31歳の地図—タモリ。をプロデュース 前編

マンガ家・赤塚不二夫との出会いをきっかけに、遂にテレビデビューを果たしたタモリ。ブラウン管の中でも抜群のアドリブ芸を披露し、高島忠夫や黒柳徹子といった芸能界の第一線で活躍するタレントたちをうならせます。しかし、数々の業界人を魅了していったものの、人気タレントへの道は簡単ではありませんでした。

終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!

タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)

衝撃のテレビ初出演

1975年7月、新宿に現れたタモリは、歌舞伎町のスナック「ジャックの豆の木」で常連客を前に独演会を行なった。タモリの芸に惚れこんだマンガ家の赤塚不二夫は会のあと、カーサ目白というマンションの自室に彼を連れて行き、そこに住まわせた。赤塚のブレーン・長谷邦夫によれば、彼はその後7月末にいったん福岡に帰郷し、翌月28日に再度上京してきたという(『桜三月散歩道』)。

ちょうど夏休みの終わりで、赤塚のもとにはNET(現・テレビ朝日)から子供向けの番組の企画が持ちこまれていた。長谷・前掲書によれば、それは俳優の高島忠夫が司会する『アフタヌーンショー』を「赤塚版の子供向けにして放映したい」との注文で、構成も自由にしてよいとディレクターから一任されたという。

それならということで長谷は、番組冒頭でタモリを出してしまうことにした。赤塚マンガの人気キャラクターを使ってデタラメな場面を7、8枚を描き、それを紙芝居仕立てで、完全なアドリブで演じる、というのがタモリの役回りだった。赤塚もこれに同意する。出演時には牧師に扮装してもらおうということで、テレビ局の衣装部に発注した。

番組は生放送、しかもリハーサルなしのぶっつけ本番。だがタモリは真骨頂であるアドリブを発揮、その紙芝居口演にスタッフ一同はすっかり聴き惚れ、司会の高島にも驚きが走った。

高島はタモリを高く評価し、当初流す予定だった赤塚のアシスタント総出演のVTRを自らの判断でとりやめ、タモリにほかにも芸を演ってみせてほしいと頼んだ。進行の変更は、CM中に赤塚とタモリから了承を得て、カメラにも高島から指示を出す。

こうして番組内容は赤塚マンガの話題から離れ、タモリにスポットが当てられた。タモリはカメラを前に、「ジャックの豆の木」でやったネタを視聴する層に合わせ、短縮しつつ、4人の外国人がゲームを繰り広げる芸(初期タモリの持ちネタ「四カ国語麻雀」の原型と思われる)などをここぞとばかりに演じてみせた。スタジオは爆笑の渦に包まれ、エンディングで出演者全員が並ぶシーンでも、高島はタモリに芸をやらせながら番組を終えるよう指示を出し続けたという。

この番組でタモリの芸を見たタレントの黒柳徹子が、すぐさまテレビ局の受付に電話をかけて赤塚を呼び出し「あの人は誰!?」と訊ねたことは、『徹子の部屋』の年末恒例のタモリ出演回で毎年のように紹介され、よく知られるところだ。黒柳は赤塚不二夫と1960年代後半、NETの『まんが海賊クイズ』という番組で、それぞれ司会者と回答者として共演している。このとき赤塚は黒柳にぞっこんで、番組収録後に家まで車で送ったり、舞台出演した彼女を追っかけて大阪まで行ったこともあったらしい。それはともかく、わざわざテレビ局まで「あの牧師さんは、スゴイ!」と電話をかけてきた黒柳に、赤塚は「あれがいつも話していた九州のモリタだよ。面白かった? 伝えるよ。喜ぶよ。初テレビで、本職の芸能人からほめられてさ。黒柳さんが最初だよ!」と我がことのように喜んでいたという(『赤塚不二夫のおコトバ』)。

このとき黒柳が出演依頼し、タモリ2度目のテレビ出演は『徹子の部屋』になった、と本人たちは話している。しかし、『徹子の部屋』の放送開始はこの翌年、1976年2月のこと。タモリの同番組への初出演にいたっては1977年8月11日と2年もあとだ。このあたりについては、『タモリ学』の著者・戸部田誠がくわしく検証している(「てれびのスキマ」2014年3月20日付)。それによれば、『徹子の部屋』には『13時ショー』という前身ともいうべき番組が存在し、タモリはそれに出演したのではないかという。当時の新聞のテレビ欄を調べると、1975年9月8日放送の『13時ショー』で「珍芸スターお笑い大行進」という企画が組まれていた。先の番組の放送から約1週間後という時期からしても、これにタモリが出ていた可能性は高い。

戸部田はまた、タモリのテレビ初出演番組についても異論を唱える。これについては先に参照した長谷邦夫の著書のほか、タモリ自身も『アフタヌーンショー』だったと証言している。また初期からのタモリのブレーンである高平哲郎の著書にも、《川崎敬三の『アフタヌーンショー』で丸まる一時間、タモリやマルセ太郎など、赤塚先生の親しい仲間を集合させた『赤塚不二夫の特集』という生番組が放映されたことがある》と書かれている(『今夜は最高な日々』)。

ただし、『アフタヌーンショー』の司会者は高島忠夫ではなく、高平が書いているとおり川崎敬三だった。『アフタヌーンショー』は月~金の正午からの1時間、NETで放送されていた帯番組である。これに対し土曜の同じ時間帯、同局では『土曜ショー』という番組が放送され、高島はその司会を務めていた。ちょうど1975年8月の最後の土曜日、30日のテレビ欄を見ると、『土曜ショー』で「マンガ大行進!赤塚不二夫ショー」という企画が組まれていたことが確認できる。タモリの初出演番組はこれでほぼ間違いないだろう。

タモリを売り出すためにつくられた“バーチャル会社”
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タモリの地図—森田一義と歩く戦後史

近藤正高

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が32年間の歴史に幕を下ろしました。約32年間、毎日テレビに出続け今や国民的タレントになったタモリ。そんな「昼の顔」だけでなく、アングラ芸で身を起こし、深夜番組『タモリ倶楽部』で披露する「夜の...もっと読む

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コメント

abm タモさんはもともと地下芸人だったのか 約4年前 replyretweetfavorite

donkou 連載更新されました。タモリのテレビデビューに際し高島忠夫が貢献していた!? dイエーイb 約4年前 replyretweetfavorite