プロローグ
「バーで話しかけたショートカットの女子大生はどうなった?」
「最初のディナーで仕掛けたイエスセットが上手くいきました」と僕はこたえた。「僕の家に誘ったら、あっさりとイエスでした」
「ナースの女は?」
「クラブで数当てマジックルーティーンが決まった娘ですね。週末にカフェで会って、Cフェーズをクリア。あとはいつものDVDルーティーンで、難なく連れ込めました。最終抵抗もまったくありませんでした」
「もうひとりクラブでいい感じになってた女がいたよな。誰だったっけ、読者モデルの……」
「麻友だったら昨日の夜の11時に、一言メッセージ送ったら、すぐに僕のところにすっ飛んできましたよ」と僕は言って、携帯に入っていたメッセージのやりとりを見せた。「完全にトリガーが引かれてますね」
その男は、やれやれ、といった表情で僕を見て笑った。
僕も笑い返した。
東京の街を見下ろしながら静かに乾杯をして、冷たいビールを喉に流し込んだ。台風が過ぎ去った後で、空気は限りなく透明になっていて、遠くのビルまではっきりと見える。数え切れないほどのビルがキラキラと光っている。
「この東京の街は、僕たちのでっかいソープランドみたいなもんですね」
「ああ、無料のな」
彼に出会う前まで、僕は非モテコミットとフレンドシップ戦略を繰り返す、その他大勢のセックス不足の男のひとりに過ぎなかった。結婚まで考え、すべてを捧げていた恋人にコケにされ、見返してやろうと他の女に近づいても相手にされず、掃き溜めのような人生を漂よっていた。しかし、彼が教えてくれた数々の恋愛テクノロジーが僕のすべてを変えたのだ。
ちょうど1年前の夜、とあるバーで彼を偶然見つけた。それから東京を舞台に、奇妙だが最高にエキサイティングな、僕らの大冒険がはじまったのだ。僕は男たちの欲望を実現するための秘密のテクノロジーを手にしてしまった。
恋愛工学。
いまでは金融や広告など様々な分野が数理モデルに従って動いている。かつては文系人間のガッツでまわっていたこうした業界は、いまや複雑なアルゴリズムを操るオタクたちが牛耳っているのだ。だったら、恋愛だって同じことになりはしないだろうか? 答えはイエスだ。恋愛市場でも、科学的な方法論が密かに開発されていたのだ。
僕は、世界最大の半導体メーカーIntelの元CEO、アンドリュー・グローブの言葉を思い出した。
"Technology will always win."
(最後にはいつだってテクノロジーが勝利する)
ひとりで夕食を終えてからオフィスに戻ると、所長の青木さんとアルバイトの美奈を残して、他のスタッフは帰宅していた。パーティションで仕切られたそれぞれのデスクには、大量の書類が積み上げられている。僕は席について、山積みの書類をかきわけた。あるベンチャー企業に対して起こされていた特許権侵害訴訟のリサーチをしていて、ここ数日、分厚い裁判資料や関連文献を読み込んでいた。クライアントの発明を聞いて、それを特許申請するという伝統的な特許事務所の業務からは少し離れているが、青木さんが引き受けてきた案件だ。急ぎの仕事らしく、たまたま手が空いていた僕に投げられた。
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