31歳の地図—タモリ。をプロデュース 後編

今回の「タモリの地図」は、ジャズ・ピアニストの山下洋輔が発足し、タモリも参加していた「全日本冷し中華愛好会」のお話です。名前から想像が付くように、本気なんだか冗談なんだか、そもそも目的もよくわからない団体。まさにタモリらしいこの団体の全国大会にタモリは出演することになりました。さらに、タモリがなぜカラオケが嫌いなのかも明らかにされていきます。

終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!

タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)

全日本冷し中華愛好会の結成

冷し中華といえば、中華料理店などでは夏場のみのメニューだ。ただしコンビニエンスストアでは、夏以外でも購入できる。業界大手のセブンイレブンのサイトによれば、同店舗では冷し中華のスープを季節ごとに変えることまでしているらしい。

セブンイレブンの第1号店が東京・豊洲にオープンしたのは1974年。24時間営業を始めたのは翌75年、福島県郡山市の虎丸店が最初だった。もっともこの当時、冷し中華が店舗で売られていたかどうか。あったとしても通年商品だったかは疑わしい。山下洋輔が「全日本冷し中華愛好会」、略して「全冷中」なる団体を仲間たちと発足したのはそんな時代だった。

それは1975年1月というから、タモリ上京の半年ほど前。東京・荻窪の蕎麦屋でマネージャーと音楽誌の編集者と一緒にビールを飲んでいた山下は、なぜか急に冷し中華が食べたくなる。無駄と知りつつ店員に注文したものの、当然ながら、まだやっていないとの返事だった。だが、この瞬間、山下のなかに《何故やっていないのだ。何故冬にはやらないのだ。どうして冬に食ってはいかんのだ。これはまったくいわれのない差別ではないか》と強い怒りが湧いてくる。全冷中はこうした理不尽な状況と戦うべく、山下が会長になって結成されたのだった(山下洋輔『ピアノ弾き翔んだ』)。

家に帰った山下は、仲間たちの賛同を得るため「全日本冷し中華愛好会結成のお知らせ」という声明文を作成し、それを新宿・歌舞伎町の「ジャックの豆の木」とゴールデン街の「スガサンの山羊」と、自分の行きつけの飲み屋に掲示した。後者においては、呼びかけに対し一顧だに与えられなかったが、「ジャック」ではさまざまな議論が巻き起こった。

「ジャック」の常連客のひとり、詩人の奥成達は「冬に食わせろと言うだけでは主婦連と同じでダメだ。革命運動にするにはもっと深い思索が必要だ」と主張、「過激派」として全冷中を牽引していくことになる。

奥成はあくまで潔癖だった。もし某食通俳優が入会を希望したと仮定して、それが会に箔をつけるのならいいのではないかという山下に対し、奥成は「そこのところが冷し中華が思想になるかどうかの分かれ道なのです。よく考えてください」と諭した。元首相の田中角栄に会員になってもらったらとの話にも、「あの人は政治を持ちこむ」と強く反対している。田中の政治の良し悪しではなく、既成のものを借りてくるという姿勢が奥成には許せなかったのだ。

このほか筒井康隆や赤塚不二夫など「ジャック」常連の著名人が続々と会員となる。会報『冷し中華』も発行された。その第1号では評論家の平岡正明による「冷し中華トコロテン説」に対し、奥成達が「冷し中華バビロニア説」を発表し、以後しばらく冷し中華の起源をめぐり論争が両者のあいだで戦わされた。世に言う「バビテン論争」である。

こうした冗談とも本気ともつかない展開に、一般の人たちも呼応した。勝手に地方支部をつくったとの報告が入るなど、全国から反応があいつぐ。ついに1977年4月には、全国大会として「第1回冷し中華祭り」が、東京・有楽町の読売ホールで開催されるまでにいたった。大々的に宣伝したわけでもないのに、山下の事務所には問い合わせが殺到、大会当日は、開場前から長蛇の列ができる盛況ぶりであったという。檀上ではタモリも中洲産業大学教授として講演を行なっている。全冷中内での論争は、彼の芸風にもおおいに通じるところがあったから、当然の出演だろう。この大会において山下が会長の座を筒井康隆に譲り、最後は全冷中のテーマソング「ソバヤ」の大合唱で締めくくられたという。

「ジャックの豆の木」に来た学生たちをからかう
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この連載がついに書籍化!「森田一義」はいかにして「タモリ」になったのか。関係者への追加取材や大幅加筆でその足跡をさらに浮き彫りにします!

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タモリの地図—森田一義と歩く戦後史

近藤正高

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が32年間の歴史に幕を下ろしました。約32年間、毎日テレビに出続け今や国民的タレントになったタモリ。そんな「昼の顔」だけでなく、アングラ芸で身を起こし、深夜番組『タモリ倶楽部』で披露する「夜の...もっと読む

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コメント

donkou ケイクス連載も更新されました。今回はタモリを生んだ店「ジャックの豆の木」閉店とカラオケブームに見る酒場の“終焉”について。 4年弱前 replyretweetfavorite

the_kawagucci 奥成は「そこのところが冷し中華が思想になるかどうかの分かれ道なのです。よく考えてください」と諭した。元首相の田中角栄に会員になってもらったらとの話にも、「あの人は政治を持ちこむ」と強く反対している。 https://t.co/EwHli1fp6q 4年弱前 replyretweetfavorite