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残暑お見舞い申し上げます。ここ1,2週間、地方によってはお天気の荒れる日が続きましたが、お元気でいらっしゃるでしょうか。あなたは今、どんなところでこれを読んでくださっていますか?
わたしのほうは、ブルゴーニュの実家が嵐で大変だったこともあり、バスチーユにある義理の弟の家でこの文章を書いています。あなたがどこから読んでくださっているかわからないけれど、こうして時間や場所を越えてつながれるのは、文字ってやつの不思議なところね。いつも読んでくださったり投稿をくださったりして、ありがとうございます。
さて、今回は、あなたと一緒に考えるためにとってもいいご投稿をいただいたので、最初からいきなりご紹介しましょう。こちらです。
自分が男なのか女なのか分からない人が男の人を好きになったら、それはゲイなのでしょうか、それともノンケなのでしょうか。
(※頂いたご投稿より一部を引用。同時に頂いた別のご質問は、また違う原稿でお応えしますね)
あなただったら、いったいどう答えますか?
「同性愛者(ゲイ)/異性愛者(ノンケ)」って考え方には、実は重大な落とし穴があるのよね。
わたしたちは生まれてくると、まず性別を調べられ、男か女に割り振られますね。お医者さんから「おめでとう! ○○グラムの元気な男の子/女の子ですよ」なんて言われたりして。人によっては生まれる前から調べられ、名前なんかよりも前に性別をあてがわれることもあるでしょう。
そして日本で出生届が出されれば、物心つく前から戸籍に「男/女」と性別を書かれ、学校でも「男子/女子」に分けられて、いつしか「自分にとって同性の人間と異性の人間がいる」ということを当たり前のように刷り込まれていきます。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
出生時に他人から割り振られた性別と、生きていて自分が自分に感じる性別が異なっている、という人がいます。
つまり、
「男とされて生まれ、女として生きる」
「女とされて生まれ、男として生きる」
というような人ですね。
また、他者から性別を男/女に割り振られたとしても、
「自分を男だとも女だとも思わない」
「男と女の間のどこかだ」
「男と女の間を揺れ動いている」
「男でも女でもその間でもない別の何かだ」
などと感じる人だっています。
そういう中にはもちろん、「自分にとって誰が異性で、誰が同性なのかわからない/同性も異性もない」という人もいるわけです。
「同性愛者/異性愛者」という言葉は、男か女であることを自他ともに受け入れている人にとっては違和感のない言葉でしょうが、そうでない場合はうまく使えなくなってしまうという落とし穴があります。
もちろん、「私は同性愛者/異性愛者だ!」ってアイデンティティを持つことに何も条件はありません。自身の性別がなんであろうと、周りが何と言おうと関係なく、それは自分が自分をどう思うかというお話ですから。
ここで指摘しているのは、「同性愛者/異性愛者」という言葉が、本人の性別を起点とした相対的な表現であるということです。
では、絶対的な表現ってあるんでしょうか?
絶対的な表現も、実はあるんです。
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