chapter1-3 またひとりぼっち

恋人の浮気を知ってしまい、僕はそれまでの幸せだった日々から一転、どん底に叩き落とされてしまう。僕はまた孤独になってしまうのか……。

 月曜日から水曜日まで、僕は黙々と集めた文献のリサーチを続けた。こういう仕事は得意だった。水曜日の夕方には、全ての資料を綺麗にファイルし終えた。明日のミーティングで不備がなければこの仕事はひとまず完了となる。青木さんが言うには、ここでがんばっておけばアルファキャピタルからまた似たような仕事をもらえるらしかった。

 僕は田町の駅前の本屋に寄ることにした。

 駅を出ると目の前にTSUTAYAがあり、雑居ビルの向こう側には、物々しいNECスーパータワーがそびえ立っていた。1980年代にはPC-98シリーズが大ヒットし「国民機」とまで呼ばれ、半導体生産でもこの会社は世界一位となった。スーパータワーはそんな絶頂期に建てられたものだ。しかし、その後は、IntelのCPUとMicrosoftのWindowsを搭載したPC/AT互換機が、急速に世界市場でシェアを拡大し、PC-98シリーズは破れ去った。最近ではガラパゴス携帯でやはり時代の袋小路に入ってしまった。いまのこの会社には、この巨大な自社ビルを建てたころの面影はない。

 何冊かの技術書を買ってから、僕は三田商店街のラーメン屋に行った。それから、いつものようにひとりで帰宅した。

 木曜日の午後3時半、青木さんと僕は会議室にいた。

 永沢さんが、受付兼事務の村西に連れられて部屋に入ってくる。甘い香水の匂いがした。30代半ばのこの女性が青木さんの愛人であるということは、公然の秘密だった。サラリーマンを辞めて、自分が作った特許事務所がある程度成功した青木さんは、そこそこの金持ちになった。どうやら金持ちはひとり愛人を持つ、というのがこの世界の決まり事のようだ。

 僕たちが挨拶を済ませたころに、村西は人数分のお茶を持ってきて、すぐに会議室から出ていった。

 まずは、僕がファイルしておいた資料の説明をして、それから永沢さんが細かな質問をはじめた。

「やはり、判例を見ても、このケースでは特許が無効になりそうかな?」

「そうですね。裁判は最後までわかりませんが、いちゃもんをつけて和解金をせしめるパテントトロールのように、僕には思えます」

「青木さんの意見は?」永沢さんが聞いた。

「そうですね。出てきた証拠が大きいと思います。この論文に書いてある原理がそのまま使われているわけですから」

 僕も青木さんも、同じ意見で、そもそも訴えの根拠になっている特許に正当性がないということだ。今回の仕事を通して、僕はすっかりバイオテクノロジーに詳しくなっていて、永沢さんとは、未来の医療の話題で盛り上がった。青木さんは、そうしたことにはあまり興味がなく、クライアントがめんどくさいことを言い出さないかが心配のようだった。

「ありがとうございます。思っていた以上の分析ですね」

 ミーティングの最後に永沢さんは満足そうに言った。正直、僕は彼が何のためにこの裁判のことをこんなに調べているのかよくわからなかったけれど、とにかくこれで一仕事が終わった。

「我々はこういったリサーチ業務もこれからやっていこうと思っています。いつでもお声かけ下さい」青木さんが言った。

 まったくピンハネだけする楽な仕事だ。実際に時間のかかる作業をやるのは僕だというのに。

「今度、打ち上げでもやりましょう。いい仕事をしてくれたお礼に、おごりますよ。神楽坂にいい和食の店があるんです」永沢さんは、青木特許事務所での僕の株をかなり上げてくれたようだ。

 やはり仕事はがんばれば裏切らない。

 ずっと無視されていた麻衣子から突然連絡が来たのは、クリスマスの1週間前だった。あの浮気発覚事件から1カ月以上が経っていた。

[しばらく連絡しなくて、ごめん。クリスマスに会いたいな。]

 僕は麻衣子と12月24日にデートの約束を取りつけた。めぼしいレストランはどこも予約でいっぱいだったけど、銀座のフレンチレストランの空きを見つけて予約した。プレゼントは彼女が欲しいと言っていたバッグだ。30万円は、僕の給料からしたらかなり高い。痛い出費だったけど、僕は丸の内のブランドショップでそのバッグを買った。

 銀座の高級フレンチを予約したこと、プレゼントを買ったことをLINEで伝えると、彼女は[楽しみにしている。]と返事をくれた。


 クリスマスイブは、仕事を早く切り上げて銀座に向かった。銀座はこれでもかというぐらいキラキラしていた。僕は予約しておいたレストランに先に着いて、彼女を待った。プレゼントは、テーブルの下に隠した。

 しばらくすると麻衣子が現れた。遅刻じゃない。以前と変わらない笑顔だった。彼女は胸元が開いた白いシャツの上に紺色のジャケットを羽織っていた。

 僕たちはよく冷えたシャンパンで乾杯した。

 お互いにあの日のことは口にしなかった。プレゼントを渡すと麻衣子はすごく喜んでくれた。クリスマスディナーは、フォアグラの前菜と、スープ、それから白身魚の料理と、牛肉の料理が出てきた。最後のデザートはワゴンから好きなケーキをふたつ選べた。僕たちはワインを1本空けた。正直に言えば、こんな値段を払ってまで食べるものかと思ったけど、そんなことはどうでもよかった。こうして再び会えたことが何よりも嬉しかった。

 僕がホテルも予約してあることを告げると、麻衣子はちょっと困った顔をした。それから「ごめんね。まだ、そういう気分じゃないの」と言った。僕は麻衣子の気持ちを尊重し、素直に従った。ディナーが終わったら、麻衣子はどこかに行かなきゃいけない用事があるとのことだ。

 僕たちは有楽町の駅で別れた。


 僕は予約しておいた赤坂のホテルに向かった。ひとりで家に帰ってもよかったのだが、当日のキャンセルは100%料金がかかるとわかり、ひとりで泊まることにした。受付では、あたかも恋人が遅れてくるかのようなふりをしてチェックインした。

 時間をつぶすために、僕はホテルの部屋で映画を見ることにした。いくつかの映画を無料で見ることができた。『世界の中心で、愛をさけぶ』を選んだ。昔、話題になったときに小説は読んだのだけれど、映画はまだ見ていなかった。

 高校生のサクとアキの切ないラブストーリーだった。ふたりの愛に、僕は心を打たれて、思わず泣いてしまった。サクとアキはソニーのウォークマンで、カセットテープにお互いにメッセージを録音し、それを交換し合うことによってふたりの愛を深めていた。

 これだ! 僕も麻衣子に声を届けようと思った。麻衣子の携帯に電話すると、期待通りに彼女は電話に出なかった。留守電に切り替わった。

「今日は久しぶりに会えてすごく嬉しかったです。僕はもちろんいまでも麻衣子のこと好きです。大好きです。啓太の結婚式ではじめて麻衣子を見たときから、すぐに好きになりました。それからいっしょにご飯を食べに行ったり、花火大会に行ったり、楽しいことがいっぱいあったね。これからもずっと、ずっといっしょにいたいです。連絡待ってます」

 麻衣子からの返事は来ない。翌日から、僕は仕事に専念することにした。クリスマスのデートは僕の給料の1ヶ月分以上の出費だったので、それを取り戻さないといけないし、仕事以外にやることもなかった。年末も年始も、クライアントに依頼された発明の特許申請の書類を作り続けた。

 クリスマスから1ヶ月が経っても、麻衣子からは返事が来なかった。たまにLINEのメッセージを送ってみたが、一度も既読にならない。


 僕はしばらく行っていなかった性風俗店に通いはじめていた。

 最近の僕の人生というのは、次のようなものだった。

 朝の8時半ぐらいに起きる。それから歯を磨いて、菓子パンやコーンフレークなどで簡単な朝食を食べる。9時半には会社に着いて、青木さんやシニアの弁理士に頼まれた仕事をPCの前でひたすらこなす。ランチはひとりで食べることが多かった。夕方の7時頃には仕事を終えて、三田でひとりでラーメンか牛丼か定食を食べる。そのあとは、家でDVDを見たり、読書をしたり、PCでネットサーフィンをしたりした。夜の10時ごろには風呂に入る。それからまたPCの前に座り、Twitterで有名人にやじを飛ばした。深夜12時ごろには、インターネットで無料のポルノ動画を見てオナニーをした。この時間帯はそうしたアダルトサイトがすごく重くなることから、インターネットにつながっている日本中のおびただしい数のPC画面の前で、僕と同じことをしている男たちがいるのだろうと想像できた。

 特許事務所で誰もやりたがらないような書類仕事を朝から晩までこなす。その対価として得られた給料は、家賃に消え、食費に消え、光熱費に消え、少しばかりの服を買った。それでも残った分は、一日に何本もペニスを咥える風俗嬢たちに飲み込まれていった。

 僕は誰からも愛されることなく、ひとりで生きて、そして死んでいくのかもしれない。そう思うと心底恐ろしくなった。

 インターネットの匿名掲示板では、モテない男のことを「非モテ」と言う。ネットの中では楽しそうにしていても、実際は無料のポルノ動画で毎日オナニーをしていて、現実世界では友だちも恋人もいないような男を、リアル(現実)が充実していないという意味で「非リア」と言う。反対に、週末は友だちとバーベキューしたり、恋人と旅行をしたりして、素敵な思い出の写真の数々をFacebookにアップしているようなやつらを「リア充」と言う。Facebookにひとりで食べているラーメンか牛丼の写真をアップするわけにもいかず、僕はFacebookのアカウントを作ってみたものの、ほとんど使わなかった。

 僕は非リアであり、非リアな人間の多くがそうであるように、非モテでもあった。あるいは、非モテだから必然的に非リアなのかもしれない。


 気が付くと、麻衣子は僕の人生から完全にいなくなっていた。

 電話をしたら、着信拒否にされていることがわかった。ネットで調べた、LINEがブロックされているかどうかがわかるという方法を試してみたら、やはりブロックされていた。もう会えないなら、はっきりとそう言ってくれたほうがはるかによかった。いままで誠心誠意尽くしてきた人に対して、とても残酷な仕打ちに思えた。


次回、「chapter1-4 掃き溜めのような人生を漂う」は8/28更新予定


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藤沢数希

恋人に捨てられ、気になる女性には見向きもされず、非モテな人生をおくる主人公のわたなべ。ある日、恋愛工学と出会い、彼の人生は大きく動き出す……。 ファイナンス、経済学、エネルギー政策に関する著作をもち、リスク・マネジ...もっと読む

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