ニートの薬は「時間」「お金」「人」
めろん 自殺してしまったK君がどうやったら自由になれたのか、どうしていれば救えたのかを僕はずっと考えているんですけど、斎藤さんは具体的に何をすればよかったんだと思いますか?
斎藤 K君は難しいタイプだった気がしますからね……。ひきこもりやニートの人に効く薬って3つあって、それは「時間」と「お金」と「人」なんですよね。この3つをうまく組み合わせれば、まぁなんとかなる。でもK君は「人」からの承認を得ているのに、それが救いになっていないんですよね。
めろん 彼が自分で考えていた承認って、たぶんもっと大きいことだと思うんですよ。手に職をつけるじゃないですけど「これでもう生きていける」っていう保証に近いというか。
斎藤 ただ、こういう人の自尊感情の低さって底無しなところがあって、社会的達成を果たしても満足しないことも結構あるんですよね。逆に「こんなはずじゃなかった」みたいな状態になってしまうこともよくあるから、やっぱり承認だけじゃ厳しかったのかも。
めろん それは分かります。悩みが多くなるばっかりなんですよね。
斎藤 だから、まんざら「海猫沢さんと同じ学校に入っていたら」っていうのも冗談じゃなくて。何らかの極限状態を経験したりある種の制約や不自由さを引き受けたりすることで、より解放されるっていう回路のほうが、彼には向いてたんじゃないかなって気もするんですよね。
めろん あぁ、なるほど。自由すぎて辛かったかもしれないなぁ。
斎藤 彼の「自由」は何でもありの無規定的な自由だったわけですよね。僕はこれが彼にとってちょっときつかったのかなと思うんです。この自由は逃れたい自由だったかもしれないなと。この話を精神分析で言うと、ラカン理論との親和性が高いと思うんです。
めろん それは「一旦制約を引き受ける」って部分ですか?
斎藤 それをラカンの言葉で言うと「去勢」なんですね。つまり「自由を手放す」ということです。生まれたばかりの子供で例えると、その子が自由を手放した場合、代わりに言葉をしゃべれるようになる。言葉を手にするということは、文法や単語面での不自由さを引き受けることになりますが、逆に言うと言葉を獲得することで、世界をよりクリアに理解できるようになって、その子の世界が広がるとも言える。それを言い換えると「不自由さを引き受けることでより解放される」ということになるわけです。
めろん なるほど。
斎藤 だからK君も、そういう経緯を経た後の自由の中で承認を得られれば、ひょっとしたら違う展開があったかもしれない。ただ、じゃあ彼にどうやってその「不自由をを引き受けた後の更なる自由」を与えられたかと問われると、これは非常に難しいですよね。やっぱり何らかの修行的なものを経ないとその自由は得難いものだから。
めろん もしかしたら、彼にとってのそれはアルバイトだったかもしれませんね。
斎藤 うん、たぶん仕事をすることが通過儀礼としてはいちばんフィットしたと思うんですよね。より自由になるための不自由さを引き受ける場面を現実的に考えると、彼の年齢的にも仕事以外の選択肢って実はあんまりなかったりするし。仕事以外なら、突拍子もないけれども留学して言語的な制約を課すくらいですかね…。
めろん 僕、彼にまさにそういう内容の話をされたことがありました。「僕はもっと何かに追い詰められなきゃいけないんじゃないかと思うから、何かを課してくれ」みたいなことを言われて。それってつまり、ラカンでいうところの「僕を去勢してくれ」ってことですよね。
斎藤 まさにそうですね。でもね、頼んでやってもらう「去勢」って役に立たないんですよ。やっぱりどこかに甘えが出てしまうんで、もう否応なしの力じゃないと無理なんですよね。
めろん だから僕は彼に課すものとしていちばん現実的なのは、さっき言った措置入院含めて病院だと思ったんですよ。その時既に悩みをこじらせて鬱っぽくなってたし。僕、「悩み」っていう段階と、「鬱」っていう段階では、もう話が全く違うと思ってて。もう鬱なら、抵抗があったとしても、病院には行ったほうがいいと思うんです。
斎藤 それはそうでしょうね。病院が常に救いになるかどうかは別として、「治療をして良かった」っていう結果になるかもしれないし。
「オープン・ダイアログ」は減薬治療の希望
めろん 良い病院の選び方や見分け方って、ありますか?
斎藤 今は病院も治療法が両極端になっていますからね。もちろんいちばん良いのは、臨機応変に薬も使えるし精神療法もできる、融通が利くところだと思いますけど。
めろん こういう場合って、何科に行けばいいんですか? 心療内科?