくれて、いつでも助けになりますということばと共に、じぶんの幼少期からの生き方を語ってくれたんだそうです。駆け引きじゃなく話をするっていうのは、ふだん見せない気持ちまでも裸にすることだと、こころからそう思ったので、篠田さんにも、同じようにそうするって。
—— うわー、それは贅沢な体験ですね。
篠田 このとき、ちょうど2人目の産休から戻ってきたタイミングでもあったんです。2人の子どもをかかえて、大企業の枠組みの中でやるのは大変だと感じていました。ひとりだと、なんとか大人の都合に合わせられるんです。でも、2人になるとけっこうきつくて。グローバル企業で昇格していくとなると、日本以外で仕事をすることも求められますし、生活との折り合いがつきづらいなと思いました。
—— 子どもが2人いると、スケジュールに予測がつかないことが増えますよね。
篠田 そうなんですよ。出勤しようとした矢先、赤ちゃんが玄関でいきなり吐いちゃうなんてことも日常茶飯事ですしね(笑)。だったら、規模も業種も極端な方に振ろうと思って糸井重里事務所に入ることにしたんです。もともとほぼ日の熱心な読者だったことも、決め手になりました。
「日経新聞に載りたい」
—— それで、2008年の10月に入社された。当時の社員数は何人くらいだったんですか?
篠田 40人くらいですね。もう、びっくりすることばかりでした。じぶんの常識が通用しないんです。まず、初日からメールボックスに大量にメールがくるんですよ。
—— 初日なのに、たくさん?
篠田 ほぼ日では、「postman@1101.com」という代表アドレスへのメールは、自動的に全員に配信されるんです。あと、外出予定、不在者の伝言、議事録などもCCで全社員宛に送ります。
—— えーっ! 1日のメールがすごい量になりますよね。「◯◯さんから電話がありました」というのも全員に届くんですか。
篠田 実はこれ、けっこういいんですよ。社内の誰が、社外のどなたと仕事をしているのかわかるので。そうしたら、同じチームの事情が分かる人が、代わりにご連絡することもできます。誰が今どういう人と仕事をしているのかわかることによって、上司・部下といったラインがなくても、ある種の規律がはたらくんです。今ならそういう意味があるんだとわかりますけど、当時はただ、「なんだこりゃ」と思っていました(笑)。
—— あと、「なんだこりゃ」と思ったところはありますか?(笑)
篠田 「フラットな組織だ」とは聞いていたのですが、なにかあると「それはみんなで決めています」って言うんですよね。それって成り立つのかな、と。ちょうどこの頃ほぼ日は、経理の仕組みを定着させようと四苦八苦してたんですよ。仕組みって言っても、何かを発注してお金を使ったら、伝票で経理に知らせるだけなんですが。
—— えっ、その手続きがなかったんですか。
篠田 そうなんです。その伝票についてだれを承認者とするか決められなくて困っています、と言うわけです。初日に管理部のチームでミーティングしたときに「今はそれが悩みです」って言うから、「そんなの私に言われても困るよ」と思って(笑)。
—— じゃあそれまでは、とりあえず糸井さんに聞いたりしてたんでしょうか。
篠田 明確なルールはなくて、なんとなくこれはいいかなっていうものはじぶんで決めて、じぶんで決めるのが不安だなっていうものは同僚に相談して、これ大事だなと思ったら糸井に確認する(笑)。本当に、10数人の個人事務所がそのままのやり方で40人になっちゃった、という感じですよね。
—— それは篠田さんがやること、たくさんありそうですね(笑)。
篠田 プロセスの部分で、ですね。本来クリエイティブの力を持っている人が、業務の仕組みがないために、忙殺されていたり、精神的な負荷を負ったりしていることは、すぐに想像できたんです。だから、そこを仕組みで引き取るだけで、ずいぶんこの人達は本来のクリエイティブの方にエネルギーを注げるだろうな、と。それは、ほぼ日の読者としてもうれしいことなので、そうなったらいいなと思いました。
—— 入るときに、糸井さんからこういうことをしてほしい、という具体的な依頼はあったんですか?
篠田 「会社としてちゃんとしたい」ということ、あと糸井はそのときから「上場したい」と言っていました。
—— ぼくが話をうかがったときも「上場準備と称して、社内を整えています」とおっしゃっていました。
篠田 入社当時それを聞いた時は、即座に「上場はやめたほうがいい」と思ったので、糸井にも言いました。なんで上場したいのか、ずっとわからなかったんですよ。でも糸井とやりとりを重ねるなかで、少しずつ理解できるようになっていきました。あるとき、私が上場したばかりの会社に遊びに行って、そこの社長さんに「なぜ上場されたんですか?」って聞いたんです。そうしたら「日経新聞に載りたかったんです」という答えが返ってきました。
—— ほう。
篠田 その会社はウェブサービスをやっているのですが、そこに広告を出す企業の責任者はほとんどじぶんたちのことを知らない。でも日経新聞は読んでいる。だからそこの信用を得るために載りたいんだ、というようなことをおっしゃっていました。帰社してから「こういう話をされてましたよ」って糸井に言ったら「わかる!」って言うんです。
—— へえー! 日経新聞に載らなくたって、糸井さんはもう有名じゃないですか。
篠田 私もそう思ったんです。でもしばらく考えて「糸井は、文化人としてではなく事業家としてちゃんと世に出たいんだ」と思い当たりました。糸井にとってほぼ日はもう、コピーライターとしてやっていた年数と同じくらいの年数をかけてつくってきたものなんです。
—— なるほど。今の糸井さんにとって、ゼロから始めてもっとも一生懸命つくってきたクリエイティブの成果がほぼ日なんですね……。
篠田 その思いを理解するまでに2年くらいかかりましたね。
(次回へ続く)
聞き手:加藤貞顕 構成:崎谷実穂