生きるセンス
自分たちが憧れた破天荒で自由な理想の芸人像と自分たちの現実との絶望的なズレ。
そして若林は「風呂なしに住んでる」「金が無い」「何かが払えない」「飯も食えない」というネガティブな要素をつなげて苦しんでいるのに、「生きる才能」が抜群の春日は「ピノが美味しい」「オムライスのおにぎりが50円になってて美味しかった」「使えそうな物を拾った」など小さな幸せをつなげて楽しそうにしている。若林は春日との「生きるセンス」のズレにも苦しんでいた。
彼らはなんとかして「売れたい」と試行錯誤を繰り返しながらも当時は「売れるってことが、リアルに想像できなかった」と振り返る。それでも「夢」を諦め、「辞める」という選択をすることもできなかった。なぜなら「辞める」理由が見つからなかったからだ。「辞める」にも理由がいる。明確な理由が欲しかった。だから彼らは苦悩の果て、半ば「クビになること」を目指すようになっていく。クビになるために事務所に怒られそうなことをやる。
そのひとつが、漫才なのに春日がゆっくり歩いて入ってくるというボケだった。舞台袖の芸人たちにはウケていたが、客にはまだ理解されなかった。
ある日、出演していたものまねショーパブ「キサラ」の楽屋で若林は先輩芸人に芸人を辞めようか、という相談をしていた。その会話を聞いていた、キサラの重鎮でビートたけしのモノマネ芸人であるビトタケシは帰り際、若林に寄ってきて「あんちゃんよぉ」とビートたけしの口調で声をかけた。
「死んでも辞めんじゃねぇぞ」 ※注2
辞める理由を探していた若林は辞められない理由を貰った。その言葉に若林は涙を落とす。「偽物じゃねーか」と思いながら。
2009年3月20日。オードリーは「ズレ漫才」を『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京)で本物のビートたけしの前で披露した。
「えれぇ、おもしろかったな」
たけしは相好を崩して笑った。
オードリーはたけしに気に入られ、たけし本人が出演芸人を選出している『北野演芸館』(TBS)の常連となった。第3回の放送(2012年7月8日)では、進化した「ズレ漫才」を披露したオードリー。その漫才をたけしはこう評した。
「オードリーはあれだな、単にめちゃくちゃじゃないから面白いな。ちゃんとまとまってるんだけど。絵で言うと、キュービズムみたいなところがあるな」
キュービズムはパブロ・ピカソによって創始された現代美術の技法である。それに大きな影響を受けたのが岡本太郎だった。
奇しくも若林は岡本太郎に心酔していた。
先輩芸人の勧めで読んだ岡本太郎の『強く生きる言葉』で「挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままでオリてしまったやつには新しい人生などはない」という言葉に出会う。
若林はしっかり挫折を味わい「不成功者」になることを目指そうと決意する。売れず、孤独だった若林は岡本太郎記念館に行き「坐ることを拒否する椅子」に座ると「すわり心地のいい高価な椅子なんかよりも、そのときの自分にはずっと身近なもの」に感じ自然と涙が流れてきた。
この体験が決定的なひらめきを生んだ。
「笑わすことを拒否する漫才を作ろう、そのほうが伝わる」 ※注3と。
若林は春日に「太陽の塔」のように立ってくれ、と提案する。
こうして、胸を張って立つ春日のキャラができあがった。
なぜ胸を張っているか説明しないと伝わらない、とスタッフたちに怒られもしたが「伝わらない」ことこそが岡本太郎が主張する「不成功者への前進だ」と若林はほくそ笑んだ。
オードリーの人(にん)
東日本震災後直後の3月19日と、その一年後のラジオ『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、オードリーは新作の漫才を披露した。
かつて若林が「おじいちゃんになっても漫才やる?」と訊いたら「どっちでもいい」とそっけなかった春日。