いつだったか、読者からサインを頼まれて「揺れない心」と書いたことがあった。サインを頼まれるようなとき、私はそのときどきの気分で書くことが違ってくる。
「揺れない心」と書いたときは、「最近心が揺れている人がなぜだか多いな」と気になっていたのだと思う。「そんなに揺らしてばかりいたら、病気になっちゃうよ」。そんな気持ちを込めてサインしたように覚えている。
もちろん、気になっていたのはそのときだけでなく、いまでもしょっちゅう気になっている。
なぜなら毎日のように、心を揺らし過ぎた人たちが、こちらの視界に入ってくるからだ。
道場(※私が主宰している麻雀道場「牌の音」。麻雀を通して若者の人間力を鍛えることを目的としている)や家庭、あるいは新聞やテレビで、心を大きく揺らした人たちを当たり前の風景のように日々目撃する。 彼らの揺れているさまを見ていると、10年前、20年前と比べて、たしかにいまは「揺れ方がひどくなっているな」と感じずにはいられない。
実は私がいう「揺れない心」とは、正確には「いい揺れを持った心」のことである。なぜならまったく揺れのない心というのはありえないからだ。
いい揺れをしている心は安定感があり、ときどきの変化に応じるしなやかな強さを持っている。それが傍目には「揺れない心」のごとき印象を与えるのだ。
生きている限り、心は絶えず変化し、動き、揺れている。 しかし、どう動き、どう変化し、どう揺れるかが問題なのである。
心の揺れが強い人は、一つのことにとらわれて極端な方向に振れていたり、リズムがめちゃくちゃな揺れ方をしている。つまり、悪い揺れ方をしている。
心が揺れ過ぎている人が増えている背景には、激しさを増す競争社会や、人間を経済の歯車のように扱う過剰な商業資本主義といったものがある。いまの社会がそのような構造であるのなら、個人の努力だけで心の不必要な揺れを収めるのはなかなか難しい話かもしれない。
それでも、考え方や行動を少し変えるだけで、「揺れない心」に近づいていくことは可能だと思う。 いい心の揺れがどうなって生じるかを知るよりも、悪い心の揺れがどうして起こるのか、その原因を理解することのほうが、「揺れない心」に近づいていくことはできる。悪い要因を除けば、心は自然と落ち着いたいい揺れ方をするからだ。
本書を記したのは、どうすれば悪い揺れを少なくできるか、いい揺れへと変えていけるか、そのちょっとしたコツや心構えのようなものを少しでも伝えることができればと思ったからだ。
※第2回より、『揺れない心』の内容をご紹介していきます。
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