杏奈は転校生のシュンに、いつも優しく接してくれた。自分も恩返しをしなくてはならない。
そう思うのだが、気持ちとは裏腹に、口は貝のように固く閉ざされてしまう。
「あのさ……」
今だって、なにひとつ気のきいた台詞が思い浮かばない。焦って鼻の頭をこするが、それで事態が変わるわけでもなかった。
「ん?」
杏奈が不思議そうに、シュンの顔を覗き込む。こんな近くで彼女を見るのは初めてのことだ。ますます緊張し、頭の中が真っ白になる。
「……あ」
杏奈のチャームポイントのひとつである目の下の涙袋が、いつもより大きくふくれあがっていることに気がついた。目も少し赤い。
「もしかして……泣いてたの?」
なにかしゃべらなくてはと焦った結果、不意に口から出た言葉がそれだった。
杏奈は驚いた表情を見せ、右の小指をまぶたに当てた。
「えへ。わかっちゃった?」
首をすくめて、おどけたようにいう。
「……なにかあったの?」
「べつに。
いつものシュンなら、「ああ、そう」と頷き、黙り込んでいただろう。今日もそうするつもりだった。だが、次に発したひとことは、シュン自身も驚く意外なものだった。
「本当に?」
杏奈はまばたきを繰り返し、不思議そうにシュンを見返した。
「どういうこと?」
「だって、委員長……ときどき元気がないように見えるから」
しどろもどろになりながらもしゃべり続ける自分に慌てふためく。
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