ずばり東京(開高健)後編

cakes連載「ワダアキ考」の著者・武田砂鉄さんに提案していただいた新しい「古典」、『ずばり東京』評の後編です。オリンピック直前の1960年代の東京を、開高健がくまなく歩いてその文才で描いた本書。その当時の風景と現代の風景は「何も変わっていない」というfinalventさんですが、ではその変わらない都市・東京とはいったいなんなのか。本書からfinalventさんが読み解きます。

1960年代の都庁職員

ずばり東京 (文春文庫 (127‐6))
ずばり東京 (文春文庫 )

 『ずばり東京』の、万華鏡でも覗くように工夫をこらした文章は楽しい。私がいちばん笑い転げたのは、「ある都庁職員の一日」である。描かれているのは、まさにある都庁職員の一日である。書類に判子を押して会議に出てという一日。ただただ、お役所仕事があるだけの凡庸な一日である。つまり、なんにもない一日である。題名や趣向からソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』が連想されるが、その前に書かれた掌編である。

 この話には主人公がいる。35歳の都庁職員・久瀬樹である。その手短な形式張った紹介から一日の話が始まるのだが、これといって仕事と思えるようなことは何もない。

 女子職員がしずしずとお茶を持ってきてくれる。毎朝のことだが、”粗茶ですが……”という。たしかに粗茶である。泡を吹いている。たしかめたことはないが、百グラム四十五エンくらいの茶ではないだろうか。それをフウフウすすって新聞を読む。舌、のど、食道、胃と、熱が一滴一滴おちてゆくうちに、やがてその熱は脳へゆるゆるとあがってくる。久瀬は新聞をおき、だまったまま『未決』の箱のなかから伝票や書類をだして、一枚一枚、判コをおしにかかる。すべての書類は二種類しかない。未決か、既決かである。いや、判コをおしたものと、おしてないものとの二種類があるだけだ。

 現代の都庁ではさすがにこうした風景はないだろうと思うが、私が30代のころまでは、お役所でよく見かけた光景である。

 この掌編は万事このトーンで続く。なんの意味もない仕事をたんたんとこなす久瀬樹の挙動がユーモラスに描かれる。内臓をぎりぎりと締め付けらるような極上のユーモアがそこにある。

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finalvent

「極東ブログ」で知られるブロガーのfinalventさん。時事問題や、料理のレシピなどジャンルを問わない様々な記事を書かれているが、その中でもとりわけ人気が高いのが書評記事。本連載は、時が経つにつれ読まれる機会が減っている近代以降の名...もっと読む

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