1960年代の都庁職員
『ずばり東京』の、万華鏡でも覗くように工夫をこらした文章は楽しい。私がいちばん笑い転げたのは、「ある都庁職員の一日」である。描かれているのは、まさにある都庁職員の一日である。書類に判子を押して会議に出てという一日。ただただ、お役所仕事があるだけの凡庸な一日である。つまり、なんにもない一日である。題名や趣向からソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』が連想されるが、その前に書かれた掌編である。
この話には主人公がいる。35歳の都庁職員・久瀬樹である。その手短な形式張った紹介から一日の話が始まるのだが、これといって仕事と思えるようなことは何もない。
女子職員がしずしずとお茶を持ってきてくれる。毎朝のことだが、”粗茶ですが……”という。たしかに粗茶である。泡を吹いている。たしかめたことはないが、百グラム四十五エンくらいの茶ではないだろうか。それをフウフウすすって新聞を読む。舌、のど、食道、胃と、熱が一滴一滴おちてゆくうちに、やがてその熱は脳へゆるゆるとあがってくる。久瀬は新聞をおき、だまったまま『未決』の箱のなかから伝票や書類をだして、一枚一枚、判コをおしにかかる。すべての書類は二種類しかない。未決か、既決かである。いや、判コをおしたものと、おしてないものとの二種類があるだけだ。
現代の都庁ではさすがにこうした風景はないだろうと思うが、私が30代のころまでは、お役所でよく見かけた光景である。
この掌編は万事このトーンで続く。なんの意味もない仕事をたんたんとこなす久瀬樹の挙動がユーモラスに描かれる。内臓をぎりぎりと締め付けらるような極上のユーモアがそこにある。
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